現代編 第三話
聖誕祭の朝がやってきた。
王都に住まう人々は、衣類や装飾品まで新調してこの日に望む。
特に年頃の娘にとっては恋人に着飾った姿を見せる晴れ舞台。
もしくは新しい出会いを求める格好の祭りとなる。
畢竟、カレンの作る化粧水の売り上げは凄まじいものだった。
ジノンも三日前から半ば無理矢理手伝わされており、やれ材料が足りない、やれ搬入して来いと、徹底的にこき使われた。
父ジャンも祭り用に供する料理作りに余念がなく、いわば救援も見込めない。
孤立無援の状態で、とことんジノンは働かされる。
母カレンは、子供は必要以上に大金を持つことはないと公言する主義だ。
だからといって吝嗇ではない。祭り用にちゃんと卸したての服を準備してくれていた。
他に労働の対価として、ジノンは祭りの間じゅうの完全な自由を手に入れている。
「あんまり派手なことをしちゃ駄目だよ」
よく考えれば意味深な台詞と父に見送られ、ジノンは街へと繰り出した。
街の中心の噴水広場で待ち合わせ。
屋台が何十件も立ち並び、人で溢れるその場所で、先に来ていたキュピオクを見つけられたのは幸運だ。彼女は、色とりどりの玉を宙で操る大道芸に完全に見入っている。
「おら」
ぽこんと頭を叩くが、
「見て見てジノン! あそこの犬と猫とロバの三位一体攻撃がね…!」
「いいからいくぞ。目的を忘れんな」
キュピオクの手を引いてジノンは勢い良く歩き出す。
少女も最初は未練たらしく抵抗していたが、すぐに足並みを合わせてきた。
二人はそのまま正門を抜けようとする。なお城下内に入ろうとする隊商や近隣から訪れた旅人たちにより、想像を絶する混雑だ。
苦労して人並みを抜ければ、幾つもの天幕が軒を並べている。
到底城下に収まりきらない商人たちに、この日ばかりは城外で店を開く許可が与えられている。
ジノンは天幕の群れを見回した。
城門を出て右に七つ目。
あった。軒先にぶら下げられている赤羽の目印は、ライ・リー商会の傘下の店の証。
「おそいですよ、二人とも」
天幕の中に入れば、案の定、クラフトが不機嫌そうな表情を作っている。
既にミラセラとガーンズは到着していて、二人とも荷物を足元に裾の長い外套を着込んでいる。
「これが二人のぶんですわ」
ミラセラが渡してくれた外套をさっそくジノンも身に付けて、
「オレの荷物は?」
「そこにありますよ」
クラフトのつてを使いライ・リー商会に頼み込んで、こっそり武具やらなにやらは前日のうちに城外のこの天幕へ搬送済み。
さすがに完全武装で実家から出てくるわけにはいかないからの苦肉の策で、それが予想以上に順調に進んでいる。
「よし、みんな準備はいいか?」
キュピオクが外套を目深に被るのを見届けて、ジノンは全員に告げる。
頷き返してくる仲間を見回してから、予め決めていたとおり天幕の裏から外へ。
今日の聖誕祭は、何も外部から訪れる人間で溢れているわけではない。
この国を挙げての祝日に関わらず、逆に遠方へ出向かなければならない隊商や個人も存在する
ジノンたちの変装は、その隊商を装うため。
手と手に荷物を抱え、粛々と並んでプランスィアを遠ざかる姿は、なるほど隊商以外の何ものでもなかった。
一行は街道を進む。
城の尖塔が遥かに霞むくらいに遠ざかると、街道脇に簡素な小屋が設えられているのが目に入る。
旅人の小休止のためにプランスィアが建設したものだ。
ジノンを先頭に中に入れば人気はない。これ幸いとばかりに、ジノンはフードの頭を跳ね上げた。
「よし、予定通りだな」
ここまでは順調だ。順調すぎると言っていい。これは段取りがいいのか運がいいのか迷うところだが、ジノンは一切気にした様子もなく、自分の抱えてきた荷物を暴きにかかる。
まずは皮鎧が姿を現した。この日のために小遣いを貯めに貯めて購入した逸品である。
「どうだいいだろう、これ!」
「ロンガリアの数打ち品か?」
まだ艶光りするその表面を、ガーンズの無骨な手が撫でた。
ロンガリアとは主要四国にそれぞれの支店を持つ、大陸最大手の武具専門店だ。
一般に大量生産品は大規模な戦争などでは重宝されるが、平和な昨今では専門の職人が個人受注生産で意匠を凝らしたものこそ好まれる傾向にある。
そんな中にあってロンガリアは大量生産に加え品質の向上にも積極的だった。
当初こそ酷評された製品も、今となってはそこらの職人がかかりっきりで作る武具より、安くて品質も良いと評判だった。
であるからこそ、ジノンの貯めた小遣いでも買えたわけである。
「ふむ、そんなに悪い品じゃあないな」
そう評するガーンズが身に付けているのは、青銅で出来た胸当てである。
下町の掘り出し物市で、あまりの大きさに売れ残っていたのを身に付けてみたら、ぴったりと来た代物だ。
店主もガーンズの体格にほれ込んで破格の値で譲ってくれた。
胸当ての部分に弓と矢の意匠が掘り込まれていて、つまりは弓手の装備なのだろうが、ガーンズは気にした風でもない。
品自体はいいものだし、両刃の斧の得物を振り回す彼にとって、なまじ動きを制限しない胸当てはたしかに相応しかった。
ガーンズと似た得物を振るうキュピオクだが、彼女の場合、身に付けている皮鎧は素晴らしい。
一見、単なる古臭い平凡な鎧に見えるが、腕の稼動を邪魔しない複雑な構造と意匠が凝らされている。
キュピオクの生家に代々伝わる逸品だとか。
仲間を羨んでばかりもいられない。
似たようなものを、今日は持参してきている。
ジノンは荷物の中から愛用している銅剣に引き続き、長い包みを取り出した。
いかにも大事そうな様子に、
「なになにそれ?」
キュピオクにミラセラも興味深々の様子。
「へっへー、いいか見てろよ」
「わあ…!」
「綺麗ですわ…」
包みを解けば、中から白鞘の長剣が姿を現した。
ミラセラが感嘆の声を上げたのもむべなるかな。
鞘の表面に、複雑優美な紋様が刻まれていたのである。
「これ、どうしたの…?」
「ん? 家の倉庫に隠してあった」
鼻も高々にジノンは言ったが、それは全くの真実だ。
母屋の階段下の物置。更にその奥に据えられた木彫りの像の下。横にずらすと地下に続く階段があることを、ジノンは姉であるセレスから聞いていた。
『いい、これは内緒よ? あたしが出ていく前の置き土産みたいなもんかな』
地下室へジノンを導いたセレスは、小さな魔法の光を灯しながらそう声を潜めた。
もっともまだ十歳だったジノンは姉の話を半分も聞いていない。
地下室の書棚にぎっしり詰め込まれた古代文字の背表紙。瓶の中で息づくように淡い光を放つ宝玉。
壁に掛けられた大小さまざま剣と、白銀に反射する鎧が一組。
中でも、白い鞘に包まれ仰々しく備えられた長剣に目を奪われていた。
『その日が来たら、ここにあるものを好きに使えばいいわ。…その日っていつかって? そんなのあたしが知るわけないじゃない』
今日がその日だ。
そう思ったからこそ、ジノンはこの剣を持ち出した。
魔法の素養はほとんどもたなかったが、何かしら強大な力が秘められているのを感じる。
もし失われた古代の叡智を封じ込めたものだとすれば、冒険にこれほど心強いものはない。
「……なんかすごいですね、それ」
たっぷり絶句したあと、クラフトはそう声を絞り出す。
魔術を学ぶ彼は常人とは異なり魔力の流れが見えるらしい。
「こんな複雑な術式、見たことないです」
おずおずと白鞘に手を伸ばして触れればその両眼は興奮しきっている。
「そんなに凄いのか、それ?」
疑わしげにガーンズは言う。彼もまた戦士としての素用は十分だが、魔術というものにさっぱり興味を持たない。
「んー、とりあえず抜いてみなよ」
キュピオクの提案に、さっそく柄に手を掛けたジノンを、クラフトが慌てて止めた。
「ちょっと待ってください! どんな魔力がどれだけ込められているか分からないんですよ? そんなものをここで解き放ったら…!」
遥か古の昔。まだ神々の力を受け継ぐ魔術師が存在した時代。
彼らが魔力を封じ込めた武具の中には、鞘から引き抜いただけで千の軍勢を駆逐したり、大地を割り天を焦がすような凄まじいものがあったという。
この白鞘の長剣も古代魔術の遺産であるとすれば。
「わかったわかったって…」
クラフトの剣幕に、ジノンは小屋の外に出た。
全員に離れているよう言い渡してから柄を掴み、渾身の力を込めて―――剣は鞘から抜けなかった。
「あれ? あれ? おかしいな…」
「よし、ちょっと貸してみろ」
半ば取り上げるようにしたガーンズが渾身の力を込めて引っ張るが、やはりビクともしない。
「次次あたしー」
キュピオクにも貸してみたが、やはり結果は同じ。
「…なんだこれ」
「それだけ膨大な威力が込められているか。あるいは呪われているのかも知れません」
「本当かよ!?」
クラフトの解説に、ジノンは戸惑ってしまう。
気まずい沈黙が一行の中に流れた。
「……そんな使えないもの、どうすんの?」
キュピオクの正直すぎる言葉に、ジノンは虚を突かれた表情になる。
使いたいけど使えない剣なんて邪魔者以外の何ものでもない。
ましてや冒険の旅はこれからだというのに。
「だからって…」
このまま放り出していくわけにもいかない。
使えないのは別にして、好事家なら大金を積んでも惜しくないほどの鞘の意匠だ。
小屋のどこかに隠したとしても、見つかれば持ち去られ売り飛ばされる可能性は高い。
なによりジノンは実家よりこっそり持ち出しているのである。それを失くしたでは済まない話だった。
「おまえの荷物だからおまえが持つんだな」
あからさまに大笑いしそうになるのをこらえながら、ガーンズは歩き出している。
気の毒そうな表情でキュピオクがそれに続き、ミラセラは完全に興味を失っている様子で革靴のかかとを詰めていた。
「なあ、クラフト、これ…」
「今回の旅から戻ったら、じっくり調べさせてもらえます?」
そっけなく言って、ジノンのもつ長剣にあとは一瞥もくれない。
「………まてよ、おまえら!」
結局ジノンは背中に長剣を担いで駆け出した。
持ち出したときと真逆に、いまは重みが何よりも疎ましい。
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