第4話 一番星

 アイドルを辞めて、1年が経った。私は地元の会社に就職して、事務をしている。あっという間に普通の生活に馴染んでしまって、むしろ1年前はアイドルをしていたという方が信じられないくらいだ。


 1時間程度の残業を片づけて、帰ろうかなと支度をしていると、スマホの画面が光った。通知には、セイラの名前。あれから連絡がなかったのに、急にどうしたのだろう。


 メッセージには、今も活動を続けていることと、よかったら今度ライブを見に来てほしいという内容が書かれていた。


 日程は次の日曜日。ちょうと何の予定もないし、行くよと返信をする。久しぶりにセイラに会うのも、新しい『アストラリズム』のステージを見るのにも緊張した。会場は私たちがよくライブをやっていた場所だった。


 当日、ライブが終わったら楽屋にきてねというセイラのメッセージにもちろんと返し、会場に入る。客席には見慣れた顔がたくさんいて、慌てて帽子を深く被りなおした。別にバレてもいいのだけれど、セイラのステージの妨げになりたくない。


 こそこそと移動し、壁際の隅っこに立つ。がやがやしているファンのみんなはこちらに気付く様子がなくて安心した。


 ファンの数は、私と朱里がいた頃から変わっていない、ように見える。客席にいるからわからないだけかもしれないけれど。セイラのファンだけじゃなくて、朱里のファンも、私のファンもいる。それをよかったと思うと同時に、ちょっと寂しい気持ちにもなった。


 客席が暗くなる。もうすぐライブが始まる。カバンからペンライトを取り出して青色にしようとすると、客席に白いペンライトが目立つことに気が付いた。


 セイラの青も、もちろんある。白と青を両方持っている人も多い。新メンバーでも増えたのだろうか、となんとなく不安になりながらも、ステージを見上げる。


 大音量のイントロと同時に、セイラが舞台袖から飛び出してくる。ずっと朱里の右側にいたセイラが、真ん中に立って踊っている。4年前から変わらない、トレードマークのツインテールが楽し気に揺れていた。


 客席から見るステージって、こんなに眩しかっただろうか。きらきらした笑顔を振りまきながら踊っているセイラを見て、私は思わず固まってしまった。ペンライトを両手で握りしめ、じっとステージを見つめる。


 激しい音が、自分の心音と同調しているような気がする。周りのファンたちの熱狂で体中が熱い。そして何より、セイラから目が離せなかった。


 そうだ私、こうやって輝いているアイドルに憧れて、アイドルになったんだった。


 客席から名前を叫ばれているセイラを心底羨ましいと思った。それを受けて、嬉しそうに笑う彼女のことも。どうして私はあそこにいないのだろう。どうして、自分からステージを下りたのだろう。


 でも、もう戻れないと思った。普通の人間に戻ってしまって、あそこに立つほどの情熱を持てない。脱退して、1人になったセイラを心配していた自分を恥じた。


 ステージにいるセイラと目が合う。彼女は顔をクシャっとさせて笑い、小さく手を振る。私はそれに、ペンライトで応えることしかできなかった。


 ライブが終わり、客席にほとんど人がいなくなってから楽屋に向かう。握手会はどうやらなくなったらしい。元々セイラはファン個人と話すのを苦手としていたし、なくなってもやっていけているならその方がいい。


 ノックして楽屋に入ると、セイラが笑顔で迎えてくれた。ライブ終わりで疲れているはずなのに、私の手をつかんでぶんぶん振る。あの頃の毒がすっかり抜けたように明るい顔をしていて安心した。



「よかった、ありがとう来てくれて」



「こちらこそ、呼んでくれてありがとう」



 感想を伝えたかったのに上手く言葉にならなくて、可愛かったとか歌が上手くなってた、とかありきたりなことしか言えなかった。セイラはそんな私の言葉を嬉しそうに聞いてくれる。


私も、ファンから「語彙力なくてごめんなさい」なんて言われながら聞いた感想が嬉しかったことを思い出す。



「そういえばさ、ペンライト、青と白だったけど他にメンバー増えたの?」



「まさか、増やさないよ。あれはね、ファンのみんながアストラリズムの色ってつけてくれたの」



 セイラの言葉に首をかしげる。彼女は気恥ずかしそうな、それでいて誇らしそうな顔をしていた。



「ほら、赤と青と黄色で光の三原色で……真ん中は白になるでしょ。だからアストラリズムの色は白色なんだって。私が言ったんじゃなくて、みんなで白をつけようってしてくれてるんだって」



 想像していなかった理由に驚くと同時に、嬉しくなった。あの白いペンライトの中には、私と朱里の色が入っている。ファンのみんながそうしたいと思ってくれていることが、嬉しかった。


 そしてそれだけ思ってくれていたファンを、信じ切れなかった自分に後悔した。



「……そういえばさ。ひなたって、朱里と連絡とか取ってる?」



「全然。ていうか、返事来ない」



 朱里は半年ほど前にSNSで軽い炎上をしてから、動画のコメント欄にあからさまな悪口を書かれるようになった。それから投稿頻度が減り、ここ3カ月は何も投稿していない。心配して送ったメッセージにも、既読がついていない。



「正直朱里はさあ、地下アイドルやめてもっと手の届かないとこ行くんだと思ってた」



 セイラの言葉に頷く。きっと彼女はあっという間に有名になるだろうと思っていた。



「難しいね、地上って」



 朱里ほどアイドルに向いている人間が、インターネットの悪意であっさりとつぶれてしまうのは惜しいと思う。身内びいきかもしれないが、そう思わせるほどの才能が朱里にはあったのだ。



「ひなたは最近どう?」



「私は……普通にOLやってるよ。毎日変わり映えしないし、正直今日ステージに立ってるセイラが羨ましかった」



 セイラはちょっと困った様に笑う。じゃあ戻ってきて、とは言わない。私が戻れないことを、彼女はわかっている。



「本当に良いステージだったよ。セイラが、アストラリズムを続けてくれてよかった。やっぱりセイラは、良いアイドルだよ」



 私がいなくなってよかった、と口にする前に、彼女を困らせるだけだと思って口を噤む。けれど何かを察したらしいセイラが、両手で私の頬を挟んで顔をあげさせた。いつの間にか、後ろめたさから彼女の目を見れなくなっていたことに気が付いた。



「ひなたも、良いアイドルだった!」



 セイラの一言で、ぶわりとアイドルをやっていた3年間の思い出が蘇る。そこでようやく、本当に脱退した実感と後悔が湧きあがって、涙がこぼれた。



「ごめんね、セイラ」



「大丈夫」



 何に謝っているのか、私もセイラもわかっていなかっただろう。本当は何よりファンに謝りたかったけれど、それができないことを2人とも知っていた。


 しばらく話し込んでから、楽屋を後にする。セイラはきっとこれからもアストラリズムを続けてくれるだろう。また見に来ていいか聞くと、彼女は嬉しそうにもちろんと笑ってくれた。


 外はもうすっかり暗い。空を見上げると、三日月の隣に、一番星が輝いていた。

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いちばんぼしのとなり 阿良々木与太 @yota_araragi

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