第3話 脱退宣言

「私、アイドル辞めるから」



 楽屋に戻り、衣装を着替え終えたとき、朱里が静かにそう言った。


 朱里は鏡の前を全部片づけ終えて、大きなカバンを1つ抱えている。その後ろで丸い目をしたセイラが見えた。部屋の温度が下がった気がする。


 アイドルを、辞める?朱里が?どうして。


 ぐるぐると思考していても、朱里は応えてくれない。私のこともセイラのことも見ずに、ただじっと、足元に視線を向けている。



「……どういうこと?」



 冷たい沈黙を破ったのはセイラだった。朱里がゆっくりとセイラの方へ顔を向ける。ほどいた長い髪が揺れた。



「そのまんまの意味だよ。アイドル辞めるの」



「辞めるって、アストラリズムはどうするの」



「別に、続けたければ続ければ」



 朱里がそうぶっきらぼうに言い放ったことがショックだった。この3年間は朱里にとって、別にと突き放せるものだったのか。



「何それ、勝手すぎない!? なんでそんなこと相談もしてくれないわけ」



「やめるって決めたのに、相談したってしょうがなくない?」



 セイラが苛立ちを机にぶつける。ガタンという音と共に、置かれた化粧品が軽い音を立てて倒れた。



「でも、3人のグループのことなんだから、何か言ってくれても……」



 声が震える。セイラの方を向いていた朱里の顔がこちらに向いた。その顔に怒りでも浮かんでるかと思いきや、何もなかった。冷ややかな視線が私に向けられている。



「だから、私が辞めるだけだよ。2人は続けたければ続ければいい。私は辞めるの、もう決めたの」



「……マネージャーは? なんか聞いてなかったの?」



 部屋の隅っこで様子を静観していたマネージャーは、セイラにそう言われて肩を震わせた。



「や、辞めたいって聞いてはいたけど、でも、本当に思ってたとは思わなくて……」



「はあ!? じゃあ私の話適当に聞いてたわけ?」



 朱里が初めて感情をむき出しにする。マネージャーのことだから、冗談か一時のわがままだと思っていたのだろう。朱里に怒鳴られて、彼女はますます身体を震わせて縮こまった。



「もうこんな地下にいるの嫌なの。ずっと変わらない場所で、ずっと変わらないメンツで、代り映えのしない歌うたって。未来なんてないこんなとこ嫌なの。幸いフォロワーも増えたし、私は表に出るから」



 その言葉にますますショックを受ける。私の大好きな場所が、未来のない場所だと言われたことが。セイラも同じだったようで、何か言い返そうとした唇が震えたまま閉じられた。



「……わかった。朱里は辞めたければ辞めればいいよ。ひなたは? どうするの?」



 突然矛先が私に向いて驚く。セイラも朱里も、私を見ている。


 朱里がいなければやっていけない。そうは言ったけれど、朱里がこんなにはやくいなくなるなんて思っていなかった。突然決断を迫られて、心臓がどくどく鳴っている。


 アイドルは、好きだ。アストラリズムのことも。でもそれは朱里が真ん中にいて、言ってしまえば、私があんまり目立たない位置にいたから。グループを背負っているという感覚が薄かったから。


 私とセイラの2人でアストラリズムをやる。できないことは、ないと思う。セイラは頼りになるし、私も今よりもう少しパフォーマンスを頑張ればいい。


 でも、朱里がいなくなって客席の人数が減ることを考えたら、それが何よりも恐ろしかった。



「私は……朱里がやめるなら、やめる」



 セイラが息をのんだ音が聞こえる。朱里も意外そうな顔をして私を見ていた。2人で続けようと思っていたのだろう。



「ひなた、本当に?」



 そう聞くセイラの声が震えている。私は少し迷ってから頷いた。アイドルは続けたいけれど、朱里を失ってやっていける自信がない。



「私は、1人でもアストラリズム続けるよ」



 セイラの言葉に、私も朱里も頷く。



「いいよ。ひなたも、いいでしょ?」



「うん。セイラが続けてくれるなら、嬉しい」



 解散したいわけじゃないから、セイラが残ってくれるなら、アストラリズムの名前を残してくれるなら、本当に嬉しいと思う。けれどセイラは、そんな風に逃げた私をじっと睨んでいた。親を怨む子供みたいな目だった。


 それからの2週間は、慌ただしくすぎた。次のライブで事前告知もなく私と朱里の脱退、アストラリズムというグループにはセイラだけが残り解散ではないことが告げられた。その瞬間のファンの悲鳴が、悲しげな顔が、瞼の裏に張り付いている。


 そうして気づけば、私は地下から出ていた。

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