第3話 “魔女”と“魔法少女”(その2)


 ケイトは、自宅のある高層マンションに辿り着くと、ちょっと憂鬱な思いを抱えながら、エレベーターのボタンを押して扉が開くのを待っていた。

 ケイトの家族がこのタワーマンションに引っ越してきたのは、ケイトが中学生に入学したときのことだ。

 父は建築士で、自分で設計した家に住むのが夢だが、まだその夢は叶っていなかった。

 母は服飾デザイナーだが、アパレルメーカーに勤めており、名前が売れているわけではない。

 彼女の夢は、いつか独立して、自分のブランドを立ち上げることだ。

 ケイトは、そんな両親を誇りに思うし、尊敬してはいたものの、いつも忙しく立ち働いて家を空けることも多く、寂しく思うことも多かった。

 小学校を卒業するまでは、父方の祖父母とともに、二世帯住宅で暮らしていたが、ケイトが中学に入学するのをきかっけに、祖父母と離れて暮らしたいと、母が言い出すようになった。

 祖父母との別居を決めたとき、祖母が病で入院し、祖父一人では広すぎる家を処分することに決めた。

 父は、いずれ、都心から離れた緑豊かな環境の下に、一軒家を構えたいと考えていたが、母に押し切られる形で、勤め先にも近いということから、かつては下町として栄え、現在は再開発が進む臨海副都心の一角にある高層マンションを購入することにした。


 ケイトとしては、引っ越しすることで学区が変わり、仲の良かった小学校の同級生と離れ離れになるのは、ちょっと辛かった。

 でも、新しい友達と知り合えるのは、不安な反面、楽しみでもあった。

 よく一緒に下校するミドリとは、中学に入ってからのクラスメイトですぐに仲良くなった。

 ミドリの家は、この町に古くからある商店街で乾物屋を営んでいて、二つ下の弟がいた。町の少年サッカーチームに入っているそうで、やんちゃそうな少年だった。


「サトシ、あんた、またジャージ脱ぎっぱなしで風呂場に置いといたでしょ。きちんと畳んで置きなさいっていったじゃない」


 ミドリの家に遊びにいったとき、ミドリがまるで母親のように小言を言うのを聞いて、一人っ子のケイトは羨ましいと思った。

 ミドリが年の割にしっかりしているのは、姉としてこの弟の面倒を見て来たせいかもしれないと、ケイトは感じた。


「あんた、朝吹さんにちゃんと挨拶しなさい」


「こんにちは」


「あ、こ、こんにちは」


 サトシがきちんと目を合わせて挨拶してきたので、ケイトの方が赤くなった。


「サトシったら、ケイトを見て赤くなったりして、もう色気づいてるのかしら」


 サトシも赤くなっていたということを、自分の方が先に俯いてしまって、ケイトは気づかなかった。


「汚い部屋だけど、どうぞ」


 ミドリの家の乾物屋は二階建てで、一階が店になっていて、二階にはミドリとサトシの部屋があった。

 汚いとミドリは謙遜したが、畳敷きの4畳半は、掃除が行き届き、男の子の部屋のようにきちんと整理されていた。

 机の隣にあった本棚には、ケイトが読んだことのないような小説の文庫本がいっぱいあった。

 ケイトの部屋にあるような、ぬいぐるみだとか、アクセサリーやポスターなど、女の子らしいグッズはほとんどなかった。

 ミドリの部屋の窓からは、ケイトの住む45階建て高層マンションの上階部分が望めた。


「ねえ、ケイトの“ウチ”ってどの辺り?」


 ミドリが尋ねるので、ケイトは、だいたいの辺りを指さした。


「40階だから、あの辺かな?」


「わあ、いいなあ。今度、遊びに行っていい?」


「いいけど……」


 ミドリの母が部屋まで運んできてくれた緑茶とサラダせんべいを口にしながら、パパやママがいないから、ミドリが来ても、こんなおもてなしができないそうにないと、ケイトは思った。


 *


 ケイトは玄関の扉を合鍵で開けて入ると、空気がひんやりと感じた。

 ママはまだ帰っていない。

 今日はケイトの誕生日だけど、そのことを忘れているわけではないと思う。


 小学校6年のときの誕生日は、学習塾があって、きちんと祝うことができなかった。

 祖母がケイトのためにバースデーケーキを用意してくれたが、昔のようにみんながテーブルに集まって、蠟燭を吹き消すようなイベントはもう行うことはなかった。

 塾から帰ると、父も母もまだ帰っておらず、祖父母がケーキの傍でニコニコしながら待っていた。


「ケイトちゃん、こっちに来て、さあ、さあ」


 ケイトはケーキの傍で蝋燭に火を灯そうしている祖父母を見ていると、不機嫌になった。


「いいよ、おばあちゃん、無理しなくても」


「どうしたの、ケイトちゃん、学校か塾で何か嫌なことでもあったのかい」


 おばあちゃんは何もわかってないと、ケイトは思った。


「別に何もないけど、もうお誕生日を祝ってもらうような歳じゃないもん」


 ケイトは、そのとき捨てゼリフを残して自分の部屋に駆け上がっていったのをとても後悔した。

 翌日、朝を起きて食卓に着こうとすると、椅子の上に祖父母と、両親からのプレゼントがあった。


「その箱はパパとママから、そっちの包みは、おじいちゃんとおばあちゃんからね」


 すでに朝食を済ませて仕事に出かけようとしていたママが忙しそうにそう告げた。

 両親からは約束していたスマホと、祖父母が選んでくれたのは、ミトン型の手袋だった。

 正直言って、手袋のデザインは、ウサギがモチーフで、12歳になった自分には、子供っぽいと感じられた。


「こんなの幼稚園の子じゃないんだから、できっこないよ」


 両親から貰ったスマホと比べて、ケイトは腹が立った。

 さすがに捨てることはなかったが、箪笥の中に仕舞いっぱなしで、一度も使ったことはなかった。

 ある日ケイトは、外に出かけるときに、別の手袋をしている自分の手元を、祖母の視線がちらちらと、追いかけてくるのを感じた。

 もし何か言われたら、「だってあの“手袋”だと、指が出せなくて、スマホが弄(いじ)れないもん」という言い訳を考えていたが、それについて祖母から言葉を発してくることはなかった。


 その数日後、祖母は体調を崩して入院し、二度とこの家に戻ることはなかった。

 それ以来、ケイトは寒い日が来ると、祖父母からもらったミトンを使うようになった。


「その手袋、可愛いね」


 ミドリがケイトの手元に気づいて言った。


「やっぱり、変だよね、でも、これ、おばあちゃんからのプレゼントなんだ」


「変じゃないよ、ケイトらしくて可愛いじゃん」


 あの時の自分は、可愛いものが妙に子供っぽいと思って、素直に可愛いと言えなかった。

 今は、ちゃんと可愛いものを可愛いと思える。反対にあの時の自分の方が子供だったのかもしれない。


「今年は、もう誕生祝いはしなくていいから」


 多少強がりでそう言ってしまって、13歳のときの誕生日にテーブルの上に本当にバースデーケーキが用意されていなかったのを見て、ケイトは少しだけショックだった。


「あら? バースデーケーキはもういらなくていいのよね?」


 ママは、体にいいからと言って飲み始めた赤ワインのグラスを傾けながら、リビングルームに顔を出したケイトに向かってそう告げた。

 

 誕生祝いとか、もう子供じゃないんだからと思いながら、いざバーデーケーキがなくなると、それはそれで寂しいと感じたり、自分はなんて我がままなんだろうと、ケイトは思った。


 そして、今年の誕生日は、ケーキだけなく、両親もいない。

 7時までに両親が帰らないときは、ピザとかドリアとか、冷蔵庫に入っている冷凍食品をレンジで温めて食べることが“朝吹家”の取り決めとなっている。

 父は最近仕事が忙しくて徹夜が多く、母も深夜過ぎでないと帰らないことも多い。

 ケイトは、凍ったラザニアをレンジに入れて、レンジのタイマーをセットした。

 そして、誰もいないリビングで、久しぶりにミトンを取り出して眺めてみた。

 昨年までぴったりだった手袋は、何度か洗って縮んだせいも多少はあるけれど、自分の手が大きくなったのか、サイズが合わなくなってきている。


 ミトンから少しはみ出した手のひらを眺めて、クスクス笑っていると、ベランダに面したガラス戸が「コンコン」と音を立てて鳴ったので、ケイトは、ドキッとした。


 気のせいかと思って、カーテンが引かれたガラス戸の方を振り向くと、再び「コンコン」と音がした。

 誰かがガラスをノックしているような音だ。


「ねえ、ちょっとこの扉、開けてちょうだい」


 くぐもった女性の声がした。


 ケイトは、すぐさま“泥棒だ”と思ったが、すぐに思い直した。


(女性の泥棒? だって、ここは高層マンションの40階よ?

 どうやってここまで登ってきたの?)


「ねえ、お願い。ちょっと、あなた、アサブキ・ケイトちゃんでしょう?」


 自分の名前を呼ぶ女性の声が、カーテンの向こうから聞こえた。


「大丈夫、私は怪しいものじゃありませんよ」


 ケイトは恐る恐る、カーテンが引かれたガラス戸の方に近づいて行った。

 カーテンをそっと開けると、そこには黒づくめの女性の姿があった。


「だ、誰ですか?」


 女性は目が合うと、ニッコリとほほ笑んだ。


「14歳のお誕生日、おめでとうございまーす、ミス・ケイト」


 

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魔法少女ノワール・ケイト 未来乃メタル(みらいの・めたる) @kujirapenguin

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