無辜の少女の探し物

安永鳩代

無辜の少女の探し物

 毎年、冬になると小学生の佐子にはふしぎに思うことがあります。

 学校の女の子たちのあいだで、すこし大きめの服を着て袖口から指先だけをちょんと出した着方がはやっているのです。


「『萌え袖』っていうんだよ。あ、リョウトくんもしてる。かわいいね」

「もえそで……」


 友だちがいうので、つられて佐子がそちらに目を向けると、たちまち顔をしかめました。さりげなさをよそおった稜斗くんがぶかぶかのパーカーを着て、萌え袖を見せつけていたのです。


 稜斗くんは女の子のようなかわいらしい顔をしています。「カワイー」と、とりかこむ女子たちに「やめろよー」とわざと嫌そうな顔をつくっていうくせに、ちやほやされて心の中でよろこんでいるのがばれないように必死にがまんしているのです。


 あざとい系男子です。佐子はそのようすが女々しくて単純にきもちわるいと思いました。見れば見るほどそのあさましさが透けて見え、


「これはあってはならないことだ……」


 と、佐子は思いました。

 むねの内側から、ふつふつと昏いなにかがわき上がっているのを感じます。

 これが『ぞうお』か――おのずと佐子はりかいしました。それほどまでに『萌え袖』がゆるせなかったのです。ジェンダーレス男子? むずかしい言葉は佐子にはわかりません。


 その日の帰り道、佐子は通学路にあるほこらの古びたお地蔵さまがたおされているのを見つけ、もとにもどしてあげます。神さまはだいじにしなさいと、お母さんに言われていたからです。


 佐子が去ったあと、お地蔵様の目が光っていましたが気づきませんでした。


 その後も、佐子は『萌え袖』に対するにくしみを静かにくすぶらせていましたが、ある日、夢の中に人影があらわれていいます。


「わたしはまえにきみに助けてもらったお地蔵さんだよ」

「神さま?」

 佐子は首をかしげました。


「そうさ。このまえのお礼にきみの望みをかなえてあげ――」

「じゃあこの世から萌え袖をほろぼしてください」

 佐子は神さまの言葉にかぶせるようにおねがいしました。


「うむ、よかろうなのだ」

 神さまのシルエットがうなずいたように見えました。

 次の日、肌寒さを感じて佐子が目を覚ますと、着ていたパジャマがノースリーブになっていました。寝ているあいだに袖が肩口からはじけ飛んだようでした。どうりで寒いはずです。


『袖がなければ萌え袖もできまい』


 佐子はそこまで望んではいませんでしたが、なにしろ神さまはおおざっぱだったようです。居間に下りてテレビを点けると、世界中でおなじことがおこって大あわてです。衣服の肩から先がこっぱみじんに爆散し、あざとい子も、じみな子も、ヤンキーな子も、かん違いはなはだしい男の子もみな平等に袖をうばわれたのです。


 もうこれでだれも萌え袖できません。佐子はひとまず、ねがいがかなったことをよろこびました。

 学校へ行くと、みんなも破れた服から肩をだした野性味あふれるスタイルでした。


「今日はみんなワイルドだね」

 と、佐子はのんきなことをいいますが、みんなはそれどころじゃありません。

 袖をうしなって「ない、ない」と寒さのあまり泣きさけぶ子もいました。


「この学校に袖をうばった犯人がいるはずです」


 寒さからかヒステリックにさわぎたてた女教師がいいます。佐子はどきりとしましたが、何食わぬ顔をして過ごしました。ふかのうはんざいです。ばれるはずがありません。


「心当たりのある人は、先生のところまで来なさい」

 けれども、子どもたちは、そろってこまり顔を浮かべるだけです。

 担任の女教師はますますおこって、授業をわすれて犯人探しを始めました。子どもたちを机に伏せさせると、


「怒らないから、なにか知っている人は手をあげなさい!」

 と、いきおいよく教卓をたたき、きついちょうしでめいれいします。もちろん、だれも手をあげなかったので、長々と引き延ばされ、ただただ時間だけが過ぎていきました。

 佐子は「これが毎日続くのはいやだなあ」と思いました。女教師がきんきんとがなりたてるのにたえられないのです。やがて佐子はけっしんしました。


「まことに遺憾ッ……!」

 と、佐子はよくニュースでえらい人が口にしているフレーズを思い出して告げると、教室をとびだしました。うしろでおばさんがなにかさけんでいますが、おかまいなしです。


 失くした袖を探しにいくのです。


 学校をとびだし、袖を探して地元を歩き回った佐子は、ゆく先々でさまざまなものを目にしました。

 布地をカツアゲして肩パッドにするモヒカン、「今日より明日なんじゃ」と、すがる老人をからむりやり服をはぎとるおとなたち。凍死した死体からかつらをつくる老婆。


 佐子はわるいおとなたちにおびえながらも袖を探します。

 けれども、世界中の袖が爆発四散してしまったので、かんたんには見つかりません。となり町には、うしなった袖のかわりに両腕に太いくさりを巻きつけている人もいました。「なかなかにイカしてる……」と、佐子は思いましたが、これも袖ではありません。

 佐子は、さらにそのとなりの町まで歩きました。


 やっぱりなくした袖はどこにも見つかりません。身もこおるような寒さのなか、太陽がしずむまで歩きつづけた佐子は、しだいに疲れはててしまい、道ばたで眠ってしまいました。

 すると、夢に神さまがあらわれました。


「いったいどうしたんだい?」

 神さまがふしぎそうにたずねます。佐子はすかさずいいました。

「萌え袖はクソだけど、でもさすがに袖がないとさむいの」

「それはこまったなあ」

 なんてことのないように神さまがいいます。


「袖がないのはイヤ。袖がないのはイヤ……」

 佐子は寒さにぶるぶるとふるえながら、うわごとのようにくりかえします。

「そうかい? じゃあ――」


 神さまの黒いりんかくが、ふっと笑ったようにじゃあくにゆれました。通学路にある小さなほこらが『ナイ』という古いそんざいを祀ったものであるということは、佐子はまったく知らなかったのです。



《ヒトでもわかる黒の聖書〈ナイアール記〉 4章2節「失せ物のこと」》より


 *


『――本を読んで、大昔のニンゲンには『腕』という部位があったなんてびっくりしちゃいました。わたしにはぜんぜん想像できません』

 冬休みに学校から出された課題の読書感想文にそこまで書いたところで、顎が疲れたのか少女は口に咥えていたペンを机に置いた。

「腕、かあ。どんな感じだったんだろう……」

 少女はひとり呟く。

 遥か昔、ニンゲンの両肩から先には肘があり、その端には手のひら、そして指といった『効率的に物を掴む』ための上肢が存在していた、というお伽話がある。

「お猿さまみたいなのかなあ」

 少女の着ている服に袖はあるが、学校では身体のバランスを取るために先端に重りを吊るす部分だと習った。例によって華美な重りは禁止である。『萌え袖』が第二の原罪に位置付けられていることを鑑みた校則だった。

 階下のリビングから『夕飯よ』と呼ぶ声がして、少女は「はあい」と返事をし、転びそうになりながら慌ただしく降りていった。


 人類が失くした探し物はいまだ見つからない。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無辜の少女の探し物 安永鳩代 @ysng

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ