第7話 呪われた記憶
私の生家は、商売をしていて、住み込みのお手伝いさんがいました。大人しい人でしたが、たまにひどく機嫌が悪いことがあり、突然ものも言わずに背負われて、家の外を歩き回ることがあります。
たぶん、4歳頃の記憶。
「家に帰ろうよ」
「うるさい! こんちくしょう!」
ところ構わず八つ当たりをして、私を背負ったままバケツや桶や、ブリキの壁をガンガン蹴るのです。しばらく荒れると家に帰り、澄ました顔でおやつを出してくれます。
「嬢ちゃん、饅頭お食べ」
「あれ、あれ、冷たい足だ、こっちに来てあったまろうかね」
日頃、両親に構ってもらえない私はおヨネさんの姿が見えないと不安になり、よく探して回りました。
「嬢ちゃん、コンコン様にお参り行こうかね」
家の裏にお稲荷さんの社がありましたが、おヨネさんはさらにその奥の林に入り、松の木の下に私を下ろすと、木に向かって金槌を振ります。
「こんちくしょうめが、死にやがれ」
金槌の音が林の中で反響します。そんな時のおヨネさんは目をひきつらせ、ケケケと、奇妙な笑い声を立てます。私は少し離れたところで、眺めていました。
小学校に入学したころには、すでにおヨネ家にはいませんでした。ただ、通学路でたまに見かけることがありました。
金槌を持ったまま、裸足で道を走ってゆく姿や、桶の水を通りにぶち撒けている姿、そんな時には「死ね、死んじまえ」と何かに立ち向かっているようで、声がかけられません。
「おヨネさんによくおんぶしてもらったよね」
子供心にも、泥だらけの素足で走り回るおヨネさんが気の毒に思えました。母も「身よりがなくて、可哀想だったから住み込みのお手伝いさんをお願いしたの」と眉をひそめる。
「なんで来なくなったの?」
「あの人ね、誰かを呪っているんだって、何回も警察のお世話になったのよ」
母はなんでもないことのようにのんびり話す。
「呪いなんて嘘だから、何回捕まっても出て来ちゃうの。本気にしないのよ」涼しい顔をしています。
中学生の時に、いつかの林に入ったら、見覚えがある松の木に、藁人形が5寸釘で打ちつけてありました。人形の横には、私の名前を墨で書いた短冊が貼り付いています。
私は誰にもこの話をしたことがありません。子供に呪いなんて、理不尽過ぎる。しかし、私は健康体です。5寸釘を打たれたところで害はないけど、気味が悪い。
その後、おヨネさんは、結核にかかり入院したと聞きました。亡くなったあと、我が家で簡単な葬式をしました。
おヨネさんが暮らしていた、バラックは父親と二人で片付けました。
軽トラックに投げ込まれた荷物には、父親の若い頃の写真が幾つもありました。
「お父さん、おヨネさんて、恋人だったでしょ」
「ばか言うな、ずっと付き纏われて困っていたんだ。それを母さんが家に入れた」
「どうして?」
「子供になにかされたら困るから、見張っていたんだ」
「藁人形はあたしだったんだよ」
「母さんが呪い返しをしていたから、問題なかっただろ」
母は藁人形を回収すると、神社で祈祷をしてもらっていたのだと言う。
呪いだとか、呪い返しだとか、大昔の遠い話しだと思っているなら、それでもいい。一応、知らせておくと、警察には逮捕されます。脅迫罪が適用されることがあるのです。脅迫罪の条文には、『生命、身体、自由、名誉又は財産に対して害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する(刑法222条1項)』とあります。『呪ってやったからな』という発言がきっかけで、相手が精神を病み、体調を崩して病気になった場合は傷害罪に問われる可能性があります。実行行為が言葉のみとなると、長期間にわたり多数回当該発言を繰り返しノイローゼにさせる、といった極端な事案になるらしい。
おヨネさんは、丑の刻参りの作法を知らなかったのです。ただ釘を打てばいいって訳じゃない。日本に古来からある呪いですから、侮ってはいけません。
東京奇譚 夢幻のストーリー きしべの あざみ @sainz
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます