第6話 四谷大木戸


 幼稚園から小学校低学年の頃のことだ。夏休みに1週間ほど、神楽坂の叔母の家に預けられた。


 田舎で育った私には、街の中の暮らしは退屈で、朝から裏の小さな公園で遊ぶほかはすることがなかった。昼間、体を動かさないせいか、深夜になっても寝つけずにいた。


二日目の晩に、車が行き交う音に混じって、なんとも奇妙な音が聞こえてきた。

ガランガランジャリジャリと重たいものを引きずるような音だ。


「おばさん、起きて、叔母さん」

家の周りを徘徊している音に我慢できずに、横に寝ている叔母を起こした。


 叔母は2階の窓を少し開けて、外を見ていた。

「ちょっと見に行こうか。金棒引きだったら大変だ」

 叔母は好奇心旺盛で、とても活発な人だった。神楽坂で食堂を営んでいた。小料理屋の体裁だったが、なぜか食堂だといいはる。


 叔母に手を引かれ、深夜の神楽坂を下った。すると、あたりに薄い煙が流れている。

「いいかい、公園までいくよ、すごいものが見えるかもしれない」


 公園に1mほどの小山がある、叔母が山のてっぺんに膝を抱えて座った。

「金棒引きってのは、火事を知らせる合図なんだ。だけど、今どき金棒引きなんてのはいないよ」

「ほら、あっちが燃えてる、そっちが四谷大木戸の方角だ」


 叔母は夜着の浴衣姿に毛糸のショールを巻いていた、私はパジャマに半纏を着せられていた。深夜の寒さの中、叔母は目を輝かせ、あたしは息を詰めている。


 半鐘が鳴り出した、火消しの纏が走ってゆく、馬が土埃をあげて、その間をどこから湧いて出たのか人々が右往左往し始めた。大八車には山積みの家財道具が積まれている。


「叔母さん、怖い、逃げよう」

「これは幻だよ、騒ぎは聞こえない。よく見てごらん、ビルの風景と、江戸の風景が重なっているんだ、火事は江戸を焼いている、お前にも見えるのかい、そうかい、そうかい」

叔母にもたれて、頭を撫でられながら、町が火事で真っ赤に燃える様を眺めた。


「あの日は、大木戸が閉められて、みんな木戸が越えられず、きっとこのあたりも死人が出たよ。死人だけじゃない、馬や牛も死んだんだろう、あの火事で江戸は10万人の死人が出た」


 回り灯籠の影絵のような風景を、夜が白むまで眺めていた。


「あっちが赤坂、向こうがお城」

叔母は、ひときは赤くなる方を指差した。

なんとも不思議な夜だった。


 早朝の町はいつもの風景で、叔母はシャラシャラと石畳に下駄の歯を滑らせて「あら、早いじゃないか、おはようさん」などと、何事もなかったように歩いている。


「他の人は知らないの?」

「わからないよ、あたしも20年も昔に迷っただけだから。高みの見物をしたと思いな」と諭された。


 私は大人になるにつれ、あれは『明暦の大火』と言われる大火事の風景だったのではないかと、しだいに見た風景の正体を知るようになった。


 あれから、何年かに一度、住まいを変えて、幻想的な風景を探す。


 江戸の町は、百鬼夜行に出会った話もあるし、刑場跡もある。土地の昔を知ることだ。


人気がない町の散歩は欠かさない。

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