第3話

 出されたお茶は、どくだみとはとむぎが入っているという、今まで見たことのないものだった。有泉が親に頼んで、町の外のスーパーで、仕事の帰りに買ってきてもらった珍しいお茶らしい。ジュースや紅茶ではなくこういうものが出てくるのも、なんとも彼女らしかった。 

 周りには数軒家があるだけで、家の裏は小高い山になっている。暗くなってくると灯りも少なく、とっても遠くに来たような気になってきた。

ストーブをつけ、炬燵で暖まりながら、有泉の母親が用意してくれたというクリームシチューを食べる。同じように作っているはずなのに、真琴の家のシチューとは違う味だ。なにがどう違うのかと思いながらも、夢中で食べるうちに皿は空になってしまった。食べ終わると、彼女はさらに餅を取り出し、灯油ストーブの上で焼き始めた。

 満腹になったからか、口数が少なくなる。もともと二人ともそれほどおしゃべりなほうではなかったが。

 じっと部屋の中を見ていると、カレンダーが目に入った。今は十二月だが、隣に来年の分も貼られている。一月七日に、七草がゆと書かれているのが目に入った。

「有ちゃんちは、七草がゆを食べるの?」

「うん」

「いいなあ。七草、どこで摘んでくるの?」

「庭に生えてるの」

 この町の一月に、そんなに青々と茂っている野草があるとはあまり思えない。まだ残っている葉を申し訳程度に入れるだけになるのではないだろうか。今ならそう思うのかもしれないが、当時の真琴は、さすが有ちゃん、と感心した。

「あの、春の七草のこと、覚えてる?」

「なんかあったっけ?」

「一年生の理科の授業で、先生が、春の七草の話、してたでしょう」

「一年生のときって、同じクラスじゃなかったよね?」

「うん、でも先生が一緒だったじゃない」

「そうなの? どの先生がどのクラスを教えてたかなんて、よく覚えてるね」

 そう言われてしまうと、有泉が春の七草の和歌を覚えていたことを先生が話していた、という話題を出しにくくなってしまった。

「有ちゃんちはいいね」

 ちょっと話題を変えてみることにする。

「なにが?」

「七草がゆが食べれて。それに、本がたくさんあるし、お母さんも優しそうだし」

「あの人、本当の母親じゃないから」

 真琴は、え、と思った。なんと言ったらいいか考えていると、有泉はさっと席を立ち、真琴の分のお皿も持って台所へ行ってしまった。そのまま洗い物を始めた。

「有ちゃん、お餅、膨らんできてる」

「ああ、適当に下ろしといて」

 そうこうしているうちに、それ以上のことは訊きそびれてしまった。

 慣れない状況のせいか、いつになく寒いせいか、二人とも九時ごろには布団に入った。

「寒い? ごめんね、家、ストーブしかないから、あんまりあったまらなくて」

 そのストーブも一階の居間にしかなく、二階の有泉の部屋には暖房器具はない。有泉は手際よく二人分の湯たんぽを用意し、布団に入れた。

 布団にすっぽりくるまると、湯たんぽのおかげですぐ暖かくなった。もう今日は布団から出たくないと思った。

 これからなにか話すのかなと思っていたけれど、有泉は電気を消すなりあっという間に寝てしまったようだった。

(勉強頑張ってるのかな……)

 半日一緒にいたので、それなりに心ゆくまで話せていた。これ以上話すと、話したいから話すというよりも、義務で仕方なく話すことになってしまうのかもしれない。

 彼女の判断はいつもきっぱりしていると思いながら、真琴もやがて眠りについた。

 朝起きると、隣に有泉の姿はなかった。はっとして一階に下りると、ガス台に向かってなにか作っていた。真琴の気配に気がつくと「おはよう」と言って振り返った。

「ベーコンエッグ作ってるの。それでいいかな?」

「すごいね。いつも朝ごはん作ってるの?」

「一人だったらここまでしないけど」

 有泉は楽しそうに、手際よく二人分の朝食を用意した。

 ゆっくりご飯を食べて片づけをして、いつ帰ったものかと思っていると、やがて有泉の母と弟が帰ってきた。

 昨日の話を思い出したが、屈託なく微笑むお母さんはどう見ても有泉にそっくりだ。弟だって、彼女をそのまま男の子にしたのではないかと思うくらいよく似ている。三人が一緒にいる様子だって、ごく普通の家族のもので、複雑さなどみじんも感じさせない。

 昨日の話はなんだったのだろう。あの春の日の一件を除き、有泉は気軽に嘘をつく人ではないことはよく知っていた。ちょっとそういうことを言ってみたかっただけだったのか、もしくは、あんな話を聞いたことすら、夢だったのか。

「敏子さん、松宮さん、昨日のシチュー美味しかったって」

「あら、お友達の前でそんな呼び方しちゃって。松宮さん、びっくりしてるじゃない」

 やはり血縁関係がないんですか、と尋ねたい気持ちでいっぱいになりながらも、さすがにそんなこと言えるわけがない。真琴が帰るときには、敏子さんは「また来てちょうだいね」とにこにこしながら手を振った。

 ドアを開けると、そこにはいつも身近にあるのと同様の景色が広がっていた。本当は昨日よりも一日分寒さが増したり、草が枯れたり、虫が死んだり、枯葉が樹から落ちたりしているのだろうけど、そこにあったのは、ごく平和そうな冬の一日の始まりだった。

「バス亭まで送るよ」

 有泉は、真琴の後をついてきた。

「あの、私、歩きで来て、帰りも歩いて帰るんだけど」

「まあ、私もちょっと歩きたいし」

 一緒に歩きながら、真琴は有泉がなにを言うか待っていた。

「あのね、本当はうちでも七草がゆは作ってないんだ。ごめんね、うそついちゃって」

「うん」

 やがてバス停が見えてきた。

「有ちゃんのお母さんって、双子の姉妹がいるの?」

「いないよ。お兄さんがいるだけ」

「うちは三人兄弟の真ん中なんだって。私と同じで」

 二人はまた無言になった。

「七草がゆって、どんな味なんだろうね。どこに行ったら食べられるのかな」

「多分その辺に生えてる草を入れたような味だと思うよ。だってハコベとか、そんなに特別な味しそうもないし」

「ハコベ?」

「よく道端に生えてる草。あれ、インコが喜んで食べるんだよね」

「ふうん。まあ、そんな大したもんじゃないんだろうね」

 真琴はそう言いながらも、やはり七草がゆに憧れていた。一度は食べて、どんなものなのか確かめてみたかった。そして、淋しいけど、その望みがかなったときには、今隣にいるこの子は、もう自分の近くにはいないのだろうことも薄々知っていた。

「泊りに来てくれてありがとう。また来てね」

 有泉は予定通り、バス停まで来ると、そのまま家へと戻っていった。

 霜柱が解け始めて、ぬかるんだ道を歩きながら、真琴は、あんなこと言うんじゃなかったと思った。

 家に着くころには、もうすっかり陽が高くなっていた。


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七草がゆ 高田 朔実 @urupicha

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