第3話 龍を封じる者

 洞窟は入り口こそ狭かったが、すぐに大人が立ってあるけるほどの高さとなった。二人が装着したヘルメットには暗闇を照らすライトが取り付けられている。京香は洞窟の天上からぶらさがる乳白色の鍾乳石や、下からタケノコのように生えている石筍せきじゅんの美しさに感動した。


 百メートルも進まないうちに、五郎が言っていたゴールの鳥居が見えてきた。それは赤く塗られた素朴な鳥居で、その手前に小さな泉――小規模な地底湖――が澄んだ水をたたえている。


 二人は鳥居の前に置かれた木箱も発見した。リンゴ箱ぐらいのフタ付きの木箱。そこまでは五郎の言葉どおりだったが、どういうわけか箱のフタは大きく開けはなたれていたのだ。


「案内人さん、確か箱を開けるなって言ったわよね?」

 京香が震え声で慎也の袖を引っ張った。

「言ってたね」

 応える慎也の声に緊張がにじむ。

「わたしたちが着いたときには、もう開いてるんですけど。これ、どうしたらいい? 五郎さんに教えないと」

 京香は助けを求めるようにきびすを返し、来た道を引き返そうとする。


「ちょっと待って! 京香ちゃん、何か聞こえるでしょ。キミには聞こえるはずだ」

 慎也が京香を制止した。

「物音も何も聞こえないけど…… 慎也くんは聞こえるの?」

「いいや俺には聞こえない。超音波だから、京香ちゃんにしか聞こえない」


 その言葉で、京香が洞窟へ誘われた理由がわかった。彼女は常人では聞こえない高い周波数――超音波――を聴くことができるのだ。もともと鋭敏だった彼女の聴力を残響趣味が鍛えたおかげのかもしれない。


「え……」

 京香は耳を澄ませた。確かに聴こえる……慎也が言うように洞窟内に鈴を鳴らすようなかすかな音が鳴り響いていた。


「確かにリーンって音がする」

「その音がする場所を俺に教えて。それと天井を見たらダメだよ!」

 慎也は不思議なことを言う。


 京香が目を閉じ、両手を耳に当てた。そうすることで涼し気な音の発信源がより明瞭になる。超音波を発する場所がすぐさま特定できた。

「泉よ! 鈴の音は泉の中から聴こえてくる!」

 彼女は地底湖を指さした。


「使い捨てカイロを持ってたよね、それ俺に渡して。上は絶対見るな」

 語気鋭い慎也の口調に京香は言われるままにしたがった。ポケットの中で温まったカイロを手渡す。


 彼はカイロの袋を力まかせに引き破った。使い捨てカイロの主成分は鉄粉と塩、それに活性炭だ。

「この鉄粉が泉の底に沈んだ『鉄』を呼び覚ますんだ」

 慎也はカイロから取り出した黒い粉末をサラサラと泉の中へばらまき、口の中で小さく呪文をとなえる。

 短い詠唱が終わった瞬間、地底湖の透明な水が青い燐光を放った。


「きゃあ!」

 まばゆい光に京香が悲鳴を上げる。彼女は驚いて体をのけぞらせた拍子に、慎也から禁じられていた洞窟の天井を見上げてしまった。


――そこに龍がいた。


 巨大な黒々とした眼球を艶めかせて、地上の二人を見つめている。これが木箱の中身だったのだろうか。しかし天井に鋭いかぎ爪を打ち立て、逆さまに張りつく化け物の巨体は、ゆうに5メートルはあった。とても木箱に収まる大きさではない。うろこにおおわれ、うねる蛇体についた頭部には鋭い牙がならぶ。それは古来絵画に描かれてきた龍の顔そのものである。龍は大きく開いた口から粘液質の唾液をたらしていた。荒くたかぶる鼻息は、食餌しょくじを前にした猛獣のそれだ。


 京香は息をのんで地面にへたり込んだ。


 慎也が燐光を放ち続ける泉に手を突っ込むと、青く輝くつるぎを取り上げた。振り向きざまに天井から地上の二人めがけて襲い掛かってきた龍の頭部に剣を振り下ろす。コバルトブルーに輝く刃はシュと音を立てて大気を切り裂き、


 ガシュ!


 甲殻類を砕きつぶすような音が洞窟内に響く。剣の刃が龍の頭部を割った音だ。

 一瞬遅れて、さきほどまで龍であった化け物が体液をぶちまけながら地面に落下してきた。腐ったヘドロのような臭気が周囲に立ち込める。


「何なのよ、これ」

 京香は腰を抜かしたまま、怪物の残骸を指さす。

「龍だよ。古来から言い伝えがあるだろう」

 慎也は手にした長い剣を振って、龍の黒い血を振り飛ばした。


「龍って……案内人の五郎さんはそれを知ってて」

 京香はブルっと身震いした。

「そう、彼は何も知らない旅行者をダマして龍の生贄しているんだ。たぶん彼だって地元のために仕方なくやっているんだろ。龍を鎮めるためには犠牲が必要なんだ」

「じゃあ、洞窟の木箱って何のために」

「それは天井に潜んだ龍に気づかせないギミックだ。本来閉まっているはずの箱が不自然に開いていたら、人の注意はそこに集中するだろ? そうして生贄の気をそらしたところへ背後から龍が襲いかかるって段取りさ」

 淡々と語る慎也の言葉に京香はめまいがした。これはファンタジーの世界ではない、現実なのだ。


「一番大切なこと聞いてなかった。慎也くん、あなたって何者?」

「俺は『龍を封じる者』。洞窟に巣くう龍を退治すること。先祖代々受け継いできた宿命さ。日本の洞窟にはまだまだ龍が棲息しているんだ、だから……」


 信じがたい話を続ける慎也の顔を、京香は呆けたように見つめていた。彼にはまだまだ秘密がありそうだ。すべて探り出さないと深いお付き合いはできないなと思いながら。


 終

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龍の泉が輝く時 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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