第4話 鼠小僧次郎吉

「もう大丈夫のようだ。落ち着いたかい」

「旦那、ありがとうごぜえます。この恩一生忘れやせん。必ず何かの機会に、お礼をさせていただきやす。でも、あの同心をどうやって手なずけたんで?」


「ああ、俺の十八番おはこさあな。これをめぐんでやったのよ。ほれ、こいつだ」

 万字は、懐から先程から描いていた、月の絵を取りだす。男はそれを受け取った。

 

 そこには……月の絵だ。しかし、月の影の模様を見た男は、

「あや! こいつぁ……」


「そうよ。お前さん。月の模様は何に見えるね? 俺にはそう見えるのよ」


 雲間に浮かぶ丸い月、その表面の黒い影のなす模様は。


春画しゅんが……」

 男は、目を丸くして呟く。


 春画とは江戸時代に流行した性風俗(特に異性間・同性間の性交場面)を描いた絵画のことである。


「そうさな。俺には月兎げっとがどうしてもそう見えてな。つい描いちまったよ。あの助平すけべ同心喜んでやがったな。俺はしがない絵描きだが、お前さん、何をしでかしたんだい。そんぐらいは聞いてもよかろう?」

「へえ、あっしこそ、しがない盗人でござんすよ」

「そうかい、あの助平同心は、お前さんの事をちらっと鼠と言ってたが、本当かい? お前さん、ちまたで騒がれている『鼠小僧次郎吉ねずみこぞうじろきち』かい?」


 男は頭を掻く。沈黙の後、万字を真っすぐに見て語り始める。

「ほかでもねえ、命の恩人に嘘はつけねえや。そうでやす。あっしが、巷間こうかんで言う鼠小僧次郎吉でごぜえやす。そういう旦那こそ、あっしの見たところ浮世絵師『葛飾北斎かつしかほくさい』様では」


「おう。ちょっと前まではな、そう名のってた。今は、『万字まんじ』だ。ところでお前さん、さっきは墨で髭を描いてすまなかったな。これでもちっとは変装のつもりだったんだぜ」

「へえ、十分ごまかせやしたぜ。ありがとうごぜえやす。ちょうど川があるんで失礼して洗ってきやす」


 次郎吉は、川岸へ行って顔をこする。その後ろ姿と月を見て、万字は素早く筆を動かした。

「うーん。月下の鼠か……。つやが足りねえな……。あの月の下になまめかしい女でもいればなあ……」

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