第3話 万字とその弟子

 かただろう、走って来た男たちが、万字と黒装束の男を取り囲む。

 同心どうしん十手じゅってを取りだし、おかきと手下は、御用提灯を突き出す。


 同心は、有無を言わさぬ低く重い声。

「ご老人お騒がせいたす。その男、われわれが追っている男かもしれん。

 あらためるゆえ、そこな男、こちらを向けい!」


 黒装束の男は、同心に顔を向けた。おまけにニコリと微笑む。提灯を近づける手下たち。


「お武家様、あっしは、しがない絵描きでございますが、あまりにきれいな月につい絵心が湧いて、ここで描いていたのでございます。こやつは私の弟子でございまして。何ごとでございやしょうか」

 下手したてに出る万字。


「うむ。夜盗である。とある大店おおだなから大枚たいまい千両が盗まれてなあ。どうもねずみが盗人を働いたような……」

「え、鼠と言うと、ちまたで噂の鼠小僧ねずみこぞうの事でございますか?」

「おっと、いや、要らぬ事を申したようじゃ。とにかく、ご老人には悪いが、その若い男、番所で取り調べさせていただく。ものども引っ立てい!」


「あいや、お武家様しばらく、しばらくお待ちを! あっしらは、あのおぼろに浮かぶ月を描いていただけでございます。そういや怪しげな男が、さっき向こうに走って行きやした。多分そいつが夜盗でございましょう。ここは、この特別な月の絵を差し上げますので、これで番所の方は、ご容赦を」


「なんじゃと、月の絵とな」

 万字は、さきほど描いた月の絵を手下てしたに見られぬように同心に渡す。それを見て目を丸くする同心。


「こ、こ、これは」

「いかがでございましょう。お目汚しとは存じますが、これでご勘弁を。我が弟子は決して夜盗ではございません。ここでのお調べで、番所へ行く必要はないかと」


 万字から渡された月の絵に見入っていた同心は、素早く絵を懐に入れて手下に向かって言い放つ。


「この者たちは、ただの絵描きである。夜盗は、この先に逃げたようじゃ。者ども急いで追うのだ!」

「へい!」

 男たちは、再び夜の道を走り出す。


 同心は、にやけ顔で万字に言い残す。

「ご老人、また会うことがあれば、絵を所望してもよろしいかの?」

「よろしゅうございます。腕によりをかけて描きますゆえ」

「ほ、ほんとうじゃな。絶対じゃぞ」

 後ろを振り返りつつ同心は、駆けて行った。


 一行の姿が十分見えなくなったところで、黒装束の男は、大きなため息をついた。

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