東田子の浦駅

増田朋美

東田子の浦駅

今年はとても正月という気にはなれず、なんだかお祝いするのも無理なのではないかと思われるような出来事が相次いでいる。命に関わるような災害や、気持ちが沈んでしまう不祥事が多い。テレビでは日本の将来が心配だとか、諸外国との関わり方とか、そんなことばかり報道していて、肝心の気持ちのもたせ方とか、気持ちを切り替える方法とか、そういうことは全く報道してくれないから不親切だ。テレビとかスマートフォンとかパソコンとか、そういう情報をつたえるものが多すぎるくらいあるのに、本当にほしいものが手に入らないというのはどういうことなのだろうか?

そんな日でも、製鉄所ではとても深刻な問題が発生していた。

「あーあ、また食べないか。」

杉ちゃんは咳き込みながら、由紀子に口元を拭いてもらっている水穂さんを眺めながら言った。

「お正月になって災害ばかり続いたからね。生きていて申し訳ないということになるのはわかるんだけど、でもやっぱり食べないと、大変な事になってしまうぞ。」

事実、そうであった。水穂さんはお雑煮もおせち料理もまったく食べてくれないのであった。みんな杉ちゃんが一生懸命気合を入れて作ってくれたものだ。それでも食べないのである。

「確かに大きな地震があったりしたけどさ。でも、年が明けて一週間、何も食べてないじゃないか。それなら、もうちょっと食べようと言う気持ちになってもらいたいな。」

杉ちゃんは水穂さんを困った顔で見た。

「そうよ。食べないと命も危なくなってしまうわよ。わかるでしょ。それなら、もう一口食べてみて。」

祈るような気持ちで由紀子は水穂さんにおかゆを差し出した。水穂さんはそれを受け取って口に入れたけれど、えらく咳き込んでしまって、結局吐き出してしまうのであった。

「あーあだめだこれは。」

杉ちゃんが辛そうに言った。

「もちろんねえ、本人のせいじゃないのはよく分かるが、それがここまで悪化してしまうとなるとね。それは、病んでいるということになるからな。僕らではどうにもならないということでもあるからな。うーん、どうしたらいいものだろうか。」

「水穂さんの事をせめてはダメよ。本人だって食べたいという気持ちは持っていると思うの。」

由紀子は、水穂さんのことをかばうように言った。

「じゃあ何だって言うんだよ。本当に食べたいと思っているのかな。僕は違うと思うなあ。生きているのが申し訳なくて、逝ってしまいたいっていう顔してるような気がするぜ。たしかにね、こう毎日毎日地震の話ばかりしていては、憂鬱な気持ちになるのもわかるけどさ。でもやっぱり食べて貰わなくちゃ。」

杉ちゃんの言うことも間違いではなかった。

「あーあ。本当に僕らではどうすることもできないよ。まるで地震の発生を防げないのと一緒だ。ほんとどうしたらいいんだろうね。人間のすることは人間がコントロールするって言うけどさ。でも、できないところに行ってしまうってこともあるよな。それを成し遂げようとした人だっているけどさ。でも、結局できないで居るだけじゃないか。ただ僕らがしていることは、水穂さんに、少なくともまだ向こうの世界へ逝ってほしくないのでそれを食い止めたいことだけなんだけど、無理かなあ。」

杉ちゃんは、まるでロバート・コーニッシュが発言するようなセリフを言った。由紀子もそれは同じ気持ちだった。

「それじゃいけない。思いがあるんだったら、どうやってそれを実行するのか考えなくちゃ。人間にできるのは考えるということだ。それ以外は、基本的に動物だから他の奴らと一緒。」

確かにそのとおりであるのであった。

「どうして食べなくなってしまったんでしょうね。」

由紀子は、杉ちゃんの発言にそう返した。

「少なくとも、ダイエットしようとかそんな簡単なことじゃないと思うわ。それは、柳沢先生が言ってた。もっと、根本的なことが違うんだって。あたしも、少し本を読んで勉強してみたんだけど、食べられないというのは対人関係の障害なんですってね。その本に書いてあったわ。食べるということは、人がコミュニケーションするための原点なのだから、それができないというのは非常に重い病気なんだって。」

「そうだねえ。」

杉ちゃんは、もう布団で眠ってしまっている水穂さんを眺めながら言った。

「それはそうなんだけど、まず始めに、食べてもらって体力をつけることから始めよう。だって、このままだと、本当にまずいことになる。」

でも食べさせるということは、由紀子のいう通り、根本的な事をなんとかしなければ、食べようという気になってもらえないのだった。

「じゃあ、どうやれば食べてくれるようになるか、ということを考えたほうがいいわね。水穂さんが人間関係で一番つらい思いをしているのは何だんだろう?」

「そうだねえ。」

と、杉ちゃんは言った。

「そこはやっぱり、同和問題が絡んでいるんじゃないのかな。自分は他の人より身分が低いと言うのをいろんなところで感じてきているんだろうしさ。それできっと、僕たちにはわからない辛さっていうのかな、その辺経験したと思うんだよね。まあ僕もそこら辺はなんとなくわかるんだよ。やっぱりみんなと違うっていうのは、そうだねえ、悔やんでもくやみきれないところもあるからね、、、。それはそうなんだけど、そのせいでご飯を食べないということに繋がってしまうことは無いと思うんだよね。水穂さんの場合それがもっと辛いんだろうね。」

「杉ちゃんってすごいわね、そこら辺、どこで学んだの?」

由紀子は思わず聞いてしまった。

「いやあ、根拠があるわけじゃないよ。ただのバカのひとつ覚え。みんなバカのひとつ覚えでできている。まあ、強いて言えば、勘でおぼえたとでも言っておきましょうか。」

「そうなのね、、、。」

由紀子は、杉ちゃんの答えに、ちょっと肩を落とした。もう少し、わかりやすいというか、由紀子にも理解ができる答えであればよかったのであるが、これはやはり、杉ちゃんも歩けないで生活しているから身についたのではないかと思われた。なんとなくだけど、杉ちゃんも他の人とは違うのだという疎外感を味わっていたのだろう。それを自分でも他人でもどうにもならないから、杉ちゃんはバカのひとつ覚えと言うんだろうなと由紀子は思った。でも、水穂さんには、そんな思いをしてほしくないと由紀子は思った。それが、由紀子にとって、自分が水穂さんに伝えてやりたい気持ちだったのかもしれない。それを実行したいと由紀子は思った。そのためにはどうするか、由紀子は考えた。それで、しばらく考えると、杉ちゃんにこう聞いてみた。

「それでも私は、水穂さんにご飯を食べてほしいと思うわ。そういうことは、自分ひとりでもう無理だと宣言するしか方法は無いのかしら?」

「そうだねえ。それはまあ、無理な話だろうね。」

杉ちゃんはそう返したが、

「そうかな。私は違うと思うわ。」

と、由紀子は言った。

「確かに、杉ちゃんみたいに、一人で我慢しなければ行けない時代だってあったのかもしれない。水穂さんだって確かに、新平民と呼ばれた時代だってあるんだと思うわ。だけど、その辛さは今でもあるのかもしれないけれど、それを分かち合って一緒に寄り添い合うことは可能な時代になっていると思うのよ。」

「ああ無理無理。偉いやつは自分のことしか考えないし、他人のことなんて大事にするなんていう教育をそもそも受けてないから、それで通っちゃうんだよ。だから、そういうやつは、同和問題とかその辛さを知らないよ。医者は、悪性腫瘍を取ってやることはできるかもしれないが、それ以外のことではてんでだめだって話を聞いたこともあるし、ましてや水穂さんのような人を見てくれって言ったら、自分の顔に泥を塗るとかそういうこと言って、追い出されるのが落ちだよ。」

杉ちゃんはそういったのであるが、由紀子は違うと思った。

「そうねえ。でも、そういう辛いことをわかってくれる人が本当にいたとしたら?」

「そんなやつ、居るわけ無いじゃないか。例えばそういうことができるやつなんてどこに居るんだよ。具体的な名前をあげたら誰になるんだよ。」

杉ちゃんは即答したが、

「でも、世の中には苦労して、夢を叶えた人だって居るはずでしょ。すべての人が、辛さを知らないわけじゃないと思うのよ。例えば、柳沢先生は、ロヒンギャの人が道路で倒れていたのを見つけて、病院に連れて行こうとしたんでしょ。そういうことができる人だって世の中には居ると思うわ。」

由紀子はそう杉ちゃんに反論した。

「うーんそうだねえ。そういう人を見つける前に、水穂さんが持ってくれるかどうかだな。」

確かにそれも重大な問題であった。

「そういうことができる人って、本当に少数だぜ。みんな自分が損をするか得をするかしか見ないから。そうやって損得を超えて人の手助けをしてあげようという篤志家は、非常に少ないと思うよ。それに水穂さんが、銘仙の着物を着ているような人であるとなると、、、。」

杉ちゃんがそうやって考え込んでいると、誰かが咳き込む声がした。由紀子はすぐに、水穂さんの背中をさすって中身を出しやすくしてあげた。それが起きてしまうとなると、確実に悪化しているんだろうなと、杉ちゃんも、由紀子もすぐにわかった。

「あたしが、なんとかしてみる。そういう人を見つけてみる。」

由紀子は、思わずそう言ってしまった。そして、スマートフォンを出して、インターネットで調べ始めた。杉ちゃんはそのようなものを使っても、何も意味がないよといったが、由紀子はそれを無視して調べる作業を続けてしまった。とりあえず、この年始期間でもやってくれている開業医を探そうと思ったが、それはなかなか見つからなかった。由紀子も杉ちゃんと同様に大病院へ連れて行っても、何も意味がないということは知っていた。そのような病院では、受け入れを拒否することができることを知っていたからであった。それができない、いわゆる小さな開業医を由紀子は狙っていた。

何度も調べ続けて、由紀子はやっと今日やってくれている開業医を見つけた。だがそれだけでは行けなかった。もちろん、口コミサイトで良い評判があるということも大事なことだ。だけど由紀子が狙っているのは、それだけではない。それ以外の事を抑えておく必要があったのである。由紀子は、口コミサイトを隅々まで探して、その女性医の事を調べていった。名前は木野花子というありふれた名前の女性であるが、大手のテレビに出ているわけでもないし、雑誌などに登場しているわけでもない。本当に小さな病院を開業しているだけの人。だけど、支持率はあり同時に弱点もあってという由紀子の提示した条件に当てはまるのは彼女しか見つからなかった。本当に情報機関は進歩しているものだ。良いことばかりか、悪いことばかりまで、掲載されるようになってしまったのだから。

由紀子は木野花子がどこに住んでいるのかを調べ上げると、そこへポンコツの自分の車を走らせた。車があるというのもありがたいことだった。最近の車は道案内までしてくれるので道を知らなくても行くことができるのだ。木野花子は、由紀子が調べた情報に従うと、東田子の浦駅の近くに開業しているようである。そこまで今はスマートフォンが道案内してくれる。どこどこを左に曲がり、どこどこを直進しなどの指示に従えば、そこへ連れて行ってもらえる。なんともすごい世の中になったものだと由紀子は思うのだった。

そんな思いをしながら、由紀子は木野花子が開業している木野医院という病院にたどり着いた。確かに年始でも開業してくれているというのは嬉しいことであるが、それなのにあまり人がいないというのは、やっぱり事情があるんだなと由紀子は直感でわかるのであった。急いで、由紀子は、車を駐車場に止めて、木野医院の入口から突進していった。

木野医院はスリッパを履いて病院内に入っていく形式になっていたが由紀子は履かなかった。そして、すぐに受け付けに行き、

「すみません、どうしても治療してほしい男性がおりますので、今から一緒に来ていただけないでしょうか?確かこちらは往診受け付けていると書いてありましたから。」

と言った。受付は、

「急を要することでしたら、救急車を呼んでしまえばいいのに。」

と言った。大体の人はそう思うだろうが、由紀子はそれをしてはいけない事情があると言った。受付はどんな事情があるんですかといったが、

「ここでは言えませんので、木野先生にお目にかかりたいです。」

と由紀子は言ってしまった。そのほうがよほど早く伝わるのではないかと思った。

「はあ、事情とは、どのような事情ですか?ここでは話せないというのですか?」

受付は面食らってそういうのであるが、由紀子はそういうことはやっぱり機械では教えてもらえないんだなと言うことを知った。どんなことでも機械で予め知ることはできず、最後は人間がしなければならないということは結構あるのかもしれないと由紀子は思った。

「ええ。そのことは木野先生に直接お話しなければだめだと思います。周りの方にもあまり聞かれたくありませんし。」

由紀子はそう言った。受付は、そのようなことではちょっとといったが、くまさんの看板が設置されているドアがガラッと開いて、一人の女性が現れた。この人が木野花子先生であると由紀子は直感でわかってしまった。

「あのすみません。どうしても治療して頂きたい人が一名いるので、今から私と一緒に来ていただきたいです。本当ならこちらに連れてくるべきでしたが、それはできない事情がありまして。あたしが車を出しますから、一緒に来てくれませんか。」

由紀子は頭を下げてそういった。木野先生は由紀子が真剣にうったえているのを見て、なにか感じてくれたようで、

「わかりました。すぐに一緒にいきましょう。」

と言ってくれた。由紀子は、

「ありがとうございます!」

とお礼を言って、すぐに木野先生を自分の車の後部座席に乗せて、喜び勇んで製鉄所に向かった。木野先生はその治療してほしい人物の経歴などを詳しく知りたがっていたがあえて由紀子はそれを言わなかった。言ったら、終わってしまうような気がしたからであった。とりあえず、車を走らせて製鉄所に向かう。木野先生は随分山道を走るのねと言っていたけれど、由紀子は何も言わないでおいた。

まもなく、由紀子の車は製鉄所に到着した。由紀子は車を止めて先生に車を降りてもらった。そして製鉄所の建物に入ってもらう。個人の家では無いことは先生もすぐに感じてくれたらしい。由紀子は、説明もしないでこちらですと言って、製鉄所の廊下を歩いた。廊下を歩くと、杉ちゃんだろうか、製鉄所の利用者と喋っている声が聞こえてくる。製鉄所の利用者は、最近になってまた増えている。たしかにぼんや正月は、親戚などが来訪するので、精神障害者には辛い季節になるのだ。やはり居場所が無いというのが、非常に大きな理由でもあるのだろう。杉ちゃんと話している利用者は、水穂さんのことを心配してはいるのだが、結局自分の心配を話すことになってしまう。その様子を聞き取った、木野花子先生は、ここがどういう場所なのか、つまり、デイケアセンターでも無ければ、単なる集会所でも無いことを、わかってくれたようだ。

「患者さんはこちらです。」

由紀子は、四畳半のふすまに手をかけた。そして、思いっきりのちからでふすまを開けた。由紀子がふすまを開けたのと同時に、水穂さんが、布団の上に座ろうとしたが、長らく食べていないせいで、布団から起き上がることができなかった。それと同時に、水穂さんが着用している着物の柄もわかってしまった。白と紺の三角形が交互に描かれた着物で、なんとなく輪郭線がはっきりしない、友禅でもなければ、ろうけつ染めでもない、独特な風貌のあるきもの。これが何なのか木野先生はわかってくれたのだろうか。由紀子はそれだけは機械でもわからないことだと思った。この部分だけは人間の判断に任せるしか無い。由紀子が、もしここでだめだと言ったら、木野先生の悪い評判を言いふらすと言おうとしたその時、

「いつ頃から、辛い思いをされているのでしょう?」

と木野先生は言ってくれたのだった。水穂さんは咳をしながら、布団の上に座った。なにか言おうとしたようだけど咳き込むのに邪魔されて、それはできなかった。咳き込むのと同時にまた少し内容物が口に当てた手を汚した。これではまるで、大正時代にでもタイムスリップしたと感想を漏らす人もいるが、木野先生はそういうことは言わなかった。水穂さんの背中を擦ってできるだけ吐き出しやすくさせてくれた。そして、こちらに薬局はあるのかと聞いてくれたのであった。由紀子がありますと答えると、木野先生は、由紀子に処方箋を書いてすぐに渡してくれた。そして、まだ辛いようであれば、連絡をくださいと言ってくれた。由紀子はありがとうございましたと頭を下げていい、

「先生にとっては本当に小さなことだったかもしれませんが、私にとっても、水穂さんにとってもとても大きなことです。ありがとうございました。」

と言ったのであった。

「大丈夫ですよ。体のことはお薬出しておきますが、心の面では大事にしてあげてください。それはやっぱり、私達ではなくて、周りの皆さんのすることでしょうし。」

由紀子は、やはりご飯を食べてくれないという問題は解決してくれないのかと言おうかと思ったが、

「今回のことで、あなたが水穂さんに一番寄り添ってあげたことが、水穂さんにわかってもらえると言うのが一番の治療になれると思いますよ。」

と、木野先生はそう言ってくれたのであった。由紀子は、やっぱり偉い人だなと思ったが、それは言わないでおいた。とりあえず水穂さんが咳き込んだり、中身を吐き出してくれることへの薬はもらうことができたということになるから。それだけでも、由紀子は、感謝しなければならないと思ったのだ。

「ありがとうございました。本当に無理を言ってすみませんでした。」

由紀子はそう言って、先生を東田子の浦駅まで送りますと言って、車に乗るように言った。

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東田子の浦駅 増田朋美 @masubuchi4996

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