数の魔女

川谷パルテノン

暗い森にて

 暗い森の中でそれは突然現れた。醜悪な貌。この世には数多くの種が暮らす。とはいえ見たこともない生き物だった。貌からは異界の香りを放つものの首から下は人のかたちをしていた。私は柄に手を添えた。

「待ちなさい。性急だ」

 それは人の言葉を介す。

「敵意はないさ。僕はね、魔女なんだ」

 魔女。女とつくくらいだ。にしては声が低い。成人の男のもの。ふざけた魔物が私を拐かしている。そう思えた。魔物の傍らには眼球が浮かんでおり黒い靄を纏っていた。

「気になるかい。この子はね僕の友達さ。この森で生まれた鴉」

 どこが鴉だ。どう見ても邪な眷族の雰囲気が漂っている。私の不信感と猜疑は高まる一方だった。

「無理もないね。この貌が気に入らないんだろう。同意見さ。でもね。仕方なかったとも云える」

 私は鞘から刀身を抜いた。果たして人の武具がどこまで通じるかはさておき私に出来ることは自らの剣術を信じることだけだった。

「魔女の多くは人の助けを好まない。けれど敢えて頼みたい。この子を森から出してやってはくれないか」

 私は魔物の頸を目掛けて刃を振った。刹那、黒い靄が刃と頸の間に割って入り斬撃を制したのには正直なところ驚きがあった。鴉、言われてみれば刃を止めた靄の像はどこか嘴のようにも見えた。

「礼はする。どの道君は僕を倒せない。かといって危害も加えない。君に為せるのはここを去るだけ。ただその際は彼を連れ出してくれると嬉しいのだけれど」

「お前はなんだ」

「魔女と言ったろう。数の魔女さ。僕には君の天寿が視える」


 魔女の住まいは森と同じで暗夜のように暗く湿った空気が漂っていた。これならわざわざ招かれた意味もない、私はまだ騙されている心地にあった。

「食べるかい。口に合うかはわからないが」

「なんだこれは。酷い臭いだ」

「乳を醗酵させて凝固したものだよ。ヨーグルトという」

 それは知っている。だがこれではない。どう見ても腐っていた。

「本題に入ろう。彼を助けてあげてくれ。報酬に君の命の長さを教える」

「そんなものを敢えて知りたいとは思わない。人はいずれ死ぬ。それだけだ」

「なら君が大成出来るようビジネスのアドバイスをしよう。数字の絡むことであれば僕に出来ないことはないからね」

「くだらない。私はもう行く。この森は通り道に過ぎない。無駄な時間を過ごした」

「君は誰かを助けたいんだね。その薬を取りにこの森を抜けようとした。森の先にはどこよりも医療に長けたかの王都が待っているから」

「奇術を使ったな。弱みに漬け込むか。やはり魔物と変わらない」

「予測さ。近頃奇病が蔓延している。それに加えて君がその胸からぶら下げたペンダント。どう見ても君の趣味じゃない。もっと可愛らしい人が誂えたものだ。妻か、或いは幼い親類。なんにせよ君にとって大切な誰か」

「もう行く」

「残念ながらその病は王都の医療でも治せない。僕は奇病の根源を知っている」

「ハッタリは聞き飽きた」

「根源、それは僕だから」

「貴様」

「正確にはこの貌。実は僕の本当の面ではない。呪いみたいなものだ。これは異なる星からやって来た。それは星に棲みついて知識を狩る。軈て智慧をつけた彼らは見事なまでに狡猾に星を奪い取るんだ。僕はこれを忌み児と呼んでいる。ヒトデみたいだろ。だが全くもって人ならざる手さ。六本あるからね」

「信じられるか」

「僕は魔女の素養を持って生まれた。だが生涯で一度たりとその力を使わずに生きてきた。なぜなら魔術なんかよりも優れたものを知っていたからね。それが数字さ。数字は万能だ。この世にある森羅万象はすべて数式の上に成り立ち、あらゆる物事もその現象も計算によって割り出すことが可能。魔術などという不確定極まりない手品よりも確実で有用でゆえに強固だ。そう思ってきた。ところがこの世の理を外れた部分に数字は応えなかった。忌み児に出会した時、僕もこの子も抗った。彼らは常に知に貪欲で渇望している。僕のそれは余程美味そうに見えたのだろう。おかげでこのとおり、直に喰らい付かれた。実に野蛮極まりない。僕は数字で抵抗を試みた。この窮地でさえ必ず解を導き出せると。傲慢だった。代償は大きく、この子は肉を失った。その時生まれて初めて魔術を使った。禁忌とされる不死の呪詛だ。自分でいうのもなんだが天才だった。見事、彼はまだこうして生きてる。ただそれで僕の魔力は空っぽになった。今は日々この人ならざる手から知識を吸い取られるのを感じるだけ。全盛ならともかく、最早僕ではこの忌み児に敵う智慧がない。僕はもうすぐ死ぬ。わかるんだ。悲しいかな数字については。僕が死ねばこいつは次に森を、その次はきっと王都を狙うだろう。やがて世界は喰い尽くされる。こんな醜い獣に……だが憑かれて得た知識もある。巷を騒がせる病がこれまたこの忌み児と共に去来した菌の仕業とね。つまりこの世にその病を退ける手が現状存在しない。詰みだ」

 魔女は捲し立てるように言葉を並べた。俄かに信じ難い話だが同時にその饒舌振りが説得力をも与える。私はただ妹を救いたいがために王都を目指してきた。だがそれは一縷の望みでしかなく確証には至らない。私は目の前にいる天才とやらと違って愚直なまま突き進んできたなんの算段も持たない男だ。魔女を信じるならば、或いは信じなくとも妹が救われる未来を僅かに疑っていた。

「ただ一つだけ。僕には出来ることがある」

「なんだ。言え」

「ようやく見てくれたね。忌み児ではなく僕の貌を。つまり禁忌さ」

「どういうことだ。わかるように話せ」

「彼、この森で生まれた鴉は不死だ。その力はまだ彼の中にある。彼の力がうまく影響すれば君の大切な誰かを守れるかもしれない。かもしれないだけれどね。ただ王都の薬よりは可能性がある。何せ誰にも成せなかった禁忌、いや奇跡の成功例なのだから。だから頼む。彼を連れて行ってくれないか。もうまもなく僕の知力は欠乏する。時間がないんだ。数は多いほどいいわけではない。だがゼロは虚しい。イチあれば始まりだがゼロは虚無だ。僕はいずれ虚無になる。だが友を巻き込みたくない。この森で君を見かけて思った。君なら僕が出せなかった答えを導けるとね」

「それも計算か」

「いや、直感さ。生まれて初めて自分を信じた」


 森を抜けるとその道は故郷に向かっていた。まだ自分はペテンにかけられたのではないかとの疑念は残る。けれど私の直感は道を引き返すことだった。連れ立った異形の鳥は賛同するかのように高らかに鳴いた。

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