第48話(第一部最終話) みらいに向かって

 そう思いながらイクスを見ていると、


「ところで、だな」


 おずおずとした物言いで彼が切り出す。


「アーギュスト家に居た頃、本当に酷い目には合わされていなかったか? その、人体実験のような……」

「それはなかったです。姉や母から暴力を受けることはありましたけど、基本的に隔離されているだけでしたから」

「……そうか」


 イクスが少しだけ安堵したような表情になり、やがて苦笑する。


「聞きにくいことを聞くと言うのは、やはり労力がいるな」

「でも、聞いてくれて嬉しかったです。私のことを心配してくださった……んですよね?」

「ああ。どう調査しても、君が実験をされている証拠は見当たらなかった。でも、だからこそ、固く隠蔽されているのではないかと心配だった」


 イクスに向けて、微笑みを見せるミリエラ。


「ふふっ、イクス様はやっぱりお優しいです」

「優しい……? いや、そういうことではなく、その、俺は」


 まごつくイクスを制し、ミリエラは続ける。


「今まで、誰も心配なんてしてくれませんでしたから。ナイトヴェイル家に来れて……本当に良かったです。新しい人生が始まったんだなって、そう思えました」

「こう言うと聞こえは悪いだろうが……アーギュスト家が憎くはないのか?」

「そうですね……今にして思えば、私のこの力は私にもよくわからないほど強力です。だから、その、怖がられても仕方ないなって思いました。だから憎いと言う気持ちは、あまり湧かないかも……です」

「……」

「あ、もちろん暴力は嫌でしたし、ひもじい思いをさせられてきたのも嫌でしたけど」


 僅かに息を吸う音が聞こえる。

 そこから声になるまでのほんの少しの間は、彼が言葉選びに迷っているのを示しているようだった。


「やはり君は、少し変わっているな」

「え!? そ、その、確かに、世間知らずなところは――」

「いや、そうじゃない」


 不意に顎を持ち上げられ、イクスとの距離が縮まる。

 イクスの、憂いを帯びたような端正な顔が視界を覆う。

 彼を照らす月明かりが、その美しい印影をより濃く彩る。

 至近距離には慣れていないので反射的に顔を逸らそうとするが、顎を持たれているから動けない。


「君の心の強さは、普通は手に入れられないと言うことだ」

「いえっ、このくらい、普通のことかと……」

「普通じゃないさ。現に俺は、今まで避け続けてきて、命の危機に遭ってもなお向き合いきれなかったと言うのに――君はあの状況下で、すんなりと自分の力を受け入れた。しかも、他人のために」

「あの時は、その……他にできることがなかった、だけで……」


 喋ると唇が触れてしまいそうで、もごもごとした喋りになってしまう。

 だが、イクスの方は相変わらず真剣な眼差しだった。

 この後何をされてしまうのかと、想像が勝手に脳をよぎり、頬が紅潮していく。


「ミリエラ。俺は君が好きだ」

「ふぇ」


 あまりにも真っ直ぐすぎて、間の抜けた声と共にぼふ、と頭がオーバーヒートする。

 が、イクスはそんなミリエラに構わず続けた。


「君のおかげで、俺も自分自身と向き合う決心ができた。君の心の在り方を、俺は好ましく思う」

(……ん?)

「これからも君は、俺の大切な家族だ。今後とも、よろしく頼む」


 勝手にオーバーヒートしていた頭がすぅっと冷めていく。

 これはそういう・・・・好き、ではなく、家族としての、好き……?


(うぅっ、恥ずかしい……! 私、勝手に勘違いを……!)


 顎に手なんて当てられるものだから、ついドギマギしてしまった。

 恥ずかしさを誤魔化すように目だけ逸らす。

 ついでにイクスの手も退かしたかったのだが、力の抜けたミリエラの手では退かすに至らず、単に手に手を添えただけの形になってしまった。

 イクスの硬い手の感触が伝わってくる。

 ……余計に恥ずかしい。

 だが、これ以上時間が経つと更に恥ずかしさが増してしまいそうなので、紅潮した顔のままミリエラは小さく言った。


「その、こちらこそ……よろしく、お願いしますっ」

「ああ。よろしく」


 柔らかく破顔してみせたイクスの表情が、ミリエラの目に、頭に、心に焼き付く。

 ――今日のことは、一生忘れられない日になる。

 そう思った。

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婚約破棄され天涯孤独になった令嬢ですが、無口な冷血騎士さまに溺愛されてしまいました… マツダ @matudaaa

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