第2話:ドアノブ

 これは学生時代の話なんですけどね、僕、その時、通ってた大学の近くの安アパートで暮らしてたんですけど、それが今にも崩れ落ちそうな感じのボロいアパートで、今考えるとよくあんな所に住んでたなとは思うんですけど、当時はまだ若かったし、僕って子供の頃から貧しい暮らしずっとしてきたから、親に大学まで行かせてもらってるだけでも十分ありがたいなと思いながら、あんまり住環境のことについては気にせずに、日々、学生生活を謳歌してたんですよね。で、あれはいつだったかな、ある日の夜中に、自分の部屋にいた時、布団にくるまって寝てたら、なんか玄関の方からガチャガチャと音がするんですよ。最初は風でドアが揺さぶられてる音かなと思って、目つぶったままじっとしてたんですけど、そこからもう結構長い時間、そのガチャガチャっていう音が聞こえてて、さすがにこれはなんだと僕も思いまして、立ち上がって部屋の電気をつけたんですよ。で、ワンルームだからすぐ目の前に玄関があるんですけど、そっちに目を向けたら、玄関ドアのドアノブの部分を、誰かが外側からガチャガチャと回しているのが見えて、それってすげー気持ち悪いじゃないですか、一体なんなんだって思って。誰かこのアパートの他の住人が、酔っ払って帰ってきて、自分の部屋と僕の部屋を間違えて、開けようとして一生懸命ガチャガチャしてるのかなって、そんなふうに思って、じゃあほっとけばそのうち自分の間違いに気づいて、いなくなるんじゃないかなって、そう思いながら、部屋の電気つけたまんま、じっとその動き続けるドアノブを睨み続けてたんですよ。で、10分だったか15分だったか、そのくらい経っても、全然ドアノブの音が静まる気配がなくて、ほんとになんなんだよと思いながら、思い切ってドア開けてみようかとも思ったんですけど、それでドアの向こう側にいるのがもし強盗とかだったらまずいなとか、まぁこんなボロアパートに強盗に入る奴なんてまずいないよなとか色々考えてたんですけど、その間もずっとドアノブがガチャガチャガチャガチャ回り続けるもんで、これはやばいなと思って、スマホを手に取って、僕、人生で初めて110番しちゃいましたよ。それで、電話に出てくれたお巡りさんに今の状況を説明して、とりあえず近所の交番から一人お巡りさんに来てもらうことになって、そのまま電話を切ったんですけど、まだドアノブはガチャガチャ鳴り続けてて、ほんとに早くお巡りさん来てくれないかなって、祈るような気持ちになってきてガクガク部屋の隅で震えてたんですよね。で、それからしばらくして、ピタッとドアノブの音がしなくなる瞬間があって、あぁ、今お巡りさんが見に来てくれていて、ドアの向こう側にいる何者かと対峙してくれてるんだなと思って、とりあえず僕はそこで一安心しましたね。それからしばらくして、僕の部屋のドアのチャイムが鳴って、外から男性の声で、「すいません、警察の者ですが、ご連絡いただいた件で、ちょっと出てきてもらっていいですか?」って、聞こえてきたから、あぁやっぱりそうなんだって思って、ほっとしながら鍵外してドアを開けたら、ドアの前に、制服を着たお巡りさんが立ってて、で、もう一人、なんかこう服装が崩れた感じの、体の姿勢もどことなく緩んだ感じの、かなり高齢に見える男性が、向こう側を向いた状態で立ってて。で、お巡りさんの方が僕に向かって「大丈夫ですか?」と、聞いてくるんで、とりあえず「はい、僕は大丈夫なんですけど……」って返して、でも、気になるのがお巡りさんの隣にいる男性ですよね、お巡りさんは僕の方を向いて立っているのに、そのもう一人の男性は、僕に背中を向けていて顔が見えないんですよね。で、「すいません、この方は?」と、お巡りさんに向かって尋ねると、お巡りさんが「あー、この方はですね、ちょっと認知機能に障害のある方でして……」と、ばつの悪そうな顔をしてくるもんだから、なんとなく僕それで全てを悟ってしまって。続けてお巡りさんが「よく夜中にこの辺りをうろうろされてる方でして、その度に今回のように通報が入って、我々がご家族の元へ連れ戻してさしあげてるんですよ」と言ってきたから、僕も「はぁ、そうなんですか」とか言っておくしかなくて、まぁ、認知症の高齢の男性が、なぜだか僕の部屋のドアノブをずっとガチャガチャやってただけっていう、理由がわかったので、とりあえず一安心して、お巡りさんに「わざわざすいません、どうもありがとうございました」ってお礼言って、そのままドアを閉めようとしたんですよね。すると、その瞬間、僕の方に背中を向けていた高齢の男性が、こう、ぐるっと首だけを回転させて僕の方に顔を向けてきて、低い、しゃがれた声でこう言うんですよ……


「ハヤク……オマエモ……コッチニコイ……」


 表情とか全くない顔で、そう言われて。なんなんでしょうね、意味がわからなかったんで、首をかしげてたら、お巡りさんが「はい、じゃあ、もう行きましょうねー」って言いながら、その男性の肩を押して、歩かせようとしてたんで、僕もあまり気にせずに、もうドアを閉めて、部屋の電気を消して、布団の中に潜って、寝ようとしたんですけど、なんかさっき聞いたあの言葉と、男性の目つきが頭の中に残って離れなくて、その日は朝まであんまり眠れませんでしたね。で、その男性なんですけど、その後も僕、何度か近所でお見かけしたことがあって、近所に小さな公園があるんですけど、そこのベンチに一人でぽつねんと腰掛けてたり、その公園の片隅に立ち尽くしてうつろな表情でぼんやりされてたりと、そんな感じでたまに、「あーあの人だー」とか思いながら、大丈夫かなとか思いながら、見てたんですけどね、あ、ごめんなさい、怖い話を聞きたいっておっしゃったもんだから、何かないかなと思って無理矢理過去の記憶の中から引っ張り出してきたんですけど、いわゆる幽霊が出てきてとか、そんな話ではないですよね、これって。ただ単に、僕が夜中に寝てたら怖い思いをしましたっていう話でした。

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