第三話 山中の攻城戦 3

 メリッサを見送った後、移動を開始した陽動部隊は予定通り砦正面に到着し、あとは急襲部隊の到着を待つばかりとなった。


「にしても――」

 ハインツが周囲を見回しながら呟く。

「ずいぶん大所帯になったもんだな」


 陽動部隊は詠太えいたたち、そして本来ならば急襲部隊の方へ加わる予定だった兵士を含め、当初の予定からすると倍近い人数になっている。

 この待機地点は全方向からの視界を遮るような地形になっているが、その範囲は狭い。これだけの人数では手狭を通り越してまるで満員電車のようだ。


「……!? 隊長……っ!!」

 突然、キリエが緊張した面持ちで声を押し殺す。


 次の瞬間、キリエの視線の先にある木々の上空を黒い影が通り過ぎた。

「ワイバーン……!!」

 砦周辺の警戒にあたる兵士だろうか。詠太えいたたちの上を通過したワイバーンはその少し先で旋回し、二度、三度と往復する。


「ヒッ……!!」

 団子状態の端にいた兵士が、少しでも内へ入ろうと身をよじる。

「動くなっ!!」

 兵士を小声で制したハインツの額を汗が伝う。

「いいか、一ミリも動くなよ。やつらは特殊な器官で赤外線を感知する。とはいえ木の枝に遮られたこの状況だ、変な動きさえしなければ――」


 その時。再び近付いてきたワイバーンが突如、陽動部隊の真上で羽ばたきながら静止した。


「――――!!!!!」


 誰も動かない。

 誰も音を発しない。

 聞こえるのはその大きな翼が空気を切る音とクルルゥ、という喉鳴りのようなワイバーンの鳴き声。


 五秒……十秒……

 胃の内容物を、というより胃そのものを吐いてしまうのではないかと思える程の激しい緊張が詠太えいたを襲う。

 もうこれ以上は耐えられない――! そう思ったその時。


 バサアッ


 ワイバーンはくるりと方向を変えると、静かに砦の方向へと飛び去って行った。詠太えいたたちは皆身じろぎもせず無言のままだが、安堵の気持ちでその後ろ姿を目で追う。


 が――


 ピィィィィィィィッッ!!!!


 砦に近付いたワイバーンから、高らかに笛のような音が発せられた。

「警笛!? しまっ……!!」

 それに呼応するように砦の内部からも同じ音が鳴り、伝播していく。ついには半鐘まで鳴り出し、砦の周囲や城壁の上など兵が慌しく動いている様子が見て取れる。


「クッソ、見つかった!」

 木の幹を拳で殴りつけるハインツに、詠太えいたが問いかける。

「どうすんだ!?」

「……詠太えいた、メリッサは――今どこだ!?」

「ちょっと待っ……ぅおっ!!」


 メリッサの意識にチャンネルが合った瞬間、詠太えいたは天と地がひっくり返ったような感覚に襲われた。

 これは移動中のメリッサが見ている景色の追体験であるのか、それとも元々のメリッサの思考深度によるものなのか――とにかく膨大な情報が極端に断片的な状態で乱雑に流れ込んでくる。


 詳細な位置などはとても読み取れるようなものではなかったが、うねるような情報の渦からかろうじてメリッサの感情を拾い上げる。

「もう近い、と思う。多分あと一分か二分だ」


 ハインツは数秒間黙り込んで考えた後、決意の面持ちで声を張り上げた。

「よし! もうメリッサも急襲部隊の陣に到着する! 向こうの陣から砦まで一〇分そこら、これから移動を始めたって俺たちは一〇分持ちこたえればいいことに変わりはねぇっ! いや、耐える時間はちょーっと伸びるかもしれないが……そこは何とか気合で頼む!!」

 兵士たちが怒号のような声を上げハインツに応える。


「キリエ! 門を固められる前に吹っ飛ばせ!」

「はい! 隊長!」


 ハインツの命令にキリエが詠唱を始めると、ふっ、と辺りが暗くなるのが分かった。

 まだ日が沈む時間ではない。空が曇った訳でもない。

 グリモワールで召喚の儀式を行う時も似たような現象が起こるが、魔力が集積し放たれる直前の特徴、なのだろう。

 目を閉じて静かに詠唱を行っていたキリエの目が開く。準備完了のようだ。


 ハインツの号令が響く。

「城門の破壊と同時に突っ込むぞ! キリエ!! 行けええええええええええ!!!!!!」



「ほっ、ほっ、ほっ♪」

 陽動部隊の陣を出てから間もなく三〇分。

 メリッサは順調にルートをこなし、目的の急襲部隊の陣まであと少しのところまで来ていた。

「にゃ! あとはこの川を……」


 ドオオオオォォ……ン


「んにゃっ!?」


 突如として背後から聞こえてきた爆発音に、メリッサは足を止めた。

 振り返り、音の方向を確かめる。

 砦のある方向、山の稜線の裏側から煙が上がっているのが確認できる。


「やっぱり、砦……! なんで!?」

 予定ではこの後メリッサが急襲部隊と共に砦上部の待機場所へ現れたのを確認した後、キリエが城門を吹き飛ばす、そのはずだった。

 しかしなぜ今このタイミングで……? ――いや、そんな事を考えている時間は無い。


とにかく――急がなきゃ!

メリッサは視線を目の前の川へと向けた。



「よし! こっから一〇分が勝負だ!!」


 城門をキリエの魔法で破壊し、砦内部に向けて突撃を開始する陽動部隊。しかしやはり地形的にメインのルートである正面突破とあって、砦の守りは厚かった。

 門の内側、そして城壁の上に続々と現れる敵兵士。それに続いて内部の塔から黒い影が飛び出してくる。


「ワイバーンか……!!」

 まるで洞窟から出てくる蝙蝠のように幾匹ものワイバーンが次々と飛び立つのを目の当たりにして一瞬、詠太えいたたち陽動部隊に緊張が走る。しかしその眼前には、扉を失いぽっかりと口を開けた城門がすぐそこまで迫っている。躊躇している暇は無かった。


「突っ込めぇぇぇぇぇ!!!」

 気勢を上げ砦に乗り込む詠太えいたたち。しかしその中に、一匹だけ砦から離れていくワイバーンがいたことに気付いた者はいなかった。



 急がなきゃ、急がなきゃ――

 メリッサが眼前に見据える川。

 急襲部隊の元へ辿り着くにはこの川を越えなくてはならない。しかし、ここには上空からの視界を遮る障害物がなく、敵に発見される危険を伴う。

 本来のルートではそれを回避するために川沿いに茂みの中を遡ったところが渡渉ポイントとなっているのだが、今のメリッサにはその時間すら惜しかった。


 川を越えて対岸の林に飛び込むまでの十数メートル。

 ここさえ無事に、この数秒を無事に乗り切ることができれば――

 メリッサは立ち止まり周囲を伺うと、茂みを抜けて一気に日のあたる場所へ飛び出す。


 その瞬間。

 不意にメリッサの上を大きな影が横切った。見上げたその先に捉えたのは――


「ワイバーン!?」


 大きな翼を携えた漆黒の竜。それは既に地上のメリッサを目標に捉え、上空で円を描いている。


「おーーーーーっほっほっほっほ! 見つけましたわ! 見つけましたわ!」

「ニャッ!? ワイバーンがしゃべった!?」

 勿論そんなはずは無く、喋ったのはワイバーンに乗る人物である。

「やはり……別動隊がいましたのね。あれだけの人数で砦攻めだなんておかしいと思って出てきてみたら大正解。チョロチョロと動き回るネズミを見つけましたわー!」


「ネズミじゃにゃい!」

「……あら? あらあらあら?」

 上空の人影は双眼鏡を取り出し、覗き込んで呟く。

「……猫ですわ。ネズミじゃなく猫でしたのね。しかしそのバッジの紋章、あなたがリドヘイムの者だということには間違いはなさそうですわね」

「ニャッ!?」

 メリッサは咄嗟にバッジを手で隠すが、時すでに遅し。


「はじめましてリドヘイムの兵士さん。わたくしはセレニア軍将校、レイチェル・フロイデンベルク。チェルモッカ砦の統括を任されている者ですわ」

「…………」

 メリッサは黙ったまま上空を睨みつける。

「……こんな所で何をしてらっしゃったのかしら? それにアナタ……おひとりの様子ですけど、お仲間はどちらにいらっしゃいますの? 大方どこか近くに潜んで――」


「クッ――!!」

 メリッサが隙を突いて走り出す。と同時に、


ズガン!!

「にゃっ!?」


メリッサの進行方向に小さな雷が落ちる。

「どちらへいらっしゃるのかしら? まだお話が途中でしてよ」

 放電の残滓をその腕に纏わせながら、レイチェルは不気味な笑みを浮かべる。

「――――!!」


 急がなきゃいけないのに、早く部隊のところ、行かなきゃいけないのに――

 メリッサ、見つかっちゃった。

 ごめんなさい……

 ごめんなさいご主人――――!



 一方、砦内部への侵攻に成功した陽動部隊は城門から入ってすぐ、砦の前庭部分での戦闘を行っていた。

 圧倒的な戦力の差に苦戦を強いられるリドヘイム軍。

「兵士はともかく、ここでワイバーンの相手は……っ!」

 上空が大きく開けたこの場所は正にワイバーンの独擅場だった。ハインツ以下陽動部隊は敵の文字通り縦横無尽な攻撃に翻弄され、かろうじて部隊を大きく散開させることによって耐えるのが精一杯の状況だ。


 戦闘開始直後から訪れる窮地。詠太えいたとハインツもまた、ワイバーン兵の苛烈な攻撃に城壁近くまで追い込まれていた。

「これを相手に一〇分って……そもそもの作戦に無理ありまくりだろっ!」

「一〇分で……来てくれるといいんだがっ!」

「それは大丈夫だ! メリッサなら間違いなく……」


 ごめんなさいご主人――――!


「――――!!!」

 瞬間、詠太えいたの動きが止まる。


「今のって……??」

「危ねえ!!」

 詠太えいた目掛けてワイバーンが急降下を仕掛ける。

 いち早く危険を察知したハインツは詠太えいたに体当たりし、詠太えいたもろとも目の前の石造りの建物へと突っ込んだ。


 木製のドアを破壊し内部へと転がり込む二人。開け放しとなった入口にハインツが障壁を展開し、ワイバーンの追撃に備える。

「ぼーっとしてんじゃねえ!」

 障壁に阻まれながらも執拗に攻撃を続けるワイバーン。ハインツは必死にその猛攻を抑えている。


「今……」

「あ!?」

「今メリッサの声が聞こえたような気がして……なにか……なにか良くないことが起こってる気がするんだ」


「……」

 ハインツは少し考えるような素振りをし、そして諭すようにゆっくりと言葉をつなげる。

「メリッサはお前のエンティティだろ? だったらその感覚は……おそらく正しい。サマナーとエンティティは精神の一部を共有してるようなもんだ。メリッサの感情がお前にも感じ取れる、それは自然なことだ」


 メリッサの身に何かがあった、ということか。

 体中の血の気が一気に引いていく。詠太えいたの心に芽生えた不安がうねりを伴い急速に膨れ上がる。


「ハインツ、俺……」

「大丈夫だ。もし、その……万が一、の事があればその時はそんなモンじゃ済まねぇ。もっとハッキリとした感覚が襲ってくる。が、しかし……」

 ガゴッ!

「クッ! 野郎、調子に乗りやがってッ」


 防御障壁を維持するハインツに疲労の色が見える。

 ハインツだけではない。いくらこの陽動部隊が選りすぐりの精鋭メンバーだとしても、この猛攻に耐えうるのはせいぜい一〇分……そう判断した上での今回の作戦であったはずだ。

 メリッサに最悪の事態……までは起こっていないとしても、このままでは援軍の到着は望み薄。それはハインツも分かっていることだろう。


 どうしたら――

 詠太えいたは辺りを見回した。見張り塔のすぐ横に位置するこの狭い小屋のような建物は、どうやら番兵の待機所であるらしい。

 簡素な机の上には日誌のようなノート、そして壁沿いに置かれた棚には様々な書物が並べてある。


「……ん!?」

 棚に並んだ書物の中に、見慣れた装丁のハードカバーがある。


「ハインツ、これって……!?」

「グリモワールだ。ワイバーンのものだな」

「ワイバーン!? じゃあコイツを呼び出せれば……!」

 詠太えいたはグリモワールを手にとりページをめくりだす。

「魔法陣は……あった。よしっ! 未使用だ」


 召喚を始める詠太えいた。これまでにマリア、メリッサを呼び出し、召喚の儀式ももう手馴れたものだ。

「ちょ、お前ここでワイバーンは……!!」

 部屋の中が光で満たされていく――


 ドゴォォォ……ン

 小屋が崩れ落ち、土煙の中からワイバーンが飛び上がる。

「マリア! あれ……!」

 付近で戦闘中だったリリアナとマリアは咄嗟に身構えた……のだが。


「おいコラ! 場所考えて召喚しやがれ!」

 瓦礫の下からハインツが這い出してきたのを見て、二人は思わず顔を見合わせた。


 ハインツががなり立てる先のワイバーンによく目を凝らすと――

詠太えいた!?」

「主殿!」

 その首には詠太えいたがちんまりとしがみついている。


「ここを頼む! メリッサが心配だ。俺ちょっと見に行ってぅぅぅうううわああああぁぁぁぁ!!!!」

 言うが早いか、猛スピードで飛び去るワイバーン。その後姿をリリアナとマリア、そしてハインツは呆然と見送るのであった。

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