人籠
堕なの。
人籠
こじんまりとした一室。小さな木の机の上には小さな植物が、壁には額縁に現代アートの作品が飾られている。この絵は彼が買ってきてくれたものだ。
シングルサイズのベッドの横にはスタンドライトが置かれていて、暗い今日の部屋に燈を灯す。ベランダの窓から外を見れば、甘露の雨が降り注いでいた。風に揺れる木々の葉は、軽やかに優しく、私に心安らぐ時間を与えてくれる。
「雨、好きだね」
声に驚いて振り向けば、そこには彼がいた。仕事から帰ってきていたようだ。
「おかえりなさい」
「ただいま」
優しげな笑顔に申し訳なく思う。結婚に合わせて私は彼と同じだった職場を辞め、専業主婦になった。それなのに、彼は家事を多く担ってくれていて頭が上がらない。世間一般で言う良い旦那であり、私には勿体ない程である。
「今日の夜ご飯はカレーだよ」
「おっ、俺の好物だ。ありがとう」
喜びながら部屋に戻る後ろ姿を見れば、作ってよかったなと思う。私に出来ることなんて、彼の喜ぶご飯を作って、彼が心地よいと思う時間を提供することくらいだ。私は彼みたいな人の隣にいられるだけで幸せだから。
「やっぱり美味しいな。何か隠し味でも入れてるのか?」
「ううん。普通に作っただけだよ」
本当に、何か特殊なことをしている訳ではない。最も、何か隠し味を入れていたとしても言うつもりはない。それを知られれば、彼にとっての私の価値を一つ失う気がするから。
まるで少年のように瞳を輝かせて食べて貰えるようなものでもないが、近いうちにまた作ろうと決めた。カレールーが切れてしまっているため、彼に買ってきてもらわないといけない。お買い物は全て彼の仕事だった。お買い物以外でも、家の外に一歩でも出なければいけないものは、全てしてはいけないことの中に入っていた。
「そういえば、何で私は外に出ちゃいけないの?」
「外に出たいの?」
険悪な空気が漂う。理由を聞くことはご法度だったのだろうか。私はずっと、彼の地雷を見極められないでいる。
「違うよ。いつも買い物やらせるのは申し訳ないなって思っただけ」
疑うような目の奥は真っ暗で、真意が読めない。時々、彼から私への信頼のなさを感じていた。こういう所なのだろう。
「カレー作るから、今度カレールー買ってきて。今日で使い終わったから」
「うん、他に買わなきゃいけないものは?」
「特にないかな」
逃げ出す気が一切ないと分かった途端に表情が緩まった。しかし、その瞳は私の一挙手一投足を見逃すまいとしている。
彼に見つめられていると、鳥籠の中の鳥にでもなった気分になる。だが、鳥たちも籠から逃げ出そうとはしているのだからそれとも違うのだと思った。私は彼に飼われている従順な人間なのだと。別にそれでいい。彼が帰ってきてくれるならどうだって。
「どうしたの?」
「ううん、ちょっと考え事してただけ」
自由なんてない窮屈な世界、私はそれを望んだ。
人籠 堕なの。 @danano
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