1‐5
「よぉく分かりました」と橘。
「つまり二見さん――二見先輩は一ノ瀬先輩の元ガチ恋ストーカーで、でも今はもう恋愛感情は無くて、だけど一ノ瀬先輩に泣いて土下座してお願いされたから、仕方なくお情けで付き合ってあげている、聖女みたいな方なんですね」
「全然分かってないじゃないか!」
どこをどう捉えたらそういう認識になるのかまるで見当つかないが、どうやら二見はその解釈が大変気に入ったらしかった。橘に好意的な視線を向けると、「あなた、物分かりがいい上によく見たら可愛らしい顔してるのね」と感心したように言った。
妙な連帯が生まれ始めた女性陣を尻目に、山田は俺の方へコソコソと寄ってきて、またニヤニヤと口を開いた。
「やぁ、経緯は分かったけれど。僕はまだ、イマイチ納得いかないねぇ」
「何が」と俺。
「だから、言っただろう? その振る舞い、態度……もっと言えば、その落ち着き方さ。あたかも関係性まで、ある程度落ち着いてしまっているようにすら見えるんだよ。彼女、出会ったばかりのストーカーなんだろう?」
それもヤバめのさ、と小さく付け足してから、山田は少し窺うように、談笑する女性陣へと視線を流した。
「ヤバい女に捕まったとして、普通、そんなに落ち着いていられるかい? いや、いられない事を、一ノ瀬くんは身をもって知っているじゃないか。田口先輩みたく、泡吹いて倒れるくらい気が動転する方が、むしろ反応としては正解に近いんじゃないかね」
もっともらしく言う山田だが、相変わらず口角はニマニマと不愉快に捻り上がっていて、その口の中で言いたい事の核心を転がしているようにさえ見える。見えると言うか、十中八九、口の中で本音を転がし隠している。山田はそういう奴なのだ。
「結局、何が言いたいんだよ。俺が今から泡吹いて倒れればいいのか?」
多少なりとも棘のある言い方をすると、山田は呆れたように鼻で笑った。
「ま、ある意味ではそうかもしれないけどねぇ。そうしろと言えば泡吹いて倒れてくれるのかい?」
いい加減頭にきた。俺が鼻から深く息を吐き出すと、山田は慌てて両の掌を見せる。
「わぁ、ごめんごめん。いや、流石に僕もちょっと、これは言いづらくってさぁ」
「言いづらい?」
「うーん……じゃ、ちょっと耳貸してよ」
俺は素直に耳を傾けると、山田は手で耳を覆うようにして、こう言った。
「一ノ瀬くんさぁ。二見さんを、テイのいいスケープゴートにするつもりでしょ?」
俺は黙った。
耳元から離れてもまだ、押し黙って固まったままの俺に、山田はやはりニヤニヤと笑みを浮かべた。
「そういうことなら、納得さ。二見さんのことを、そもそも人間として捉えていない。手元に置いておく道具として捉えているなら、それがストーカーだろうが何だろうが、アタフタする必要はないからね」
その言い方に目で抗議すると、山田は一層顔をニヤつかせて続ける。
「まぁ、僕は……僕達は、その方が話が早くて助かるんだけどねぇ。一ノ瀬くんが最初からそのつもりなら、僕達もこうやってあからさまなお膳立て、する必要もないワケだし」
囁くように言いながら、山田は女性陣を一瞥した。緩み切った笑顔の橘が「あーん♡」と大口を開けて、二見に肉を食わせてもらっている。「サークル単位で羊の候補を囲い込んでおく、って意味ね」と山田は苦笑いした。
羊。生贄の羊。
二見とのファーストコンタクトの後すぐ、この女は羊に使える、と思った。
俺の認知の外側、自分の努力でどうこうできない範囲からの強襲……言い換えれば、面識のない女性による一方的なストーキング行為は、俺や俺の周りの友人達、つまり山田や橘達の努力によって回避できるような事象ではない。少なくとも、今日の二見との遭遇に関して、俺達には彼女を慮るための余地は無かった。故に今回、彼女の怒りの矛先は、二見以外に向けようがない。二見の犠牲にさえ目を瞑れば、それを契機にして、俺達は彼女の圧政から逃れることができるはずだ。
彼女――
「でもちょっと意外だよ」と山田。
「僕はてっきり、一ノ瀬くんは女の子には無条件降伏しちゃう感じの、全肯定脳死赤べこ野郎だと思っていたからねぇ。女の子の好意を利用して、あまつさえ使い捨ての道具扱いするような、そんなどうしようもない男にもなれるとは思ってもみなかった」
「お前、さっきから随分いやな言い方をするな」
「遠回しに言ったんじゃ、キミは要領を得ないじゃないか。それに、僕はこれでもね、かなりオブラートに包んだ物言いをしているつもりだよ」
一体どこが、と吐き捨てかけたのを遮るように、山田は至極真剣な表情で、言った。
「まず間違いなく、姫乃ちゃんは、本当に殺すつもりだよ。それでもいいんだね?」
ホットプレートの上に、焦げ付いた肉の欠片が転がっていた。
あぁ、と俺は小さく頷いた。
正妻戦争ヤンデレウォーズ 小泉明日香 @kizmask
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