君の隣にいるために
楓と遥のバッグには、旅行に行った時の猫の根付けとホタルガラスのキーホルダーが揺れている。
ふと楓のバッグを見た遥は、あーっと大きな声を上げた。
「どうした?大きい声出して。」
驚いた楓は目を丸くして、遥の視線の先へと目をやる。そこに居るはずの猫とホタルだったが、猫が一匹で寂しそうに揺れているだけだった。ホタルガラスの上に付いていたリングだけが残り、美しい光を放っていたブルーの石だけが消えてしまっていた。
「石が無くなってる…階段で転んだ時に外れたのかも。」
「探しに行こう!」
遥は楓の手を取り公園まで走り出した。
階段は二十段ほどあり、階段の脇は茂みになっている。
「絶対あるって!探そう。」
「そうだな、見つけよう。」
二人は寒空の中、茂みの中を掻き分けて根元に落ちていないか慎重に探し始めた。
階段の半分程まで探しながら下りてきたが、細かいビンの破片は見つかるものの、ブルーの石どころか、欠片さえも見つけられないでいた。
スマホのライトをつけて探してもみたが、美しい光には出会えない。
「どこいっちゃったんだろう…」
二人の手の甲には、茂みを掻き分ける時についた傷が赤い線となって現れている。
「ハルカ、あとは俺が探すから。帰って大丈夫だよ。」
気温も下がり、遥を心配した楓はそう促した。冷たい風が容赦なく爪を立てる。
「やだ。俺も一緒に探す!絶対あるって。」
そう言われることは分かっていた。手を傷だらけにしても見つけようとする遥の姿に、楓の顔から笑みがこぼれた。
「そうだよな…でも、ここより下にあるかな。」
「さすがにこんなに下までは転がらないよな。」
「おにいちゃーん!」
階段の上から降ってきた声の方を見上げると、先日助けた女の子と母親が心配そうに見つめていた。
階段の上まで行くと、母親は頭を深々と下げた。
「あの時は本当にありがとうございました。怪我させてしまって申し訳ありません。」
「いえ、大したことなかったんで気にしないでください。娘さんに怪我がなくて良かったです。」
楓は膝を曲げると女の子の目線に合わせて、優しく話しかけた。
「お名前は?」
「スミレです!おにいちゃんたち何してるの?」
「スミレちゃんか。大切なもの無くしちゃってね、探してるんだ。」
「大切なものって、なーに?」
「青くてキレイな石なんだ。このくらいの。」
親指と人差し指で石の大きさを伝える。スミレは楓の指をじーっと見つめていたかと思うと、斜めに掛けた小さなポシェットから、五センチ四方のケースを取り出し、手のひらに乗せた。
「これ?この間、おにいちゃんが助けてくれた時に落ちてたの。でもね…」
悲しそうな顔でケースのフタを開けると、綺麗に半分に割れている、紛れもなく自分の傍らで揺れていた石だった。
「スミレちゃん、おにいちゃんたちが探してたのこの石なんだ。もらってもいいかな。」
しかし、スミレの顔は曇ったままだ。母親が返すように説得するも、首を横に振ってケースのフタを閉じてしまった。
「すごくキレイだから、スミレの宝物なの。」
「スミレ、それはおにいちゃんの大切なものなのよ。返さなきゃ。ね?」
「やだ!スミレの!」
すみません、すみませんと母親が楓たちに頭を下げるが、スミレの表情は固まったまま動かなかった。
楓の隣で遥がなにやらカチャカチャと手を動かしている。遥は手をグーにして、スミレの前に座ると目の前で手を開いた。
すると、スミレの顔がたちまちパーッと明るくなった。
「それじゃぁさ、これと交換しない?」
遥の手のひらにあったのは、ホタルガラスだった。スミレはふたたび、ケースのフタをそっと開くと半分に割れた石を遥に渡した。
「これ、スミレもらっていいの?」
目の前でキラキラと揺れる光が、スミレの目の中に反射して黒目が輝いている。
「そんな、頂けません。大切なものなのに。」
母親は申し訳なさそうに、遥の手に返そうとしている。
「良いんです。これなら二人で分けられますから。」
「そうだな。スミレちゃん、返してくれてありがとう。」
スミレはキーホルダーをギュッと握りしめると、楓と遥にとびきりの笑顔を向けた。
「おにいちゃんたち、ありがとう!宝物にするね!」
「本当に、何度もご迷惑おかけしてごめんなさい。」
「迷惑じゃありません、スミレちゃんが拾ってくれたおかげで、俺たちの所にまた戻ってきてくれましたから。」
「その石は、スミレちゃんが大事に持っていてね。」
「うん!」
スミレはポシェットを開けると、ゆっくりとその中へキーホルダーをしまい、ぽんぽんと優しく手を置いた。
「ありがとうございます。」
母親の顔にもようやく安堵の笑顔がこぼれた。スミレは大きく手を振って、楓と遥をいつまでも見送っていた。
それに応えるように、二人もスミレの姿がみえなくなるまで手を振っていた。
「ハルカ、ごめんな。」
「何言ってんの。だって、二人で持ってなきゃ意味ないでしょ。こっちの方がペアっぽくて良くない?」
遥は割れたホタルガラスをピタッと合わせて、綺麗な丸にして見せた。
その半分を楓にそっと渡した。
「はい、カエデの。」
「うん、ありがとうハルカ。」
二人は石を大切そうにポケットに滑り込ませると、指を繋いで歩いた。指先に感じるお互いの熱と感触を確かめて、緩くも解けることの無い丁度いい場所を見つけて、嬉しそうに笑った。
――三月。
長いようで、その中で過ごしてみると思った以上に月日が流れるのは早かった。
高校二年生もまもなく終わりを告げようとしていた。
教室の掲示物や荷物などもほとんどが外され、今は空っぽのロッカーや壁が、なんとなく寂しく見える。
「一年間ありがとな!お前らの担任で、ほんっとうに楽しかった!クラス替えは無いからこのままのメンバーで三年になるわけだけど、担任は誰になるか分からない!またお前らの担任になれたらいいなって思ってるよ、俺は!」
「俺たちだって、また山ちゃんに担任になってほしいって思ってるよ!」
うっ、と我慢しきれずに黒板の方を向き、山田が腕で目をゴシゴシ拭いている。
学級委員の加藤が、
「先生、ほら拭いてください。」
「加藤、ありがとな!でも、なんでバスタオル?」
「先生、絶対泣くだろうなと思って…このくらいデカくないと足らないかなと思いまして。」
教室中が笑いに包まれたかと思うと、山田の泣き顔につられて、あちらこちらでも鼻をすする音が聞こえた。
加藤の合図で、教卓の前でクラス全員が山田を囲むように集まった。
隣のクラスの生徒に頼み、写真を撮ってもらう。
楓と遥は隣同士に並び、二人の間から京がニヤニヤしながら顔を出してきた。
「月村、ジャマなんだけど。」
「ジャマとか言わないでよー。俺もここで写りたい!」
「わっ、月村くん押さないで。」
「いいですかー?撮りますよー!」
「はい、チーズ!!」
シャッターが押された瞬間、京は楓と遥にガバッと抱きつき、二人は顔を密着させ前屈みになったところで写真におさまった。
「あはは、いーねー!俺たち、仲良しな感じ出てる。」
京の腕にしっかりホールドされた楓と遥は、可笑しくなり目を合わせ笑った。
「よーし、お前ら。明日から春休みだ!羽目は外さず、思いっきり楽しめよ!一度しかないんだからな、高校二年生の春休みは!」
クラス全員で声を揃えて返事をすると、山田は満足そうに頷いて、そしてまた、少し泣いていた。
学校を出ると、淡雪が降っていた。地面に落ちてはすぐに溶けてしまう春の雪だった。
「カエデ、雪降ってるよ!」
「ほんとだ。」
見上げた空から、ふわふわと綿のような雪が降りてきて、髪にそっと乗った。
「二人ともー!」
後ろから明るい声に呼ばれ、振り返ると実弥と彩水が追いかけてきていた。
「え、雪だね。」
「キレイ…」
見上げて手を伸ばし、手のひらで包んではすぐに水に変わってしまう雪を見ている。
「二人とも、どうしたの?何か用だった?」
雪に気を取られ、目的を忘れている二人は慌てて向き直った。
「この後、一緒にファミレスでお疲れさま会しない?」
「いーねー!俺も混ぜて?」
どこからともなく現れた京が、先に返事をする。
「みんなで行こう?」
彩水も二人を誘いながら、目線を空に向けて落ちてくる雪を目で追っている。
「カエデ、行こうよ!」
「そうだな、行くか。」
楓と遥を先頭に、後ろから三人が揃って着いてくる。こんな光景を一年前の楓は想像することさえ出来なかった。
想像することさえ許されないと思っていた。遥の隣にいるために、気持ちが表に出ないように平然を装い、友だちとして…幼馴染として、遥への感情を友情に置き換えて、伝えられない想いは心に鍵をかけて閉じ込めた。
「あ、雨になっちゃったー。」
残念そうな声が後ろから響いてくる。
今日の天気予報では、午後から雨予報になっていた。予報より気温が低くなり、少しのあいだ雪の姿で舞い降りていたのだ。
カバンから折りたたみ傘を取り出すと、色とりどりの傘の花が開いた。
「俺、傘もってないー!」
「俺の貸すよ。」
手で雨避けを作っていた京の元へ、楓の持っていた傘が放物線を描いて飛んできた。
「ありがとー!でも、早坂くん大丈夫なの?」
心配する京を他所に、遥が隣で開いた傘を二人でさす後ろ姿を見て納得した。
「逆にそっちの方がいっか。」
フッと笑うと京は傘を開き、少し濡れた髪を手で払った。
遥が持っていた傘を、楓がそっと受け取ると二人の間にさした。そんな楓の横顔を嬉しそうに見つめながら、遥はこれまでのことを思い出していた。
ずっと好きだった。でも、その「好き」が途中から軽々しく口に出来ない「好き」に変わったことに苦しくなった。息をすることを禁じられたような、色を奪われたような、そんな暗い闇の中で生きていた。楓の隣にいるために、自分の身勝手な感情には蓋をして見えなくすればいい。伝えてしまえば、今のこの「友達」という関係でさえ、脆く呆気なく崩れ落ちていくのは分かっていたから。
「…ハルカ?」
「ん?」
前を歩く傘に映る影が、ひとつに重なったのを三人は見逃さなかった。
「ちょっとー!今、キスしてたでしょう!」
「お二人さーん。見えてますよー!」
傘からスっと遥の手が伸びて、違う違うと手のひらでヒラヒラと否定する動きをしている。
さっきから、傘の柄を持つ楓の手には遥の手が重ねられていることを、三人は知らない。
これから先、きっと大きな壁が二人の前に立ちはだかる場面が何度も訪れる。
その壁があまりに高すぎて、乗り越えるのが無理ならば…回り道をしても良いし、二人で壁を叩いて小さな穴を開けても良い。そこから漏れる光がその先を照らしてくれると信じて。
明日も明後日も、来年も五年後も、遥か遠い未来でも二人が同じ道を並んで歩いていけるように。
思いを伝え合うこと、ゆっくり育むこと、友だちに頼ること、たまにヤキモチを妬くこと。
二人が叶うことは無いと諦めていた夢は、隣にいる愛しい人の温もりで、夢ではないと感じられる。
不安と希望に満ち溢れた未来でも
君の隣にいるために―――
「カエデ、愛してる。」
「俺も愛してるよ。」
誰にも邪魔されない二人だけの空間に包まれる。
空からは光が差し、七色の虹も橋を架けた。
「あのー!もう雨上がってますよー。」
「全然聞こえてないみたい。」
「まったく。二人の世界にはこっちの声は届かないのね。」
そんなことを言いながら、二人の影を見守り微笑んだ。二人はしばらく傘を差したまま歩いた。
傍らには、半分になったブルーの石が太陽の光を浴びてキラキラと強い光を放っている。
二人の分身のような、御守りのような、少し欠けたこの石は二人とともにあり続ける。
「あー、またキスしてるー!」
淡雪が舞い降りた枝の先には、桜のつぼみが薄いピンクに色付いて、咲き誇れる時が来るのを静かに待っている。
暖かく色鮮やかな春は、すぐそこまでやってきていた。
そして、二人の新たな
… 𝗍𝗁𝖾 𝖾𝗇𝖽
君の隣にいるために 夢 理々 @muriri
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