バレンタイン2
今日の学校は、年に一度のイベントのせいで朝から女子たちは落ち着かない様子だった。
それぞれの時間やタイミングで意中の相手を呼び出して渡す者、教室で堂々と渡す強者、友チョコとしてクラス中に配る者、女子同士で交換する者、一日中落ち着くことはなく、気忙しい雰囲気が続いていた。
「早坂くん、これ受け取ってもらえる?」
「早坂くん、ちょっと来てくれる?」
「月村くん!これ。」
「月村くーん、ちょっと来て。」
遥は頬杖をつき、呼び出されては荷物が増えて戻ってくるカエデと京の姿を恨めしそうに眺めていた。
「ハルカくん、これ。友チョコ。良かったら食べてね。」
机にそっと置かれた可愛らしい小さな箱が遥を見つめた。彩水のあとから実弥もやって来た。
「はい、ハルカくん。チョコあげるね!…カエデくんは…?また呼び出されてるの?」
「うん、カエデと月村くん呼ばれまくり…二人ともありがとう。俺、誰からももらえないかと思った。」
教室の扉に目をやると、楓が戻ってくるのが見えた。やはり手には新たなプレゼントが握られている。
「カエデくん、やっぱりモテるねー!これは、あたしと彩水から!友チョコ!」
「ありがとう、あとでハルカと食べるよ。」
笑顔で去る実弥と彩水は、ほかの男子のところへと移動し、同じようにチョコを配っていた。
「毎年のことながら、やっぱりスゴいなカエデは…。」
「お二人さん!見てよー。こんなにいっぱい貰っちゃったよチョコ。」
呑気に両手にたくさんの袋をぶら下げて京が教室に戻ってきた。
「月村くんもそんなにー!」
遥は不貞腐れたように頬をふくらませた。楓が見ていないタイミングで、京は遥に目配せをして楓に伝えたのか伺った。
首を横に大きく振ってみせると、京は顎で早く伝えるように、と合図を送る。
「カエデ…?今日の放課後、うちに寄れる?」
「うん。大丈夫だよ。」
「良かった。ありがと。」
京は満足そうに微笑みながら頷いて、指でOKとサインを送った。
―――放課後。
「カエデ、帰ろう。」
「うん。ちょっと待って。」
帰りの支度をしていると、山田が扉を開けて入ってきた。
「早坂、お前そんなにチョコもらったのかよ。少し分けてほしいよ!…あ、ああ、そんなことより、ちょっと職員室来てくれるか?仕事頼みたいんだわ。」
「分かりました。どのくらい掛かりますか?」
「そうだなぁ…三十分くらい掛かるかもな。頼んだぞ!」
そう言って山田は去っていった。
「ごめんハルカ。ちょっと行ってくるから、先に帰ってて。終わったらすぐにハルカの家に向かうから。」
「…分かった。家で待ってるね。」
「ごめん、すぐ行くから。」
教室を出ていく楓の背中を見つめ、遥は静かに教室を出ると、自宅へ向かった。
「ただいまー。」
「おかえり!」
「今日、カエデが来るから。」
「じゃぁ、カエが来たらコーヒーいれるね。」
「サンキュー!」
階段を上り部屋のドアを開けると、机に置いてあるプレゼントの袋へ目をやった。
時計を見ると十六時を少し回ったところだった。
袋を両手でそっと持って中を覗くと、綺麗にラッピングされた愛くるしいお菓子がキラキラと輝いて見えた。
「早くカエデに渡したい。」
遥はベッドに座ると、楓から貰ったぬいぐるみをキュッと抱きしめた。
十六時三十分を過ぎた。スマホを確認するが楓からの連絡は無い。
「山ちゃん、まだ仕事させてんのかよー。早く解放してやれって。」
遥は今日の授業で課題が出ているのを思い出した。仕方なくノートを開き、ペンを握る。
「カエデが居れば、こんなのすぐに終わるのに。」
集中できずに少しウトウトしていると、指の隙間からペンが落ちてコロコロとノートを滑っていく。
夢と現実の狭間を漂っていると、下から響いてくる音で現実へ引き戻された。
ドンドンドンドンドン…!
階段を駆け上がってくる音が部屋の前で止まると、その瞬間勢いよくドアが開く。
理咲の顔を見ただけでなにかとてつもなく悪いことが、口から発せられると容易に想像がついた。
「ハルカ!カエが…病院に運ばれたって…今、美季ちゃんから連絡きて…」
「カエデ…!?」
理咲が何かを言っているのが分かったが、声になっては届かなかった。ボワンボワンと反響したような音だけが、気持ち悪くなる感覚で頭の中で騒いでいる。
目の前が真っ白になり、チカチカと白い光が点滅しているような不思議な世界を遥は生まれて初めて経験した。
心の中で楓の名前を呼び続けることしか出来なかった。
どうやってここまで来たのか、気づいた時には病院のロビーに辿り着いていた。
受付で救急で運ばれた楓のことを伝えると、待合室へ案内された。
そこには美季の姿があった。
「美季ちゃん!」
「ハル!来てくれたの!?ごめんね、心配かけて。」
「なにがあったの?」
美季はイスに座り直し、遥も隣に腰を下ろした。
「学校帰りにね、公園のところ通ったら小さい女の子が、階段の近くにいたみたいで。カエデがちょうどその子の横通り過ぎようとした時に、段差につまづいて階段から転げ落ちそうになったところをカエデが庇って、女の子は無事だったんだけどカエデが階段から落ちちゃったみたい。二、三段で止まったみたいなんだけどね。それで、その子のお母さんが救急車呼んでくれて、一緒に病院まで来てくれたの。すごく心配してくれてて、ずっと謝ってくれて。それで、ハルが来る少し前に帰ってもらったの。」
「そうだったんだ…俺、今日カエデと約束してて。俺も学校に残って一緒に帰ってくれば良かった。」
診察室のドアがスーッと開くと、医師に軽く頭を下げて楓が出てきた。
その腕には左の手首から手のひらに掛けて黒いサポーターが巻かれていた。
二人の姿を見つけると楓は驚いた表情で近づいてきた。
「来てくれたの?ハルカまで!心配かけてごめん…」
「カエデ!大丈夫!?」
今にも泣き出しそうな遥の顔に、優しく微笑みかける。
「うん。手首にちょっとヒビが入っただけだから、これ付けて固定してれば治るって。」
「はぁ…良かったぁ。私、女の子のお母さんに連絡してくるから。」
「分かった。座って待ってよう。…ハルカ?」
「お母から、カエデが病院に運ばれたって聞いて、ほんとに怖くなった。俺のせいかもしれないって。俺も一緒に待ってれば良かったんだって後悔した
。」
「何言ってんの。ハルカのせいじゃないよ。救急車なんて大袈裟だから大丈夫ですって断ったんだけど、心配だからどうしてもって言われて。」
遥は伸ばした手を、楓の手の上にそっと重ねた。
「生きてて良かった…」
「はは、ハルカも大袈…さ」
潤んだ瞳から一筋の涙がスーッと頬を滑っていくのが見えた。
「ごめんね…。俺は、ずっとハルカのそばに居るから。」
奥から電話を終えた美季が帰ってきた。遥はスっと自分の膝の上に手を戻した。
「すごい安心してたー。本当にありがとうございましたって何回も何回もお礼言ってくれてたよ。カエデ、あんたやるじゃん!さすが、私の息子だね。」
笑いながら楓の肩を後ろからパーンと叩いた。
「ちょっと…一応ケガ人なんですけど。」
「あはは、ごめんごめん!…お会計も済ませたし帰ろう!車で来たからハルも乗って。」
「うん、ありがとう。」
後部座席に二人並んで座ると、楓が顔を
「ごめん、今日ハルカの家に寄るって言ってたのに…急用だった?」
「ううん、大丈夫。カエデ、明日は平気?」
「うん!それじゃ、明日の放課後は一緒に帰ろう。」
前方の信号が赤に変わった。
美季は助手席に乗せた楓の荷物に視線を落とした。階段から落ちた拍子で手から離れた数多くの袋。その中から覗くのは甘いチョコレートの影だった。
ルームミラーで後ろの二人をチラッと見ると、何年も一緒にいるはずなのに、なぜだか特別な姿に映ってふっと笑みがこぼれた。
信号が青に変わると、美季の視線は目の前の街並みに戻され、キュッとハンドルを握り直し、ゆっくりとアクセルを踏むのだった。
「ありがとう、美季ちゃん。カエデ、無理しないで。ゆっくり休んでね。」
「うん。ありがとう、ハルカ。また明日な。」
ドアを閉めると、助手席の窓が開き運転席から遥を見上げる美季と目が合った。
「ハル、ありがとね。理咲ちゃんにも心配かけてごめんって伝えといてくれる?私も後で連絡するから。」
「分かった。」
窓越しに二人が手を振る。
車はゆっくりと進んでいき、楓の家に曲がるまでその後ろ姿を見送った。
―――次の日の放課後。
約束通り、学校を終えた二人は一緒に帰宅し、遥の家のドアを開けた。
部屋に入り荷物を下ろすと、楓はいつも座る場所へとゆっくりと座った。
トントン。
ドアを開けるとトレーを持った理咲が、心配そうな顔で立っていた。
「カエー!大丈夫だった!?もう、心配したよー。大きい怪我にならなくて良かった。」
「心配かけてごめんなさい。」
テーブルにティーポットとカップを並べていく。
「あんまり無理しないで、ハルカのこと使って良いから。出来ないことはハルカに頼みな。」
そうそう、と遥は楓の顔を見ながら大きく頷いている。
「そうさせてもらう。理咲ちゃん、ありがとう。」
「甘えていいんだから!…あ、私買い物行ってきちゃうから。留守番よろしくね!」
OK、と軽く返事をすると理咲はドアを閉めて軽快な足取りで階段を降りていった。
遥は、ポットの中で紅く色の出た紅茶をカップに均等に分けていく。
「昨日さ、バレンタインだったじゃん。」
「うん。」
遥は立ち上がり、机の上に乗せておいた袋を楓の前にそっと置いた。
「これ。バレンタインのプレゼント。」
「え…。ハルカから、俺に?」
「…そう。初めてお菓子作ったんだ。月村くんに教えてもらって。」
「月村?」
「誰にも負けないお菓子作って、カエデを驚かせようと思って協力してもらったんだ。ね、食べてみて?」
「うん…でも、その前に。」
楓の右手は、ぎこちなく少し緊張しているのが伝わってくるような動きで、テーブルの上に少し歪んだ小さな箱を置いた。
「…俺も、作ったんだ。チョコ…昨日渡そうと思ってたんだけど、怪我した時に箱潰れちゃったみたいで。たぶん中も崩れたかも。だから、無理に食べなくて良いから。」
「カエデ…料理苦手なのに、俺のために?」
遥は思わず楓に抱きついた。左手のことを思い出して離れようとしたが、楓は右手でその背中を抱きしめた。
「ありがとう!カエデ。」
ピックにさした生チョコを楓の口に運ぶ。
「はい、あーん。」
ホワイトチョコにドライフルーツが入った、見た目も可愛らしいチョコは、口の中でフワッと溶けてフルーツの香りが鼻に抜け、楓は目を丸くした。
「美味しいよ!」
「良かった!マフィンも食べて。」
マフィンの生地にはストロベリーチョコが混ぜてあり、ベリーも入っているので酸味も甘さも感じる味だった。
「ハルカすごいよ!どっちもめちゃくちゃ美味しい。」
「ホントに!?俺のが一番?」
「当たり前だよ、そんなの。」
遥の頬にありがとうのキスを贈った。
「カエデの作ってくれたチョコ、食べてもいい?」
遥のお菓子の出来の良さに、楓はますます食べさせるのを
「ホントに食べるの?」
「だってカエデの手作りだよ!食べないわけないじゃん。」
歪な箱の中に入っていたのは、潰れて形が不揃いになったトリュフだった。一粒摘むと口の中にそっと入れた。
「んん!溶けるよ、カエデ!…もうなくなっちゃった。」
続けて二粒目も口に運ぶと、その美味しさに目を輝かせた。
「カエデすごいよ!おいしかった!ありがとう。」
紅茶を一口飲み、真似して楓の頬にキスをしようとすると、楓が顔の向きをフッと変え、唇が重なった。
一瞬目を開いたが、またすぐに閉じてキスを続けた。楓の手が遥のシャツのボタンを捉え、片手で器用に外していく。
遥もキスをしながら、楓のシャツのボタンを両手で探りながら外していく。
「…カエデ、背中向けて。」
後ろを向かせると、丁寧にシャツを脱がせていく。
「手、大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。」
露になった楓の背中に、愛おしそうに唇を押し付けた。初めて背中に感じる感覚に、楓は目を閉じ少し背中を反らした。
「…ベッド行こう?」
遥は先に立ち上がると、楓の腕を掴みゆっくりと立たせた。
「うつ伏せに寝られる?」
楓は言われた通りうつ伏せになると、プレゼントしたたぬきのぬいぐるみと目が合った。
「カエデは、怪我してるんだから今日はじっとしててね。」
背中に覆いかぶさった遥は、耳元で囁いた。
遥の髪が楓の背中に掛かると、くすぐったいと言って顔を枕に埋めた。
ゆっくりと楓の背中にキスを落としていく。
――ちゅっ。――ちゅっ。――ちゅっ――
そのうち、ツーっと舌先を這わせて、手のひらで背中の温もりを感じた。
与えられた舌先の刺激で、楓は背中を小さく強ばらせた。
「ハルカ、キスしたいんだけど…」
「俺も…このまま仰向けになれる?」
上から眺める楓の顔は、頬が紅潮し口が少し開かれ、艶やかで色気のある表情をしていた。
「カエデ…綺麗。」
舌を絡ませ愛情を交換するように、二人は求めあった。
「…ん。」
「はぁ…んっ。」
遥はスルスルと首筋に唇を滑らせていく。鎖骨の上あたりで止まると、チュッと吸い付き赤い花を咲かせた。
「…んっ。」
楓の口からも吐息が漏れてくる。自由に使えない左手のせいで、主導権を完全に遥に握られてしまっている楓は、ただ押し寄せてくる快感に流されるしか出来なかった。
「あっ…くっ。」
遥の舌先は、楓の胸へと到達していた。
スーッと滑らかに移動させたり、小刻みに動かしては刺激を与えたり、指で転がしたり、弾いたりする度に、楓の身体はビクビクと先程よりも大きく反応した。
「…ハ…ルカ、んんっ。はぁ、勘弁して…」
「カエデ…好きだよ…」
楓の顔にかかる前髪を払うと、吐息の漏れる唇を塞いだ。
その間も指の動きは止まらず、刺激を与え続けた。
「カエデの中、入ってもイイ?」
いつもクールな顔の楓からは想像もできない、甘ったるい瞳は潤んだまま遥を見つめる。
少しの
与える側から与えられる方へ、この変化に楓は驚きながらも、遥の愛に溢れた愛撫や言葉で、優しいベールに包まれているような、そんな気がしていた。甘く優しく、その中に楓に陶酔し恍惚とする激しい感情が入混じり遥の身体を自然に動かした。
並んで横になっている楓に、遥はコロンと横を向き、肩にピタッと張り付き申し訳なさそうに見つめた。
「カエデ、ごめん。大丈夫だった?」
「ん、大丈夫だよ。」
「カエデのこと愛おしすぎて、止まらなくなっちゃった…怪我してること、忘れてたわけじゃないんだけど、抑えられなかった。」
「うん、分かってるよ。だから、嬉しかったんだ。」
「好き…じゃ、足らないんだ。大好きでも、まだ足らない…カエデ、俺…カエデのこと、愛してる…とか言ったらキモい?」
「そんなこと思うわけないよ…だって、俺もハルカのこと愛してるから。」
楓の指が遥の唇をなぞると、遥の指は楓の頬をふわりと包んだ。
そしてまた二人の間には距離がなくなり、深く甘く確かめるように、全てが溶けて身体中に伝わるように、互いにねだるようにキスをした。
チョコレートにも負けない二人の甘い甘い時間は、群青の空に丸い月が顔を出すまで続いた。
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