第7話

 「ちょ、ちょっと聞いて」

 どたどたと大きな音を上げて階段を駆け上がり、ドアをバンと開け放った少女は混乱していますと言わんばかり慌てた様子で部屋に転がりこんできた。勢いよく開けられたドアは留め具にぶつかり、ぎぎと具合の悪い音を上げながら、元の位置に戻っていく。

 「どうしたんの? そんな慌てて」

 「あわて、慌ててないよ。うん、慌ててない」

 「いや、慌てていたな。お客さんがおつりを忘れて店を出ていった時くらい慌てていたよ」

 ピアノに触れるようになって一週間が経った。ようやく仕事にも復帰して、休憩の合間に彼女の歌の練習に付き合ってと普段通りの生活が戻ってきていた。

 そんな日常に戻った、仕事が休みの日。ベッドに寝っ転がってアウトドア雑誌に目を通していた僕はどたどたと階段を駆け上がってきたエリーに向き合うように座り直した。

 真正面にエリーを見据える。こんなに慌てているエリーを見るのは久しくなかった。それだけ何か彼女にとって大きなことが起きたのだろうと考える。

 「とりあえず、落ち着いて話してくれないか。そうしないと何もわからない」

 僕の言葉にむうと不満げにしながら、一つ深呼吸をして彼女は手に持っていた封筒を僕に見せる。

 「これ、読んで」

 「なに、これ」

 渡されたのは綺麗な便箋だった。宛先にはエリーの名前が書いてある。丁寧に封がされていたようで、差出人が細やかなことにも丁寧な人物だったのだとなんとなく分かった。

 中にはきっちりと折り畳まれた数枚の手紙が入っている。手書きされたそれはやはり丁寧な文字だ。

 文字を横滑りさせるように読んでいく。

 手紙ありがとうございます、の一文から始まったその手紙のこの手紙、先に送られた手紙のお礼であることが分かる。

 読み進めていく。

 ――あなたの映画に対しての真摯な視点とそして、私が本当に見てほしいと思ったシーンを受け取ってくれたことが嬉しい。私の映画を美しいものとして理解がしてくれることが嬉しかった――

 先の手紙に書かれたであろうエリーの熱意や感想に関しての言葉が長く、長く綴られる。その文章からこの手紙がエリーの好きな映画に関わる人物に当てられたものだと分かった、なるほど、ファンレターの返信なのかとようやく理解できた。

 ファンレターに対して、こんなにも丁寧に返信が来ることは珍しいことなんだろう。そう考えると、エリーがあれほどに興奮していたのも分からなくもない。

 ――それが今の創作意欲に大きく影響を与えてくれている。あなたのようにただただ映画を楽しんでくれる観客のために新たに作りたいと思える――

 手紙の先にいる人物がその言葉に表れていると思った。ただ、楽しんでもらいたいというその一心が言葉に綴られている。ファンの気持ちとしてそんなことを書かれているならば、天上にも上る気持ちだろう。

 手紙を読みながら、僕も興奮を覚える。こんなに丁寧な文章を貰ったら、僕はそう考えると、読み進める手は止まらない。

 最後の一枚を手にした。

 ――新たな作品が楽しみと言われ、うれしかった。だからこそ、私もこうも思ってしまった。もし、もしもであるが、あなたという人間が生まれ育った土地を作品の舞台にしたいと考えたこと。あなたに会ってみたい、そしてあなたを育てた地を見に行ってみたいと思ってしまったの、だからさっそくだけど、あなたに会いに行くわ――

 最後に締めの言葉とその隣にはロベルタという名前が書かれていた。この名前はエリーに見せた新聞に載っていた名前だ。

 僕は興奮を隠すようにできるだけ抑えるようにエリーに顔を向けた。

 「これって、新聞に書いてあった、あれか?」

 「うん、その監督に手紙出してみたんだよね。ダメもとで。もし作品を作るのであれば、私の住む町はどうですかって、何にもないのどかな町だけど。何か琴線に触れるものがあるかもしれないって思って」

 「それで返事が返ってきたらこれだった、と」

 小さく頷いて、僕の言葉を肯定する。

 「うわー、凄いよ。良かったね!」

 抑えていたものが解き放つように声を上げてしまった。だけど、僕は悪くない。

 僕は悪くない。もう一度読み直す。特に最後、さっそくだけどあなたに会いに行くわという文章に目を向ける。

 「この感じだと、もうすぐ行くよってことだよね。うわー凄いな、行動する力が」

 「そ、そうなの。どうしよう。私、勢いで手紙書いちゃったけど、何にも思いついてないの。えっと映画の撮影のロケ地でしょ。なんかいい場所あるかな」

 申し訳なさげにする彼女に僕は苦笑いするしかなかった。

 あ、そうか。興奮しながら、慌てていたのはそういうことかと腑に落ちた。

 彼女は勢いで出してしまったものの、自信がなかったのだと。

 「ロケね。景色のいい場所が良いのかな。それとも、なんか田舎の町だって思えるような場所が良いのかな」

 僕もない頭をフル回転させながら、考える。綺麗な場所が良いのか、それとも分かりやすく映画に使えそうな場所がいいのか。

 「それも分からないわ。だから、クリスに知恵を借りたいなって思ったの。できれば、あなたにも手伝ってほしいと思って」

 お願い、といつものように頼みごとをされる。エリーがこんな風にお願いをしてくるのは僕にとって不定期に開催されるイベントごとみたいなものだ、だけどそう言われたも久々だなと懐かしさを覚える。

 僕たちが学生の頃は夜通しで終わらない課題に取り組むデスマーチになったり、あるいは彼女の企画で始めた商店の簡易移動販売に同行したりと結構大変な仕事を任せられることも多かった。

 思ってもみなかったハプニングもあって、それに巻き込まれることを楽しみにしている部分もある。

 今回も同様にロケ地探しから始まって、色々なことに駆り出されることになるのかなと考える。ちょっとだけ面白そうだと思ってしまった僕は彼女のお願いに毒されているのかもしれない。

 だけど、これも人生だなと楽しむことにする。巻き込まれることには今までで慣れてしまった。

 思えば、しょうがないことなのだろう。お願いに応えていくうちに身体に刷り込まれた彼女の兄貴分としての心構えがそうさせてしまう。ある意味では当たり前になってしまったのだから。

 「分かったよ。手伝うよ。面白そうだしね」

 相も変わらず僕はそう答えてしまう。

 「やった。ありがとう。持つべきものは頼れるお向かいさんね」

 人手確保と、商店の娘らしい言葉を口にしている彼女。

 「それで、とりあえず、言い出しっぺの法則で聞くけど、何か候補とかあるの?」

 「え、っと。あの」

 目線を逸らしながら、しどろもどろになっている。

「この間燃えちゃったお屋敷とかどうかな?」

 出てきた場所は最近練習場所にしている場所だった。それは候補に入れておくとして他にはと聞いてみると、パッとは出てこないらしい。どうやら僕を引っ張りこむことばかりを考えていたのか。まだ候補地も何も考えていなかったようだ。

 「仕方ないか」

 僕は引き出しから町の地図を引っ張り出し、机の上に置く。町の全貌とまではいかないが、どこに何があるかぐらいは分かりやすく載っている。

 「とりあえず、屋敷か。この地図だと、地図のはずれだね」

 屋敷の場所を赤で示し、注釈を加えておく。

 「あ、あと、丘。ほら、線路とか町が見下ろせる丘があったじゃない。前にピクニックに行った」

 地図を見せたことでイメージが湧いたのか、彼女はあれがあるじゃないと言いそうなほど気軽に指でその場所を示した。

 指の先にあるのは町から外れた場所、地図の端っこの場所。名前も特に覚えておらず、丘と呼ばれている場所だ。

 ピクニックと言われて、僕はようやく、そういえばそんな場所にも行ったなと思いだした。町から出た街道沿いを北に一時間ほど歩いた場所にある小高い丘。周りには何もなく、広い空を見ながら、町を一望できる丘だ。

 数年前だが、エリーがクラスの友達を誘って、遠足だ、冒険だ、と騒ぎながら、歩いたことを思い出す。

「あの丘からの景色が最高らしいよ」という言葉に興味を惹かれ、ついて行った。なんだか高校生にもなって遠足なんてと気恥ずかしさもあったが、行ってみると小さいころに学校の行事で行った山登りを思い出して、気分が良いものだった。それに、丘から見下ろす風景にも絶景と言っていい場所で、心洗われる気分になり、帰りにはまたどこか行こうよと盛り上がった。

 「丘ね。確かちゃんとした名前あったよな」

 「うーん、覚えてない。たしかアなんとかだったはず」

 「まあ、それはおいおい調べればいいか。えっと地図だと北の方角か、本当に地図の外れだな。ちょっと書き込みづらい場所だから注釈だけ入れておくよ」

 また地図に赤い印が入る。

 話をしながら、また思い出を語りながら、町のいくつかの場所を候補地に入れていく。思っていた以上に候補地は多く、地図は見る見るうちに赤の印が増えていく。

 「意外とあるもんだな」

 地図を見返しながら、自分でも正直、驚きをもった。この町にはなんもないんだろうなと考えていたが、それを裏切るように赤い印が地図の上を埋め尽くしている。

 「都会とかだともうないようなお店とか建物とかを考えてみたらね。たぶん撮影のセットとしては監督さんも見たことあるかもしれないけど、いまだに使われているのは見たことないと思うよ」

 タバコ屋や、町にある西部劇でもあったのかと言いたくなるような古いお店もあったなと印をつける。考えてみると意外とあるもんだと感心しながら、赤が増えていく地図を見る。

 「まあ、これだけあれば、その監督さんも気になるものはあると思うよ」

 「そうだよね」

 十よりも多い数の赤の印が付いた地図を見ながら、エリーは満足げに頷いた。


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