第三章:迷宮の四人

第15話 扉と幽鬼

「あった、ここだ」


 濡れた石壁の一面に指を滑らせた斥候スカウトの男は、探り当てた石材の継ぎ目に細い探り針を差し込んだ。

 どこかに動力が仕込まれてでもいたのか――ゴトリ、と低い響きと共にその部分の壁が横へずれて開き、錬鉄の金具で留められた木製の扉が現れた。


「ずいぶん手の込んだ仕掛けを作るもんだぜ。だが、よくここに何かあるって分かったな?」


 斥候、タイスはロランたちの方を振り返りながら、額の汗を布切れで拭った。

 朝方に宿屋の前で合流した、この使い古しのブラシのような顎髭を蓄えた男が、「三代目」の差し向けてきた「一家」のメンバーだった。ブラディスドックの裏側に潜む非公然の斥候組合は、接触して協力を取り付けるのにいささかの手間がかかるのだ。


昇降機リフトだ」


 ダリルがぼそっと答えた。


「昇降機?」


 エレアンナが不思議そうに訊き返す。ロランは数日前、自分が乗った時のことを思い浮かべた。そういえば、あの時は確か――


「使用したことのある者は知っていることだが――我々は普通二階層目、『下水道』から一層下った『地下墓所カタコンベ』のエリアから昇降機に乗り込む……だが、ボタンは一層目へ行くものもあり、実際に上へあがることができるのだ。ところが、そこから『下水道』へ出る道はない」


「ほほう……」


 タイスは愉快そうに、髭に埋もれた口元をほころばせた。


「こちら側からなら、通路が見つかると?」


「……『地下墓所』へ向かうにはそれなりに歩くし、遭遇エンカウントの確率も上がる。そもそもこんな構造にした意図を考えれば、直接第一層ここから昇降機へ出入できるようになっていなければつじつまが合わない」


「なるほどね。たぶん、あれだな。片側からしか発見できない隠し扉か、一方通行の通路だ」


「一方通行、ですか……?」


 エレアンナが怪訝そうな声を上げた。


 「一方通行」と呼ばれる仕掛けは、ブラディスドックに限らず、自然のものでない迷宮ダンジョンがあるところではしばしば噂されるものだ。だが、その実在に関しては、一つ重要な疑義が存在するという。


「パーティーが通り過ぎると後戻りできなくなる、って話ですけれど……例えば三人通って一人は残ったら、その四人目が扉を開けたときに先行した三人も戻れたり、するのではないでしょうか?」


「……ふむ」


 ダリルとタイスが顔を見合わせた。


「確かにそれは、考えたことがなかったな……」


「扉に見えても、実はその地点から壁一枚分の瞬間的な短距離転移を行う仕掛け、とか……」


「すげえな、流石は魔術師だ。何を言ってるのかよくわからねえ」


「……そもそも、誰かその仕掛けに実際に嵌った人ってここにいましたっけ?」


 おずおずと口をはさんでみた。ロランにとってはそもそも、何もかも初耳の世界ではある。だが、彼の脳内では今しも、隊伍を為した数十人の人々が次々と「一方通行」の扉をくぐっていく奇妙な風景が描き出されていた。

 その扉もしくは部屋は、もしかすると人間の思考を読み取るのかもしれない。それならパーティーと認識された人数が全員「通過」した時にだけ、隣部屋への転移が確定する、という方法で何とかなりそうな――だが、通過中の数十人はその最終決定がなされるまでの間、


「言われてみれば、俺はまだ一方通行の扉ってのは未経験だわ」


「まことしやかに言い伝えられているが、確かに私もまだ見ていないな……」


 実在の不確かなものについて議論しても、満たされるのは好奇心だけなのだった。

 一行は先ほど現れた隠し扉を開き、ダリルが求める答えを探してその奥の通路へと分け入った。


         * * *


「存外きれいに保たれていますね、ここは」


 周囲を見回しながらエレアンヌはゆっくりと歩いた。彼女が行使する「一時の灯火テンポラル・ライト」の小奇跡が、閉鎖されていた通路の様相を松明よりもいくらか鮮明に照らし出していた。

 気温が低く、床にも壁にも若干の結露こそあるが、目立った水たまりもなく、苔やカビによる汚損も少ない。


「隣り合っているだけで、もともと下水道とは別の区画なのかも知れん」


 ダリルが懐から書きかけの地図を引っ張り出して、これまで歩いてきた経路を指で辿る様子だった。

 ロランは足元が滑らないことに感謝していた。前回の探索では、安物の磨り減った靴のせいであわや足をくじくかという危機を何度も経験している。


「これは、地上から直接ここへ入る経路も探したいですね。服の裾を濡らさずに済みますし……」


 そういうエレアンヌは、丈長な尼僧服の裾をからげて、膝から上、太ももの半ばまでを露わにしていた。長靴下ショス穿きのダリルと対照的にむき出しの肌が目に眩しく、ロランはできるだけ後ろを振り向かないように努めた。今彼らのパーティーは前列にロランとタイス、後列に女性二人を置いている。


灯火ライト」の効果範囲はそれほど広くはなく、2ロッド(※)ほどから先は光が届かない。その闇の向こうで、何かがきらりと反射したような気がしてロランは息をのんだ。


「どうした」


「何か、います……! 敵かも」


「まあ、味方ってことはないだろうな」


 言わずもがなのことを言ってタイスがひゅう、と口笛を吹いた――さほど上手くはない響き方。


「急に臭ぇ匂いがしてきやがった。ありゃあ、亡者だな……!」


 ゴソゴソと重く鈍重な足音が次第に近づいてくる。やがて灯りの範囲内に姿を見せたのは、格子縞チェックのシャツに裾のちぎれたズボンを穿き、錆びた舶刀カトラスを手にした人影だった。


 半ば干からびたところで湿気にゆるんだ皮膚。眼窩は暗く落ちくぼみ、その奥に生命の光はない。三年前に起きた異変で殺されたのちに起き上がった、哀れな船員たちのなれの果てに違いなかった。






※ 現実には測量のために用いられるヤード・ポンド法の長さの単位。1ロッドは現在 5.0292メートル。カヌーなどでは現在も使われる。本稿ではロランの漁村出身という出自に合わせて、距離の表記に用いている。

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