第14話 エレアンヌ

 ダリルは虚を突かれた形だった。

 魔術師といえど本来なら、この程度の直線的な刺突は躱せる。もともと剣士として研鑽を積んでいた彼女であればなおのこと。


 だが術を行使した直後、負荷からの回復に要する時間は、彼女をして側方への踏み切りを一呼吸狂わせしめていた。


 ――危ないッ!!


 ずだんッ、と石畳にとどろいた雷鳴のような足音。剣尖きっさきが布と肉を破る、濡れた鈍い響きがその後を追う。


「あっ……ぐげぇ……」

 

 すくみ固まったダリルの目前で、暴漢の最後の一人がずるり、と崩れて地に膝をついた。その肉から抜けて空中にとどまったのは――ロランが腰だめに構えたあの古い剣だ。

 男が構えていた細身の剣が、からんと指から滑り落ちた。


         * * *


「ありがとうございます、おかげで助かりました……!」


 急遽駆け込んだ手近の小さな酒場。

 眼と鼻を洗ってようやく落ち着いた女が、二人にぺこりと頭を下げた。豊かに盛り上がった僧服の胸元が、鎖鎧をしゃらんと鳴らして揺れ弾む。


「い、いや……それほどのことでは」


 ダリルが目のやり場に困ったように視線をそらした。同性であってもその迫力には圧倒されるものがあった。

 

 暴漢たちの死体はそのまま、三人は一目散に現場を後にしていた。

 迷宮の財貨をあてに人々が集まり、活況を呈する現在のブラディストックは、その一方で衛士などの数はごく少ない。路地裏で乱闘などあればたちまち引き剥ぎ、物盗りの類が寄ってきて、敗者も勝者も一緒くた。ひと切れ残らず漁りつくされるのだ。


 一見豊かで華やかな大通りも裏へ回れば、その荒廃していることは死に絶えた港と何の変りもなかった。


「ご謙遜なさることはありません。術師様も従者の剣士様も、まことにお見事でした……申し遅れましたが私は海神テチスの神殿に仕える見習い神官、エレアンナ・プリムと申します。どうぞお見知りおきを」


「……ご丁寧に。私はダリル・ウェイガス。魔術師だ」


「ぼ、僕はロラン・カリブルヌ、です。か、駆け出しですが、戦士です……一応」


 落ち着きなくどもる少年の視線は、先ほどからエレアンナの唇から胸元にかけての、しっとりと内側から光るような肌に吸い寄せられてはあらぬ方向へ逃れて、目まぐるしく彷徨っていた。


「ロランさん、ですか。ダリルさんを護った突きの一撃、相応の覚悟がなければ、なかなかあのようにはいきません。ご自信をお持ちください」


「あ、はい……はい!」


 褒められれば高揚するのは少年らしい未熟な率直さ。仕方がないと諦めつつも、ダリルはロランの頭頂に軽く拳を落とした――ほら、もう。そんなに鼻息を荒くせずに、少し落ち着け――


「それで、あなたはあんなところで何を?」


「はい。お恥ずかしい話ですが……見習いながらどうしても、神殿から持ち去られた宝珠をこの手で取り戻したいと。ロッツェルにあります海神テチス教団の本部から修行に出された身でもございまして」


 ――ですが、あのような者たちの口車に乗って、彼らを前列に迷宮へ赴こう、などというのは浅はかの極みでございました……


「動機は立派だが、それは人を見る目がいささか以上に足りないな」


「はい、ですので先ほども『お恥ずかしい』と」


 うつむいて視線をそらし、自嘲の笑みを浮かべるエレアンナに、ロランは内心で顔を覆った。この人、このままだと多分――


「でも、私はどうやら良いご縁の潮目に恵まれたようです。ダリルさん、ロランさん。あなた方のような人たちなら」


 ――そら来た。


「肩を並べ、背中を預けて、ともに探索の任に挑むことができるに違いありません……!」


 ダリルは少し困惑の色を浮かべているようにも言えたが、ややあって大きくうなずくとエレアンナへ右手を差し伸べた。


「いささか買い被りがあるようだが、私たちにとってもそれはまたとない話だ……ちょうど、神官を一人探していたところでね」


 ああ。つまりはこの人も僕と同じく。ダリルに絡めとられて、迷宮に連れ込まれてしまうのだ。

 

 だが、そう思いつつも。この場の空気を決定的にぶち壊し、エレアンナにたいしてドランスよろしく警告を発する、ということには踏み切れなかった。何となれば、ロランはこの時、自覚しないままに夢想していたのだ。


 戦士、魔術師、斥候に神官――


 冒険者の一隊に必要とされる人材が一通り、ダリルを中心にそろった時。案外うまくいくのではないか? まともに迷宮の探索を進めて、それぞれの目的を達することができるのではないか、と。


 胸にそんな思いを温めつつも、実のところは気後れして、ロランは年上の女性二人の会話に口をはさむことができないでいた。今の現実はそれだけだった。


「では何も問題はありませんね。私たち、パーティーを組みましょう! ええ、きっと海神テチスもご加護を下されますよ……!」


「わ、わかった。だが、明日の朝まで待って欲しい。斥候の派遣を頼んである」


「まあ、何と用意のいい。周到なのですね……! 皆さんで偉業を成し遂げましょう!」


 恐ろしく調子のいい人だなとロランは思うが、エレアンナはどうやらこれが素である上に、その根っこにはゆるぎなく純粋な信仰心があるというだけ。

 これ以上メンバーを増やすことはダリルが首を縦に振らないのだろうが、このメンバーに斥候一人を加えて、さていったいどんな冒険が始まる事だろうか?

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