第二章:“悪墜ち”のダリル
第9話 無謀に非ず
「一昨日の小僧じゃないか……生きていたのか」
酒場「モーブの社交場」のドアをくぐると、そんな声を掛けられた。入り口からカウンターまで幅広く空けてある通路の、ドアに近い所に面して置かれたテーブルに、壮年の男が腰掛けていた。
「あ。あの時の……」
入り口のところで罵声を浴びせてきた、あの無精ひげの男だった。
「一昨日はありがとうございました。ギルドで登録して、食事もできましたし、パーティーにも――」
「その、パーティーの事なんだがな……商店街でお前を見たって話を聞いたんだ。お前、『悪墜ち』と一緒だったって?」
――悪墜ち?
耳慣れない不穏な言葉に、眉をしかめる。
「それって、ダリルさんのことですか?」
「……やっぱりかよ。おい、悪いことは言わん。あの女とは手を切れ。死ぬぞ」
手を切れ、死ぬぞ、と言われてもさすがに即答できるわけはない。
「どういうことなのか、教えてくれませんか」
「あのなあ……くそ、しょうがねえ。お前、俺のテーブルに来い。その様子だとメシはまだだろ。奢ってやるよ……説明すると長くなるからな」
「あ、すみません」
ぺこりと会釈して彼の対面に座った。よく見ると、テーブルから少し離れたところにはもう一人、椅子を引いて腰掛けているローブ姿の男がいた。
大皿に盛り合わせにされた何種類かの食べ物がテーブルに運ばれてきて、ロランはその物量に目を瞠った。
「『
一昨日は気づかなかった
「そら、お前も食え。遠慮すんな」
「あっ、はい」
大ぶりなソーセージを二本、手元の小皿に取る。ロランに見分けがつくのはそれくらいだった、後は何だかどれもこれも得体が知れない。あれは肉か? たぶんそうだが、何の肉なのか?
「それで……悪墜ちってのは?」
「
パイ生地に包まれたなにかを頬張りながら、無精ひげが答えた。無理やり吞み込んでジョッキのエールで流し込み、かはあと息を吐いてはなぜか恨めしそうにロランを見る。
「ダリル・ウェイガスはもともと魔法と剣の両刀使い、世に言う『魔法剣士』だ。ついふた月前までは、このブラディスドックで探索の最前線を走っていたパーティーの一員だったんだ。ところがな……」
無精ひげは時折エールで喉を湿らせながら、その物語を続けた。
「たまたまダリルが私用のために町を離れた際に、残りの五人はいつものように迷宮に入った。暇つぶしか小遣い稼ぎか、そんなつもりだったんだろう……だが、彼らはそのまま帰ってこなかった。今に至るまで、消息は分かってない」
「そんなことが」
最前線ということは最も実力のある一隊だったのだろう。それでもちょっとした掛け違いで、あっけなく倒れるのか。
「それからだ。何のつもりか知らんが、ダリルは専業の魔法使いに転職した」
「転職?」
場違いな響きに思えて、ロランは訊き返した。
「冒険者の『転職』というのはな。仕事ではなく、自分の組み立てを変えてしまうことよ」
食事に加わるわけでもなく、椅子の上で端座していたローブの男が、ささやくような声で口を開いた。
「我々の『職業』にはそれぞれ付随する技能や、成長に必要な経験の閾値がある。転職をすると、それが変るのさ」
奇妙にもその声質にも関わらず、彼の話は一語一語がはっきりとロランの耳に食いこんでくる。
「魔術師は魔法の専門家だ。同じ呪文でも別職が唱えるより威力が上がり、修得にも時間が短くて済む。ダリルの狙いは、まあ、そのあたりだろう」
「だとしてもだ、ロッシュ。なぜあんな無謀で無茶な真似を繰り返すのか、俺には分からん……! 駆け出しの戦士を組合の前で拾って、安い武器と防具を買い与えて迷宮へ連れていくんだ。そうやって前列を守らせ、自分は後列から呪文を使う。もちろん、駆け出しは死ぬ。十中八九死んでしまう」
「なに、無茶でも無謀でもないさ……わしには想像がつくよ。あいつは自分の安全と、経験を積む効率を、ギリギリまで天秤にかけてやってるんだろう」
ローブの男――今や魔法使いであることが明白なその初老の男は、そういうと初めてテーブルに身を寄せ、ジョッキの酒を啜った。
「あ、おい! 俺の酒だぞ」
飲みかけの酒に口をつけられて無精ひげは抗議したが、ロッシュと呼ばれた魔法使いはまるで意に介さなかった。
「仕組みは分からんし、きっちり数値として測った奴こそおらんが、怪物を倒して得られる経験はパーティー内で均等に分配される。なあ小僧、ダリルがお前さんたちを連れて行ったのは
「……そうです。僕たちはタロタロスとか言う、根っこみたいな巨人に襲われました」
「かーっ! それで生き延びたのかよ……ロッシュ聞いたか、この小僧は化け物かもしれんぞ……」
「よせよせ、小僧が勘違いするだろうが……運が良かったんだろうよ。それでも、こやつの位階は少なくとも一つか二つは上がっただろう。まあダリル・ウェイガスは駆け出しを潰すのは織り込み済み、ひたすら自分の位階だけを上げるつもりだな」
ただ、それで何をするつもりなのかはわしにも分からんが、とロッシュは続けた。
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