第8話 賑わいに目を開く

「まことに残念なことです。盗まれた我が神殿の宝珠があれば、この方々も然るべき縁者の方に弔いを受けるまで、安置室でお休み頂けたのでしょうが……」


 司祭は、しきりに盗まれた宝珠の件を悔やんでいた。戦士二人の遺体は、海神テチスの神殿裏手に広がる墓地に埋葬された。


「戦士組合で訊いてきたが、二人とも身寄りはないらしい。ドネルはここから二日ほど山手にある村の木こり、ジャコはどこぞの神殿から逃げ出した下働きだったそうだ」

 

 ――わずか二日の冒険者生活だったが、少しはいい夢をみられたろうさ。


 そう言って神殿を後にするダリルの後姿を、ロランはすぐに追うことができなかった。


(この人にこのままついて行って、いいんだろうか……)


 二人は確かに身寄りもなく、死んだところで誰も悲しまない類の人間ではあった。だが、かりそめにも仲間として一隊を組んだ相手を、こうも簡単に割り切れるものなのか?


「ロラン。宿へ行くぞ。今日はもう体を休めろ。宿代は出してやる、早く来い」


 こちらへ振り向いた女魔術師が声だけは優し気に手招きした。

 ああ。疑問を抱いたところで、ロランには今のところ、他にどうすることもできないのだ。自分もあの二人と何も変わることはない。



 連れていかれた宿屋の、一人用の小さな個室。

 湯浴みを済ませた体を心地よくシーツの間に潜り込ませたところで、ロランはあの時、迷宮の床で目覚める前に見ていた夢を思い出した。

 ブラディストックについてから、ダリルに出会い、ドネルとジャコの二人と合流するまで。反芻された記憶の中で背筋に走ったあの寒気は、その時に感じた予感などではなく。


 迷宮に入ってからダリルから受けた、近寄りがたく威圧的で冷酷な印象そのものだったのだろう――



         * * *


 ロランは夕刻に目覚めた。腹が減っている。


(お金、もうないんだった……)


 剣を買うのに自分の金をつぎ込んでしまったのが悔やまれた。あの戦闘の後に入手したのかどうかも分からないが、とにかくダリルからはまだ分け前の話を聞いていない。

 最低、戦士ギルドへ行けば一食は保証される。塩味の、具はそれなりに多いスープと堅パン、ないよりは全然ましだが今のロランには到底物足りない。


 思案しながら宿の一階まで降りると、受付にいた女が声をかけてきた。


「ああ、坊や。連れのお姉さんから預かり物があるよ。渡してくれってさ」


 「坊や」じゃない、と言い返したが、一笑に付された。


「そんなこと言ったって、坊やには違いないじゃないか……小遣いでしょ、これ」


「ええ……?」


 手渡された紙片と布袋を受け取ると、たなごころにずしりとした硬貨の感触があった。


(これ、お金だ)


 紙片を開くと、何ごとかが整った書体で書かれていた。書くのは不得手なロランだったが、読むくらいは何とかなる――


=============


 この宿は食事が出ない。酒場でなにか食べるといいが、酒はやめておけ。

 君はまだ子供だし、大人であっても面倒事の元になる。


 私は用事があるので出かけるが、日が変るまでには戻る。


 明日も迷宮へ行く。まだその気があるなら一緒に来たまえ。

 あの二人の代わりになりそうな者がいたら、声をかけておいてくれると助かる


            

    ダリル・ウェイガス


=============


「何だ、それ……」


 声をかけておく、と言っても知り合いはいない。こちらも駆け出しで信用も実績もないのだが、あの強者つわものらしい雰囲気を漂わせた客ばかりの酒場で、僕にどうしろというのか――


 だがともかく、腹は満たさねばならない。


 

 夕方の街路を「モーブの社交場」へ向かって歩いていると、奇妙なことに気が付いた。

 一昨日、右も左も分からず途方に暮れていた時とはまるで印象が違うのだ。この街路には、こんなにも人がいたのか?


 舗道に広げられた露天の敷物、頭上に差し掛けられた日よけ布。そこに並ぶ、出所も品質も不明なあれこれの売り物。鉄輪をはめた重そうな木製の車輪を具えた、ロバに牽かせた屋台。そこから漂う熱した油と揚げ物の匂い。


 ――白身フライが揚げたてだよ。レモンの輪切り付きで銅貨三枚だ。


 ――荷物で手がふさがらない、便利な腰鞄ポーチはいらんかね? 


 物売りの声もする。冷やかしの客やサクラとのやり取りも。


 街路を行きかう人々の中には、マントを羽織って武装を目立たぬようにやつした姿の者が少なくなかった。全員がそうではないだろうが、迷宮へと向かう者も数多くいるに違いない。


(見えてなかった……聞こえてなかったんだな。一昨日の僕には、そんな余裕もなかったのか)


 そんな風だから、歩いていて人にぶつかるのだ。


 今はともかく、懐には金がある。迷宮には一度行って、経過はどうあれ生き延びた――ならば、今は物事を少し明るく考えよう。

 ロランはいくらか軽くなった足取りで、「モーブの社交場」へと向かった。

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