第7話 生還

         * * *



 背中に当たる硬く冷たい石材。その感触が、不意にロランを現実に引き戻し、目覚めさせた。ゆっくりと上体を起こしたが、全身が痛い。それに喉に何かが引っ掛かっている。


「がはっ」


 咳き込んで喉の塊を吐き出すと、黒ずんだ血が飛んで脚衣の膝を汚した。ここはどこだ――確か、巨人のような奴に吹っ飛ばされて……

 黒髪の女がロランの顔を覗き込んでいた。確か、名前は……ダリルとか言うのだったか? 


「気が付いたか」


「あぁ……ゲホッ。生きてる……? 僕は……でも」


 死んだのだ、と思ったが。


「安心しろ、君は生きている。でなければ、ポーションを飲ませても無駄だったろう。戦闘が終わった時に、君だけが辛うじて生きていた」


(自分だけ?)


 ロランはぞっとして、周囲を見回した――首の周囲の筋肉がずきんと軋む。だがそれすらもかすむばかりの惨状が目の前にあった。

 ドネルとジャコだったものが、拉げ潰れて床に大きなシミを作っている。


「ひっ……」


「運が良かったな。彼らと違って体重が軽い君は、巨人タロタロスの一撃目を受けても体が浮きあがり、いくらか衝撃を逃がすことができたらしい。あと向かって左、奴の右腕が振るわれた側にはドネルがいて、それがちょうど防壁一枚分にもなった」


 ロランは言葉を失う。つまり自分が生きていたのは望外の幸運か全くの偶然だ。それに、ドネルの犠牲。ほんの一昼夜ばかりの付き合いだったが、無学で粗暴なのはともかく、ロランを子供だからと特に疎むようなこともなかった。ジャコも同様だ。


 ジャコは初撃を何とか生き残っていたが、ダリルを狙った二撃目に巻き込まれてあえない最期を遂げていた――ダリルがそう教えてくれた。


「さて、帰ろう。一戦したのだからひとまず契約は満了だ。この経験は確実に君を戦士として一段押し上げることになる……今度は酒場で仲間を探すことも容易になるはずだ」

 

 そそくさと帰り支度をするダリルに、ロランはたまりかねて叫んだ。


「あのっ……二人は? 置いていくんですか……?」


 振り返るダリルの瞳は冷たかった。


「遺体を持ち帰っても、おいそれと復活させるような手段はないぞ。死んだらそれまでのことだ」


「それでも……せめて埋葬くらいは?」


 ロランが言いつのる。ダリルは彼から視線を外してしばし考えこむ様子だったが、やがてどこかが痛んだかのように眉根を寄せてため息をついた。


「……わかった。そこまで言うなら連れて帰ろう。彼らの装具を外して、遺体をこの袋に入れろ」


 背嚢ザックの中から帆布を縫い合わせた遺体袋を二つ取り出し、一つをロランに投げ渡す。

 

「遺体の傷口――いや、破裂部分というべきか……できるだけ触れるな。起き上がった亡者でなくても、人体は本来、毒と汚物の塊だ。折れて尖った骨で指先でも傷つければ、病毒を貰うことになる」


「は、はい……!」


 泣き叫びたい気持ちだった。頼みもしない説明に、恐怖と嫌悪感があおられる。


「急げよ……そろそろ他の怪物が集まってくるかもしれん」


 ロラン自身も体を動かすのがやっとだったが、何とか作業を終えてよろよろと立ちあがりかけた。だが、ジャコの遺体は鎧を捨ててもなおずっしりと重く、到底運べそうになかった。やはり、死者は置いていくしかないのか?


「畜生……!!」


 自分の非力に憤る。ダリルはロランを一瞥するとクス、と鼻を鳴らした。


「なんだ、口ほどにもない。だがまあ仕方がないか……これでどうだ」


 ――風よ 重荷を軽減せよシエル ケニチ オ テルヘデ…… 『浮揚フロート


 詠唱と共に、かすかに輝きを帯びた風が二人と二体を包む。ロランは自分の体に生じた感覚に目を瞠った。


「何です、これ……? 荷物も、体も、何もかもが軽い!」


「第四階梯の魔法の一つだ。普通は落とし穴などの回避に使うが……これもちょっとした呪文の応用だ。どうだ、歩けるな?」


「はい……!」


 それぞれに一つの遺体袋を引きずり、二人は昇降機リフトに乗り込んだ。幸いに途中の道程でなにかに出くわすことはなく、迷宮を出た時にはちょうど東のバルデル海から日が昇る刻限だった。

 目を閉じてもまぶたを透かして差し込む、眩い輝き。

 生き延びた安堵と裏腹に、何かひどく胸を締め付けられるようで。ロランは両手がふさがったまま、涙をぬぐうこともできずに海神の神殿に向かって歩いた。

 

 ブラディスドックに来て、三日目の朝だった。

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