2 (終) 『ラディカは自らの力でパンを手に入れる』

 一


 依頼の達成期日から、既に二週間が過ぎていた。

 ゴルフで三人の帰宅を待つマルルは気が気でなかった。

「…」

 ベイは、いつも意図的に余裕を作る男だった。

 彼は決してタイトなスケジュールを作らなかった。今回の依頼も、言ってしまえばそこまで大したことのない難易度のものであったが、それでも彼は3日の予備日を設けていた。

 マリエットはベイに似て大らかだが、仕事には厳格な娘であった。

 彼女が期日を守らない訳がなかった。彼女は、もしも依頼の達成が遅れると分かったならば、何としてでも期日までに連絡を寄越す几帳面さを持っていた。

 二人の気質を考えれば、何の音沙汰もなく期日が過ぎるなんてことは、有り得なかった。

 …マルルは気づいていた。

 何かあったのだ。

 期日を無視せざるを得ない、何かが。

 足止めを食らっているのか。

 酷い災難にあったか。

 フーシェに見つかったか。

 …ともかく、慎重なマルルは準備をした。

 遅れた理由が何であっても問題ないように、備えた。

 急に迎えに来てくれと言われても問題ないように、渡航用品を一式揃えた。

 酷い怪我をして帰ってきた場合を想定して、治療道具や薬を多く用意した。

 フーシェに追われていた場合を想定して、予め、逃走の手立てを用意をした。

 …遅刻の理由が、大きな新発見をしただとか、そういう嬉しい悲鳴だった場合も想定して、祝いの食事をちょっとだけ用意した。

 その後は、ひたすら三人の無事を祈った。

 しかし、その祈りが聞き届けられる日は来れども来れども来なかった。


……


 深夜。

 今日の仕事も終わった。終わってしまった。

 客は皆帰り、マルルの酒場は明かりを落とした。

 彼は今日も仕事の合間に何度も、町の出口、ラティアに繋がる南方の方角に足を運んでいた。

 三人が帰ってくるであろう入口から、彼は町の外に広がる荒野をじっと待っていた。

 しかし、それらしい人影は一向に現れなかった。

 酒場は、もうずっとギルドとしての役割を停止していた。

 …がらんとした店内、茫然自失と客席に座るマルルは、ふと、キッチンを整頓するルニヨンに問いかけた。

「もう…、何日になる?」

 ルニヨンの手が止まった。

「二十…」

「やっぱりいい」

 マルルは、ルニヨンの回答を遮った。

「やっぱり、もういい」

「そうかい…」

 キッチンの整頓が再開した。カチャカチャとした物音が鳴る。

 しかし、マルルには、この空間がどうしても無音に思えてしょうがなかった。

 今日も、こんな空虚な恐ろしさと共に終わってしまうのかと、彼は震えた。


 …次の瞬間、ガタン、と音が鳴った。

 扉の方からであった。

 明らかに、扉に何かがぶつかった音であった。

「…アイツ等か!?」

 ハッとしたマルルは立ち上がって、急いで扉の方に向かった。

 そして、彼は何の警戒心もなく、ただ心配の一心で扉を勢いよく開けた。

「…ラディカ!」

 扉を開けたそこには、聖骸布と一冊の本しか持っていない、血と土で汚れた、これ以上なく酷い姿のラディカが一人だけいた。

「あ…」

「マルル…!」

 ボロボロのラディカは、マルルの顔を見て、嬉しそうな、悲しそうな顔をした。

 直後、彼女はフッと力尽きて、その場に倒れ込んだ。

「…!!おいルニヨン!!救急だ!!早くしろ!!」

「…!!」

「…」



 二


 …疲労困憊の末に倒れたにも関わらず、ラディカの回復は極めて早かった。彼女が再び立ち上がり、マルルの元に足を運んだのは翌朝のことだった。

 店の奥、寝室からルニヨンの制止を振り切ってやってきたラディカは、カウンター内でじっと佇むマルルを目にするなり、急いで口を開こうとした。

「マルル…!私は…!その…」

 マルルは、焦って言葉を繕おうとするラディカを遮って言った。

「…ラディカ。その…、“伝えたいことがあって”焦る気持ちは分かるがな、俺たちはお前に焦って無理してほしくない。今は何よりも、お前の体調が一番大事だ。だから、体力が戻るまで、気持ちが落ち着くまで、遠慮せずにいっぱい休んで、たっぷりゆっくりしとけ」

 彼と同じ気持ちのルニヨンが、ラディカを安心させるように彼女の肩に手を置いた。

 しかし、ラディカは少しの沈黙の後、ルニヨンの手をそっと除け、首を横に振った。

「いえ…、いけませんわ…」

「私には、貴方たちに話さなきゃいけないことがありますもの…。早く、早く、話さなきゃいけないことが…」

「…マリエットと、ベイのことで…」

「話さなきゃいけないことがありますわ…」

 マルルは、ラディカの目が真っ直ぐ自分に向いていることに気がついた。

「(…思い出したくもないことを、今から話そうとしているだろうに…)」

「(…むしろ、俺の方が受け止める覚悟がねぇんだけどな…)」

 だが、精一杯に事実に向き合っている幼いラディカを前に、大人のマルルは泣き言を言えなかった。

「…わかった」

 彼は、心の中で必死に覚悟を作った後、ラディカに話をするように促した。


……


「…で、魔族を倒した後は、ソリティ川に沿って歩いてココまで帰ってきた…、と」

「それで…、魔族から唯一取り返せたモノが、その本だったってわけか…」

 マルルは、ラディカが腕に抱える魔導書を一瞥して呟いた。

「…よく頑張ったな」

 マルルはともかく、話し終えたラディカにそんな一言をかけた。

 彼は、本当によく話してくれたと思った。

 合間合間に泣きじゃくりながらでも、

 そんな出来事を、辛過ぎる出来事を、深く負った心の傷を抱いたままずっと眠っていたって誰も責めやしないのに。

 それなのに、ラディカは責任持って全て話してくれた。

 彼はそれだけで、彼女がこの旅を通して強く育ったのだと心の底から理解出来た。

 マルルは、ルニヨンに呼びかけた。

 ラディカを寝室に戻して、休ませようとした。

 もう、休ませたかった。

 しかし、ラディカは再び首を横に振った。

「…まだ、話したいことがあるのか?」

「冒険の話も、二人の死も、魔族との戦いも、お前は立派に話してくれたじゃないか。これ以上に何の話がある…?」

 ラディカはポツリと答えた。

「仕事の完了…、依頼の達成についてですわ…」

 そう言って、ラディカは震える手で魔導書をマルルに差し出した。

 マルルは目を見開いた。

 そして、彼は焦燥した。

「そうだ…、そうだよな…」

「それが、俺の仕事だもんな…」

 この時ほど冒険者ギルドを営んだことを後悔した時は無かった。



 三


 …ラディカが仕事の成果を確認したがったのは、早く報酬が欲しいからとか、自分の働きを労ってほしいからとか、そういう自分第一な理由では決してなかった。

 彼女は、マリエットとベイの死に意味を見出したかった。

 そして、彼女は二人を弔いたかった。

 だからこそ、マルルに言ってほしかった。

 二人の死は、歴史研究の発展に大きく貢献したとか、

 冒険者の活躍を後押しする、価値のある死であったとか、

 そういう、二人の死を肯定する言葉を言ってもらって、二人の死が無駄じゃなかったと、彼に認めてほしかった。

 だって、それだけが、あの魔族から何も取り返せなかった彼女にとっての、最後の希望だったから。

 …でなければ、二人が全くの無駄死にだったならば、彼女はきっと、永遠に失った悲しみに心の穴を開けっ放しにされてしまう。


 ラディカは魔導書をマルルに預けた後、両手を組んで、祈るように待った。

 得るべきものを得るべく、その期待を込めてマルルの言葉を待った。

 …しかし、肝心のマルルは魔導書を手に持ったまま、俯いていた。

 それも、項垂れるように俯いて、心苦しさでいっぱいな表情をしていた。

 よく見ると、彼は下唇を血が出るまで噛んでいた。

「マルル…?」

 ラディカはその様子に嫌な予感がして、たまらず彼を呼んだ。

 呼びかけに、マルルはハッと我に返った後、血を拭い、顔を上げた。

「答え…、そう、答えを教えてほしいよな…」

 そして、彼はラディカから目を逸らすことなく、一つ一つ残酷な言葉を紡いだ。

「…ラディカ。先に言い訳をさせてくれ」

「今から話す内容は、決して俺の意地悪じゃねぇ。全て、ギルドを任された者として、厳格な規則に基づいて行う発言だ。…だから、これは俺の発言なんかじゃねぇ」

 弱弱しい声。

 だが、彼は精一杯に声を振り絞って伝えた。

「…ハッキリ言うが、今回のお前たちの仕事は失敗だ」

「は…?」

 ラディカは彼の言葉が理解できず、聞き返した。

 だが、改めて返ってくるマルルの答えは無常だった。

「現状、依頼は未達成だ。なにせ、今回のお前たちの仕事はあくまで“指定された遺跡の調査・探査”なんだからな。だから…」

 ラディカは思わず、マルルの話を遮って異見した。

「しっ…、失敗…!?そんなことありませんわ…!だって、私たちはちゃんと冒険者らしく未知を発見して…、持ち帰っていますわ…!それ…!その本…!マリエットもベイも言ってましたわ…!これは凄い発見だって…!だから…」

 彼女は、彼の話を飲み込みたくなかった。

 彼女は、分かりたくなかった。

 だから、否定した。

 しかし、マルルはそんな彼女を、現実をもって否定した。

「確かに、この魔導書は凄い発見だ。間違いない。よくもあの干からびた寺院から見つけたもんだと思うよ…」

「だが、これは決して今回の依頼で求められているものじゃない。今回の依頼の達成、…仕事の成功の是非を計る為に必要なものは、ベイとマリエットが作成したであろう『遺跡に関する調査書』の方なんだ」

 続けて、マルルは問いかけた。

 ラディカにあまりにも残酷過ぎる質問を、仕事だから問いかけた。

「ラディカ、その資料は今、一体どこにある?」

「それは…!」

「それは…」

「あ…」

 そして、ラディカは思い出した。

 あの魔族が懐に納めていたおかげでたまたま無事だった魔導書とは違って、リュックに突っ込まれていただけの資料が、その後どのような末路を辿ったかを。

 明白だった。

「資料は…」

「資料は…、マリエットとベイと同じ…、あの魔族のせいで全部燃えた…。アイツに全部消し炭にされて…、全部奪われてしまって…」

「だから…、全部…、無い…」

 その答えに、マルルは重く目を閉じた。

 彼はもう、どんな現実も見たくなかった。

 だが、彼は責務を続けた。

 自分にとっても、ラディカにとっても辛くてしょうがない言葉を、表向きの非情で続けた。

「だとしたら、今回の仕事は完全に失敗だ」



 四


 …ラディカは心を引き裂かれた。

 マルルから下された裁きによって、彼女の世界は真っ暗になった。

 彼女は、遂に二人を完全に失った。

 完璧に、究極的に、得ることも、取り戻すことも出来ずに終わった。

 彼女はこの非情過ぎる世界に、悲しみ以外の感情を見出すことが出来なくなった。

 苦しみに頭を潰されることしか出来なくなった。

 痛みに心をズタズタにされるしか出来なくなった。

 彼女はその場にくず折れた。

 気力を全て奪われて、涙の一つも出せないほどに絶望した顔で、目を真っ白にした。

 彼女はもはや、自分にはそうすることしか許されていないのだと思った。


 …だが、マルルは違った。

 亡きマリエットとベイで頭がいっぱいのラディカとは違って、今を生きる彼女の勇姿も見えている彼は、まだ全ての希望を失っていなかった。

 彼の想いは、戦いは、まだ終わっていなかった。

「…なぁ、ラディカ」

「二人は…、お前の働きぶりについてどう言っていた…?」

 マルルは、おもむろに尋ねた。

 ラディカは意識を喪失しながら、おぼろげに答えた。

「二人は…、最後には私を立派な冒険者仲間だって、認めてくれましたわ…」

「そうか…」

「そう…、ならば…」

 彼女の答えを聞いて思い立ったマルルは「少し待ってろ」と言い、店の奥に消えた。

 その後、彼は小さな巾着袋を持って戻ってきた。

 底面がゴツゴツと膨らんだ巾着袋。

 彼はそれを、ラディカの前に置いた。

 ズジャッと音が鳴った。

「報酬だ」

 その言葉を耳にして、ラディカは顔を上げた。

 不思議そうな表情で、マルルを見た。

 彼女は、彼の言葉が理解できなかった。

「報酬って…、一体何の…?私たちは、何も成し遂げられなかったんじゃありませんの…?」

「そうか?俺はそうは思わないから、今こうやってお前の前に十分な金銭を置いたんだがな…」

 マルルは感極まり、平然を装いながら答えた。

「…驚異的な未知の発見と魔族の討伐。そんなことを成し遂げてしまったお前の功績と実力を、高名な冒険者二人が認めているんだ」

「…そんな優秀な冒険者を前に臨時報酬を出さねぇってのは、成果主義のギルドとしてどうかしてんだろ」

 マルルは、布袋をラディカの前に更に寄せた。

「受け取ってくれ」

 ラディカは、震える手で布袋を手に取った。巾着をあけると、そこにはフランとスーが混ざって入っていた。

 ラディカはそれらを一枚ずつ床に置いていった。

 合わせて168フランと12スーあった。

 彼女はそれを、三等分に分けて置き直した。

 そして、出来た三つの硬貨の山を一つずつ指さして言った。

「これがマリエットの分…、これがベイの分…、そして、これが私の分…」

「全部合わせて、三人で頑張った分…!」

 彼女は硬貨の山を何度も指差しながら、どれが誰の分かを繰り返し確認した。飽きることなく、嬉しくて泣いてしまいそうな声で何度も確認した。

 マルルは、そんな彼女を何も言わずに見守っていた。

 …臨時報酬は、形式上はラディカ個人を称賛するためのものだった。決して、マリエットとベイも讃えるためのものではなかった。

 しかし、そんなものはあくまで形式上のことで、受け取った本人が報酬をどう捉えるかは範疇外だと、彼は黙認していた。

 それに、何より彼は、ラディカならきっと受け取った自分の報酬で二人を弔うだろうと、最初から予想していた。

 だからこそ、彼はあらかじめ、既定の報酬額の三倍の金額を、彼女の巾着袋に入れていた。




 ルニヨンが気を利かせて持ってきてくれた追加の巾着袋二枚に、マリエットとベイの分のお金を丁寧に仕舞うラディカを眺めて、マルルは言った。

「その金…、置いておかずに、どうせだったら有効活用しろよ?」

「出発前にな、マリエットが言ってたんだ。今回の報酬は全部お前の洋服代に使いたいって。ベイは…、あのボケはきっとその金を碌な使い方しなかっただろうから、アイツの分は、お前が代わりに無駄遣いしちまえ」

 それだけ伝えて、マルルは自室に戻ろうとした。

 彼は、今にも若干フラフラしていた。

 彼は彼で心に溜まった悲しみがあって、それを独りで発散する時間が必要だった。

 が、ラディカはそんな彼を申し訳なく思いながらも呼び止めた。

「あの…!マルル…!」

「わ、私…、初めて稼いだお金の使い方はもう決めていて…、その…」

 ラディカは、自分の巾着袋から1フランを取り出して、マルルに差し出した。

 そして、彼女は頭を下げて彼にお願いした。

「これで…、私にご飯を食べさせてください…!」

 マルルはルニヨンと顔を見合わせた後、驚いて尋ねた。

「なんで…?払うのか…?金を…?」

 ラディカは頷いて答えた。

「だって…」

「私、決めていましたの…!今回の旅で必ずマリエットとベイの役に立って、冒険者として活躍して、それで…、強くなった、たくましくなった証として、二人の前でパンを食べてみせるって…!」

「“自分の力で手に入れたパン”を、食べてみせるって…!」

「それを…、今、この場でしてみせちゃ…、ダメ、かしら…」

 ラディカは、マルルの疲労の大きさを理解していた。

 彼とマリエット、ベイの付き合いは、自分のソレよりもずっと長い。ならば、悲しみだって自分よりもずっとあるはずだ。

 そう分かっていながらも、彼女は天国にいる二人に自分の今を伝えたくて、だから迷惑だと知りつつも彼を呼び止めた。

 だが、マルルは全く嫌な顔をしなかった。

 彼は何も言わずにラディカから金を受け取った後、伝えた。

「お前やマリエットなんか俺たちからしたらまだまだガキなんだ。気遣いなんかするんじゃねぇ。店の棚から勝手にワインとチーズを拝借するくらい図々しく居とけ」

「すぐに用意する。だから、お前は適当な席に座って待ってろ」

 マルルは、カウンター席に静かに腰掛けたラディカを確認した後、背後、既にキッチンで料理を始めていたルニヨンに目線を送った。

 彼女がマルルと同じ心情であることは、言葉にしなくても分かった。


……


 …料理中、ルニヨンはマルルに尋ねた。

「…あの金、自分の財布から出した物じゃなくて、臨時報酬の支払金としてギルドから預かってた物だろう?」

「…だから?」

「はぁ…。可愛い奴だねぇアンタ。体裁を保つことが辛くて耐えられなくなったんだろう?ホント、不器用さねぇ」

「…まぁ、今回の仕事の依頼主から預かってた報酬支払金に手を付けなかったのは偉いことだけどねぇ。…けど、さっきの行為だって、ギルドに対する背反になってることくらい、いくら不器用でも理解してんだろう?」

「…」

「あの子の前では、大人ぶってギルドの体面を守った風だったけど、規定で決められた額以上の報酬を私情で支払うことは、立派な横領だ。折角、出張ギルドなんて特殊なことを何とか許してもらっているのに、そんなことをすりゃあ、信用が完全に無くなるだろうねぇ。今後、ギルドの開催権をはく奪されてもしょうがないねぇ」

「文句あるか?」

 そっけない問いをされたルニヨンは、ふと、カウンターの上に置いた巾着袋三つを大事そうに見つめているラディカを横目で眺めた。

 時々得も言えぬ顔をしつつも、気丈に現状に向き合っている彼女を眺めた。

 そして、ルニヨンはハッキリと答えた。

「あるわけないね。あの子はよく頑張った。成長した。わがままなお嬢様が、よくもまぁあんなに立派になったもんだよ」

「もし、アンタがあの子の頑張りに対して十分なことをしてやらなかったなら、私はアンタをブッ飛ばして離婚してやったところだよ」

 ルニヨンは微笑した。彼女に彼を咎める気がないのは本当だった。

 だが、それでも彼女には思うところがあった。

「ただ…、本当に良かったのかって思ってね。わざわざ自分のギルドを潰すようなマネをしちまって…」

「このギルドは…、アンタとベイの…、二人の想いだったろうに?」


……


『…冒険者って、良くも悪くも狭い仕事じゃと思うんじゃよ。元より歴史と探求が好きで、精通している奴が本部に実力を認められてこの職に就く。お前も俺もそうじゃったろう?』

『まぁ…、な』

『…じゃが、それじゃあ初心者に対する間口が狭過ぎる気がするんじゃ。たとえば…、“マリエット”みたいな奴が自由に経験を積んで学びたいって考えた時に、今のままじゃ不便じゃろ?』

『確かにな…。なら、片田舎で出張版のギルドを開くなんてどうだ?それなら本部の堅苦しい審査もなく、誰に見られることもなく、好きな奴を冒険者にすることが出来る』

『おっ!そりゃ名案じゃな!早速本部に掛け合ってくるから、認可が下りたらお前が一号店を始めろ!』

『はっ…、はぁっ!?お前が言い出した話だろ!?お前がやれよ!!』


……


『…冒険者志望、誰も来ねぇな…!!』

『なはははは!考えてみりゃそうじゃ!冒険者は犯罪者じゃもんな!誰も好き好んでやりたがらんか!』

『おい…、どうすんだよ…?現状、お前とマリエット専属のギルドになっちまってるぞ…?このままでいいのか…?』

『まぁ、構わねぇんじゃねぇか?少なくともマリエットの学びの場にはなってるんじゃし』

『…それに、扉は開き続けることに意味があるんじゃよ』

『いつか、誰かが扉を叩いてくれるさ。冒険者稼業を通じて大きく育ちたいって志した誰かが。俺たちはただ、ソイツを温かく迎えてやればいい』

『いや、あの…、俺は維持費の話をしてるんだが…』

『うるせぇ!副業で酒場でもやってろ!!』


……


 ルニヨンは、決してマルルの方には向かず、料理だけを見つめて問うた。

 マルルは、しばらく上を向いた後、ポツリと答えた。

「…もう、いいだろ」

「俺たちはもう、十分役目を果たした…」

「…そうさね」

「みんないなくなっちまって、もう疲れたもんねぇ…」

 それ以上、二人は何も言わなかった。


……


 …そして、ラディカの前に、あったかな湯気の生えた野菜スープと、マッシュポテトとソース、温められたパンが出された。

「今、肉を焼いてるから、先に食べておきな」

 ルニヨンはそう言ってラディカの頭を優しく撫でた後、キッチンに戻っていった。


 ラディカは、そっとパンを手に取った。

 太くて短い形。

 指先から伝わる、ほのかな熱と、小麦の粉っぽさ。

 先っぽをちぎる。温める前に、少しだけ水が含められていたために、パンは皮まで柔らかく、力を入れなくても簡単にちぎれる。

 彼女は指に摘まんだ一口サイズのそれを、若干ためらいながら口に入れた。

 ディップもない、上に何も乗せていない、素のパン。

 感じられるのは、口に入った瞬間の軽い塩気だけで、それ以上の味は、よく噛まなければ出ない。

 それは、"ラディカ"であった頃に口にしていたパンと比べれば、随分と味が落ちたものだった。


 だが、それがパンであることに違いはなかった。

 食べられたパンは確かに彼女の喉を通り、胃を満たした。

 栄養となり、命を繋いだ。


 じんわりと、お腹の中から満たされる感覚がラディカを包んだ。

 彼女は遂に、自分の力で生きることが出来た。


 …同時に、今までに溜め込んでいた感情の全てが、涙となってポロポロと溢れた。


 …本当は、マリエットとベイと一緒に食べたかった。

 今にこみ上げてくる嬉しさの理由を、二人に尋ねたかった。

 そして、笑いたかった。

 笑い合いたかった。


 けど、自分の隣には、もう誰もいない。

 どこを見ても、世界には自分一人しかいなくて、肌は寒くてしょうがない。


 だけれども、手の中にはパンがあった。

 全ての果てに手に入れた、自分で買ったパン一つだけが、確かにあった。


 その事実だけは、間違いなく掴んでいた。

 握りしめていた。


 …この冒険を経て、彼女が失ったものはあまりにも多く、大きかった。

 その対価として得たものと言えば、お金とパンと、それから、数え切れない程の痛みと苦しみ、悲しみと絶望だった。

 それらが釣り合うかどうかは、考えたくもなかった。

 実際、それを考えれば考えるほど、彼女はもっと上手くやれたかもしれない、良い未来があったかもしれないと後悔に襲われた。


 しかし、たとえ後悔にまみれたとしても、彼女は間違いなく成長していた。

 間違いなく道を歩み、そして、結実していた。


 "ラディカ"でしかなかった頃とは比べ物にならない。

 止まっていた時間は、動き始めていた。


 成長には痛みと苦しみが伴うかもしれない。

 人生は悲しみと絶望にまみれているかもしれない。

 小さくしか前に進めないかもしれない。

 しかし、成長とは確実に進歩であり、邪魔をされながらでも、のろまな足取りでも、人生を歩むことは間違いなく前進なのだ。


 それは、どのようなことであろうとも素晴らしいことなのだ。

 誇らしいことなのだ。


 悔やんでもいい。悲しんでもいい。

 それでも、彼女は十分に成長を成し遂げているのだから。


 人に頼ることを知り、人を助けることを知った。

 愛することを知り、愛されることを知った。

 憎悪を知り、虚しさを知った。

 何よりも、得る喜びを知り、失う悲しみを知った。


 人として成るために必要な全てを、彼女は学んだ。


 だからこそ、パンとは、彼女が自らを良く貫き、人に貢献しようと試み、心と行動をもって、現状を動かそうとして得ることが出来た、紛れもない賜物であり、

 彼女が人生に真剣に向き合った末に初めて実った果実であった。

 そして、それを口にした彼女は、この日初めて、何者でもない、今を生きる、一人の人間と成ったのであった。


 今朝は快晴で、空はかつてと同じように、彼女を焼き焦がす程の熱を大地に放射していた。

 しかし、彼女はもう、二度と何にも負けなかった。

 なにせ、彼女は悲しくても歩き続ける力を、ちゃんと手に入れたのだから。

 大きく育ち、大人になろうとしているのだから。






──────────────────────────


【あとがき】


 …基本、荒療治しかないビルドゥングスロマンは三章までが序章です。

 さっさと終わらせて四章以降に突入したいです。

 引き続き、出来る限り綺麗なクソを捻り出せるよう精進します。

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