第2話

「ごまかしきれてないし」


 僕はカステラの頭を小さくこづいた。

 カステラは黙ったままだが、僕の顔をぐっと覗きあげたままだ。


「りょーへーもごまかしきれていないぞ」


 僕はその声を無視して自転車にまたがると、ペダルを強く踏み込んだ。

 アスファルトをしゃらしゃらと進む音が鳴り始める。

 カステラは揺れるリュックのなかを潜ってから、ぼふっと顔を出した。


「りょーへーもおなじ、だろ」


 ふわふわの胸毛のなかで、大切に抱えているものがある。

 街灯の下を潜った時に、カステラの手の中のものが見えた。小さな肉球が大事につかんでいるのは、朱色のビー玉だ。


 ……いや、ちがう。


「このつーしん機は生命体の判別にも使える。ちきゅー外のモノは、赤くなる」


 鼻で笑いたかったが、間違いではないので僕は「それで?」と返事をかえす。


「なぜ、我らを迎え入れた」

「なら、カステラが僕を消すタイミングはいつでもあったと思うけど」

「りょーへーたちがしなかったからだ」

「でも君たちマウ星人は、二度の文明は与えない。僕たちはそう認識してる」


 猫の姿を模っているが、彼らは高度な文明をもつ地球外生命体、ようは宇宙人だ。

 彼らはその高度な知識を未発達の星に分け与え、繁栄を促すのが、一つの趣味となっている。

 その証拠に、エジプトで猫が神聖なものとされているのは、彼らの功績の一つといっていいだろう。

 そして、再度の来訪は、その星の終焉を意味する。


 彼らは時期を定め、そのときの文明発展状況下で戦争をしかける。

 自分たちが与えた文明がどれほど進化し、対抗できるのか。

 拮抗すればするほど、土地を奪う快感が増すという、気の長い悪趣味な方法で侵略をするのだ。


 そのため、この太陽系で見れば、彼らが文明の始まりと文明の終わりの使者であるのは間違いない。


「それなら、りょーへーは、なんで逃げないのだ」


 少し坂になっているようで、ペダルが重い。

 強く息を吸い込むせいで、肺がかなり冷えてくる。

 少しむせながらも僕は答えた。


「……わか、らな、い!」


 僕の答えはずっと迷ったままだ。

 僕らはずっとこの地球で、500年近くに渡ってこの星の人間たちを観察してきた。

 地域、人種、性別、年齢を変えながら、僕ら家族観察者は、自分の星へ報告を繰り返してきた。

 どんなときも、だ。

 マゼランが世界周航に出た日も、関ヶ原の戦の合間にも、三毛別の羆から逃げてるときでも、僕らは報告を欠かしたことなはい。


 氷のないアスファルトを僕はライトを頼りに淡々と漕いでいく。

 なかなか現れない街灯を伝っていく。

 自転車が切る風がひゅうひゅうと強い。

 冷たい風が耳の感覚を全て奪ったのを感じながら、僕の口がようやく開いてくれた。


「……君たちが侵略してきたとき、僕らは逃げる算段をしてあった。勝ち目がないからね。だから、本当は逃げたい。……だけど、姉ちゃんの仕事は山場を迎えてて仲間と達成したいっていうし、父さんは昇進したばかりで部下を育てなきゃならなくて、母さんは産休に入ったパートさんの穴埋めで大忙し。僕はようやくサッカーでレギュラーになって、良い先輩たちだから、練習試合も勝ちたいし……。こんな理由で、僕らは母艦に戻るのを、今、諦めてる」


 カステラはふわふわの手でビー玉をぐにぐに転がしながら、ふんと息をつく。


「すっかり人間に染まったな」

「伊達に長く観察者してないから」

「我々としても、他星人との戦闘は避けたい。君たちが反撃に出るなら、我々のルールに反するからな」

「侵略のルールね……」


 舌打ちしたくなる。

 マウ星人のルールなど、一方的に蹂躙したいだけじゃないか。


「……にゃ」


 ぶるりと震えたカステラを見て、ため息をつく。

 僕はリュックの中に敷いてあったタオルをひっぱり、渡した。

 タオルにはカイロも挟めてある。低温やけどにはならないはずだ。


「猫が風邪ひくと、すぐ弱るんだって」

「にゃ……」


 頭からかタオルをかぶり、リュックから顔を出す姿はかわいい。猫らしく、とても、かわいい。

 だが、彼らは侵略者であり、破滅に導くマウ星人だ。


 カステラはビー玉をリュックの奥にしまうと、肉球に息をかけて手を擦る。

 頬の毛をもみながら、ぽつりぽつりと語りだした。


「……我々は文明を授けるのが好きだ。どのように発展するしていくか、その星の環境で大きく変化してしていくからだ。それこそ、宗教、芸術、哲学と、幅広く変化を遂げる。だが……」


 ぴくりと髭が揺れる。


「……文明発達の過程で、我々マウを崇める文化や風習は、廃れ、消えるのが通常だった」


 


 僕がひたすらに自転車を漕ぐなか、車のヘッドライトが過ぎていく。

 カステラは頭ごと光を追って、また、前に向き直ると、白い息を小さく吐いた。


「それが、廃れず、むしろ発展しているではないか。……この国では、猫を飼う側が下僕と表現されている。一体なんなのだ」

「僕に聞かないでよ」


 カステラは鼻をひくひくさせながら、ぐるりと僕に向き直る。


「これでは侵略する気も失せてしまうじゃないか……!」


 ふわふわの肉球を振りかざし、戸惑い、怒るカステラの声に、僕はちょっと笑ってしまった。

 やっぱり、ふわふわの猫がタオルをかぶっておっさんの声で腕を振って怒鳴る姿は可愛いからだ。


「僕らの見立てだと、2024年、侵略を開始、年末までには地球が滅亡すると予想しているけど、そうじゃないってこと?」

「まだ、わからない、……にゃ」


 気づけばかなり目的地が目前だ。

 ただ車の量も増えてきている。

 僕は自転車の利点を活かし、少し外れた坂の上へと向かうことにした。


「どこに向かっている? 日の出スポットはもう少し先だろ?」


 焦るカステラをなでながら、僕は笑う。


「大丈夫。別の坂の上にちょっと休憩できるとこあるんだ。そこ、人、いないと思うんだよねぇ」


 押しながら坂を上がっていくと、案の定、誰もいない。

 むしろ、眺めがいいほどだ。

 平らな街が大きな川を挟んで広がっている。


「……はぁ。……よし、着いた」


 誰もいない小さなベンチの横に、僕は自転車を停めた。

 冷たいベンチにリュックを置くと、のっそりとカステラが出てくるが、すぐにリュックに顔を突っ込んだ。

 そこから取り出したのは、『夢リスト』ノートだ。


「さ、初日の出を見る、に線を引いておこう」


 ふわふわの手には、いつの間にか油性ペンが握られている。


「ちょ……まだ見てないし、達成してからチェックするのが楽しいんじゃん!」


 慌てる僕を無視して、カステラは両手でキュキュッと力強く引いていく。

 裏移り間違いなしだ……


「あー……」


 うなだれる僕に構わず、カステラはノートをぺらぺらとめくり、ふんと息をつく。


「りょーへーの夢リストには、夢がないな」

「なんだよ、いきなり。しょうがないだろ。だって……」

「未来がないなら、か?」

「そうだよ。君たちが来たってことは戦争が起こって、侵略されて、滅亡する未来しかないじゃないか」


 カステラはパタンと音を立ててノートを閉じると、紙コップを僕に向けた。


「温かいのが飲めるのだろ?」


 切り替えが早すぎる。

 僕がしぶしぶコーンスープを作って渡すと、カステラは優しく眼を細め、柔らかいため息をつく。


「温かいものはいいな……」


 息をふきかけながら、かき混ぜていたスプーンをぺろりと舐める。


「でも冬はすぐ冷めてしまうなぁ。もったいない。でも、いい季節だ」


 僕はスマホで方角を確認した。

 カステラの背中が東だ。


「よいしょ。……意外と重いよね、カステラって」

「シャッ!」


 僕はカステラの向きを変えてから、隣に腰をおろした。そして、僕も同じようにコーンスープを用意する。

 一口すすり、二口目をすすったとき、すでにスープはぬるい。

 彼らの侵略も、きっとこのスープみたいに、あっという間に地球の温度を奪っていくのだろう。


「カステラ、太陽の頭が見えてきた」

「にゃ!」


 朝日が地平線、いや、街の屋根の波から登りはじめる。

 今年の朝は、薄曇りだが東の空は快晴。

 南寄りの場所から、ゆっくりと赤みが差しはじめた。


 青暗い空が朱色ににじんでいくだけで、何故だろう。ほんのりと温かく感じるが、僕は改めて上着の首をしめなおし、新しいマスクを口に当てる。

 さらに上着のポケットに入れてあったネックウォーマーをカステラのお腹に着せてやる。


「な、なんだこれは」

「ここは放射冷却あるの。朝日がでてから、最低気温、伸びるからさ」


 僕は真っ直ぐに伸び、僕らを包もうとする太陽の帯に手を合わせ、拝んでみる。

 カステラも見様見真似で、小さな肉球をふわりと合わせて、神妙な顔つきで丸い顔にシワを寄せている。


「……よし。カステラ、あけましておめでと」

「にゃ。……思ったより、神聖に感じないものだな」


 僕はその言葉に吹き出した。

 そんなことを感じに来たのか。

 そう思ったけれど、僕も何を感じたくてここに来たのか、少し考えてしまう。

 じっと太陽を睨むカステラの目が朱色に輝いている。カステラの白い髭も、赤く染まったとき、ふわふわの口が揺れた。


「……なあ、りょーへー」

「なんだよ、カステラ」

「地球の救世主に、なってみないか」

「……はあ?」


 カステラはぐっとカップを飲み込だ。

 すでにスープは冷めており、口の周りにこってりとスープの線がつく。それをべろりと舌で舐めとると、朝日を背に立ち上がった。


「今年が最後なら、大きな夢を掲げてみろ、りょーへー!」

「なんだよそれ」

「夢は叶えられないから、夢なんだぞ?」

「夢リストの皮肉?」

「そういうことだ、にゃ」

「……うるっさいなぁっ!」


 僕はカステラからペンを奪うと、適当に開いたノートの見開き全部を使って書き込んだ。



『2024年、猫をたくさんはべらせて、地球の救世主に僕はなる!』



 デカデカと書かれた油性の文字が朝日に照らされる。

 淡くオレンジに色づくが、はらりとめくれた裏にはしっかり油性ペンの裏移りが見えた。

 これだから油性ペンは嫌いなんだよ。


「……まったく」


 投げるようにベンチに置くと、カステラがいそいそとそれを拾い上げた。

 雑に書き込んだページを開き、肉球でふんわりなぞると、元から細い目をもっと細めて、また、朝日を眺め出す。


「……にゃ。いい感じだ……にゃ」



 ────カステラが大事に抱えた『夢リスト』のノートだが、そこに書かれた夢の文字には、二重線が引かれていた。

 たどたどしい字で書かれている文字は、「口」と「十」と「う」。


 2024年はまだまだ、はじまったばかりだ。

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侵略者2023 yolu(ヨル) @yolu

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