終末アップデート

ドルチェ

第1話

そうして人類は永遠の眠りについた。


 ある日、そんなタイトルの絵画が展覧会用の美術品として運び込まれた。

 このご時世にしては珍しくキャンバスに描かれたその絵画は、独特のタッチで描かれた世に二つとない名画だった。



 “紙”の時代は終わりを迎え、世の中は次々にデジタル化が進んでいく。

 音楽は専らダウンロード・ストリーミング。CDという媒体ですら、過去の遺物となって久しい。本は全て電子書籍へ移行した。古本屋は社会の隅に追いやられ、新規に紙媒体で発行される書籍は見る影もない。ポスティングされる広告ですら、エコと経費削減を謳ってアフィリエイト広告にて展開中だ。

 絵画も例に漏れず。油絵独特の厚い質感や濃い色味。水彩画の繊細で優しいタッチも、水墨画の自然な墨の滲んだ“味”も。パソコンとソフト、ペンタブがあれば限りなく再現することができる。クリエイター達も時代の波に飲まれるように、そのほとんどがデジタル環境への移行を余儀なくされた。

 各地で開催される絵画の展覧会も、プロジェクターを使って壁に投影するという何とも味気ないものになっている。

「手軽に、デジタルで、ねぇ……私からすれば、『機械に使われている』ような気がしてならないのだよ。君は、どう思うかね?」

「私ですか!?」

 唐突に館長に話を振られた私は一瞬面食らう。明日からこの美術館で開催される展覧会の準備の最中、警備員として派遣された私は、下見も兼ねて館内を案内してもらっているのだった。

 展覧会というよりは、プレゼンを行うホールや会議室のようだ……というリアリスティックな感想は心の中に留めたまま、何とか当たり障りのない回答を絞り出す。

「そうですね……私達の時代はこれが当たり前だったので……『額に入れられた絵』というのも実際には見たことがないです……すみません、学がなくて」

「別に私の考えを押し付けるつもりはないよ。私達のような年寄りは、若者に席を譲らなければ。しかし、君。額と学をかけたシャレとは、なかなかユーモアがあるじゃないか」

 そんなことは全く意識していなかったが、館長は一人納得した様子で順路を進んでいく。私は火照った頬を手で仰ぎながら、とことこと後をついていくのだった。



「ここで最後だ」

 館長に案内された最後の展示室は円形になっており、壁沿いに様々なデジタル絵画が展示されている。

 ここに来るまで何度も見た光景だが、人力で物理的に絵画を持ち上げ、壁に設置する作業なんてものは私達の世代にとっては昔話で、今は数名のスタッフがプロジェクターの位置を調整したり、パソコンを使って細かい設定を調整している。

 一通りぐるりと回り、出口へ向かおうとしたところで、私はあることに気づいた。

「館長……あちらの作品は……?」

 部屋の中央には大きな壁が設置されており、今まさに“本物の絵画”が飾られようとしているところだった。

「ほほぅ。君も興味があるのかね。実は、これが今回の目玉でね」

 存分に見てくれたまえ、と言わんばかりに館長は両手を広げてその絵画をアピールする。

 紙やキャンバスに描いた絵は「化石を飾っているようだ」とまで揶揄される時代に、その絵画は有無を言わせぬ迫力があった。

 広大な荒野の上に倒れている人々。老若男女様々で、皆安らかに眠っているようにも見える。

 奥の方には塔らしき建物がいくつか建っていて、よじ登っていく人と塔から落ちていく人。

 空は、どんよりとした暗雲が立ち込めている。そんな一枚だった。

 息を飲む、とはこのことかと思った。絵に触れる機会といっても普段は漫画(勿論、電子書籍だ)ばかりの私なので、この絵画を表現する適当な言葉が見つからない。

「これは……すごいですね。一体何を表現しているんですか?」

 恥も外聞もなくストレートに聞いてみた。学がないのはすでに承知の通りだし、ここで知ったようなことを言っても館長の心象を悪くするだけだ。

「そうだな……人の世の終わり、かな? ここに描かれている人々は希望を持って安らかな眠りについたのか。それとも雲の上にある光を目指そうとしたのか」

「バベルの塔、ですか?」

「或いは、イカロスの翼かな? 人の技術の高さ故、欲をかいて永遠の眠りにつくという」

 数歩下がって、改めて絵画を眺めてみる。額縁の中に収められた世界は、確かにどこを見渡しても終末を描いていた。どこにも希望などない。そんな現実をまざまざと見せつけてくる。

 ふと時計に目をやる。じっくりと絵画を眺めていたが、仕事中だったことをすっかり忘れていた。しかし、私の隣に立つ館長はそんな心中を察してか、無言で「じっくり見ていきなさい」と言っているようだった。



「ところで。君は占いは好きかね?」

 館長の(無言の)お言葉に甘えて、じっくりと見ていると不意にそんな話を振られた。

「占い、ですか? はい、よくアプリや動画で……」

「では、タロットカードの『死神』のカードの意味は分かるかね?」

「確か、正位置が『終末』『終焉』『停止』『消滅』等。逆位置が『再スタート』『覚醒』『新展開』等の意味だったかと。……なるほど」

 館長の問いかけに納得する。これはタロットカードでいう『死神』のカードなのだ。意味から察するに今は正位置ということか。

「面白い見方だろう?」満面の笑みでこちらを向く館長に、私は全力の肯定を返す。

「ありがとうございます。絵画というものの奥深さが垣間見えたような気がします」

「別にどんな見方でも構わんのだよ。どんな名作も名曲も名画も。人の目に耳に触れなければ途端に価値を失ってしまう。誰かが興味を持ってくれれば、廃れていく文化も少しはスピードを緩めてくれるのではないかと、私はそう思う」



 1日目

 初日ということもあり、早めに美術館に到着した私は改めて一人で館内を見て回る。開館まであと数時間と迫っているので、スタッフの動きも慌ただしい。それを横目に流しながら、非常口・避難経路もしっかりと確認しつつ順路に沿って進み、昨日見た絵画のある展示室へ。

 改めて見るとその偉大さに圧倒される。他の展示物がデジタル絵画ばかりで、無機質に感じられる分感動もより大きいのだろうが、それだけではない魅力があるように思う。……そろそろ仕事に戻らなければ。気が付けばつい立ち止まってずっと見てしまう。これから3日間しっかりと警備しなければならないのだ。少しの気の緩みも許されない。私は両手で軽く頬を叩いてから、所定への位置へ向かうことにした。

 開館時間になり、受付では皆スマホの電子チケットの画面を開いて見せ、対応したスタンプが押されていく。昔は主流だったという紙のチケットをもぎる様子も、今の私達にとっては新鮮に映るのだろう。

 展示室内は照明を極力落とした落ち着いた空間で、間接照明の温かい光が人々を魅了する。足元には、順路やお勧めの絵画を紹介するプロジェクションマッピングが次々に映し出され、飾られたデジタル絵画との見事な調和を図っていた。各セクションには、スタッフの他に案内役のロボットまで完備している。

 展示された高精細な絵画の下には、作品名と作者。それにHPや各種SNSにアクセスできるように、QRコードまでついている。そんなデジタル絵画に目を奪われているお客様を眺めながら、私は未だにあの絵画に後ろ髪を引かれていた。

 そんな折。「すみません、お客様のご案内をお願いします」受付からそんな連絡が私の元へ入ってきた。スタッフなら、各セクションに配置されているのになぜ? と思いながら、受付へ。

 そこにはごく普通のサラリーマンがいた。これから出勤なのか、休憩時間を利用して見に来たのかは分からないが……。

「最後の展示室まで、お客様の案内をお願いいたします。クラウドファンディングの支援者様で、リターンのキャンペーンで来館されたお客様です。よろしくお願いいたします」

 受付のスタッフは半ば私に押し付けるようにして男性を預けた後、すぐさま受付のポジションへすっぽりと収まるのだった。

「あの……クラウドファンディングのリターンのお客様って……私、何も聞いてないんですが……」

 受付に耳打ちでそう投げかけると、

「館長から聞いていませんか? では、とりあえず案内だけお願いします。スタッフを待機させておきますので、そこで引き継いでください」

「ありがとうございます。それでは、お客様。ご案内いたします」

 内心「これ、私の仕事か……?」と思いつつも、お客様をいつまでも棒立ちにさせておくわけにもいかず、真っ直ぐに最後の展示室へと案内する。

 その絵画の前には受付から連絡を受けたスタッフが「お待ちしておりましたお客様。道具はお持ちですか? 貸し出しも可能ですが」と促す。同時に私にはアイコンタクトだけで、「ここまでの案内ありがとうございます」と伝えてきた。……ん? 今何か気になることを言っていたような……?

 少し不思議に思いつつも、引き継ぎは終わったのだし、また入口の方に向かって巡回を再開しようと思った矢先。

 男性は、少しの間無言で絵画を眺めた後小さく頷いて、「白い絵の具と筆をお借りできますか?」とスタッフにお願いしていた。

「ちょ、ちょっと待ってください! 何を言ってるんですか!」警備員としては聞き捨てならない言葉が私の耳に入ってきた。寝耳に水のように。私はすぐさま振り返り、止めに入ろうとした。

 が、しかし。「かしこまりました。こちらをどうぞ」あろうことか、スタッフは水のように流れる所作で、絵の具と筆を手渡していた。そしてそのお客様はそれを受け取るなり、一切の躊躇なくキャンバスに何かを描き足し始めたのだった。「何見てるんですか⁉止めさせてくださいよ! なんで絵の具や筆を渡したんですか? 大事な美術品ですよ!」私は自身の職務も忘れ、怒っているのか叫んでいるのか分からないテンションで、お客様をかばうスタッフに食って掛かった。あの心奪われた素敵な絵画が今、汚されているのだ。到底容認できるようなものではない。

 だが、それに対しスタッフは「何を言ってるんです? これがクラウドファンディングの支援者様へのリターンですよ」と当然のように答えるのだった。



 私の抵抗もむなしく、絵画には白い絵の具で何かが描き足された。お客様はとても満足した様子で、絵の具と筆を返却するとそのまま出口へと向かっていった。

「あぁ……名画になんてことを……警備員としても失格だ……」がっくりとうなだれる私はその惨状を直視することができず、以降はその部屋を除いて巡回することにした。やがて、客足はだんだんと途切れ始め、閉館のチャイムが鳴った。残っていたお客様が続々と出口へと向かっていく。例の絵画になど見向きもしない。

 そうして、初日の勤務は大失敗に終わった。派遣元の会社になんて言えば……いや、それ以前に館長に合わせる顔がない。出張で戻ってくるのは3日後の最終日らしい。3日もこの状況が続くのかと思うと憂鬱で仕方ない。とりあえず最後のお客様が外へ出たことを確認して、私は改めて入口から巡回を始めた。特に異常らしい異常は見当たらず、あっという間に最後の展示室。異常しかない展示室に来てしまった……。

 しかし、嘆いたままで終わるわけにはいかない。現実から目を背けてはいけない。そう思って、意を決してその絵画を見上げた。そこには……。

 雲から地上に向かって伸びる一本の棒……? と塔から落ちていく人々の背中に白い物体……。

「いや、違う。これは、『蜘蛛の糸』か! 地上に向かって伸びる一本の『蜘蛛の糸』。それを人々が我先にと掴んだが故に……糸が切れて地上へ落ちてしまった……。すると、この塔から落ちていく人の背中に描かれているのは……『イカロスの翼』!?」

 よく見ると、落ちていく人には白い翼がついていて、しかしその翼は所々折れていたり、溶けていたりする。

 私は一人、世紀の大発見をしたような気分になっていた。

「クラウドファンディングのリターンて……もしかして、この絵画に物語を紡ぐ権利ってこと……?」


 2日目

 今日は土曜日ということもあり、お客様の多くが家族連れだった。絵画の中には子供を対象とした可愛らしい作品も数多く展示されており、またそれらを見なくとも、足元のプロジェクションマッピングやロボットには興味津々といった様子だった。しかし、私の興味は別にあった。昨日の推理を確かめるべく、今日は受付からすぐの展示室付近を(ちゃんと警備しながら)うろうろしていた。私の推理が確かなら、今日も誰かしら描きに来るはず……。お客様にお手洗いの場所を案内しながらそんなことを考えていると、「すみません、ご案内をお願いします」来た! 受付からだ。私は脱兎のごとき速さで受付へと向かう。そこには、小学生くらいの男の子を二人連れた夫婦がいた。

「クラウドファンディングの」

「かしこまりました! こちらへどうぞ!」かなり食い気味に返答したので夫婦から不審がられたが、それはまぁいい。今は答え合わせが先なのだから。

 プロジェクションマッピングに夢中になっている子供達の予測不可能な動線の隙間を縫って、最後の展示室へと案内する。昨日と同じく、スタッフに引き継ぎ。絵の具を手にした子供たちは無邪気にキャンバスに向かっている。一心不乱に何かを描くその姿はとても微笑ましく、ずっと見ていたかったが、間の悪いことに別件の対応に追われることになり、閉館の時間までその仕上がりを見ることはお預けとなったのだった。



「さて、今回はどうなっているのか……」閉じていた眼をゆっくりと開け、視界に飛び込んできたのは、

「戦車……?」何台もの戦車が地上を占拠していた。当然、地上には荒れた大地の上に、老若男女問わず多くの人々が横たわっている。それを蹂躙するかのように。黒一色に塗りつぶされた戦車のキャタピラが乗っかっている。昨日、翼を折られた人も洩れなく被弾したのか、羽が黒く塗りつぶされている。

「戦争の時代……人々が安らかに眠る大地において戦火の爪痕はあまりに大きく……これも一つの終末か……」

 私の推理は確信から期待に変わっていた。さて、明日はどんな絵が描き足されるのだろうか。


 3日目

 長いようで短かった3日間。勿論、絵画に執心しているわけではなく、ちゃんと仕事もこなしている。……と言えば聞こえは良いが、私は内心浮足立っていた。さて、今日はどんなお客様がどんな物語を紡ぐのだろうか。そして、その時間はいつも以上に早くやってきた。

 最終日ということで、開館前にスタッフ全員での朝礼が行われた。各自開館前に清掃をするようにとの連絡があり、私は正面玄関を担当することとなった。時刻は朝8時すぎ。この3日間を振り返り、あの不思議な絵画の思い出に浸っていると、

「あの……すいません。この美術館のスタッフの方ですか?」

 高校生くらいの少女が声をかけてきた。「はい、一応。ここの警備員をやっています」と答えると、その少女は、「あの、クラウドファンディングのリターンで来たんですけど……今から入れてもらうことってできますか?」と心配そうに聞いてきた。

 今日はこの子か! と内心ガッツポーズをする反面、私は。

「申し訳ございません。開場は10時からになります」

 本音と建前の狭間で、仕事として建前を優先し、事務的にそう返答してしまった。すると、

「お願いします。どうしても、閉館までに仕上げたいんです!」

 彼女は全力で頭を下げてきた。頭を下げすぎて、後ろに背負っていた大きなリュックがスライドして地面に大きな音を立てる。一体中に何が入っているのだろうか。絵を描く道具と仮定して、そんなに大掛かりな物語を紡ぐというのだろうか? これは否が応でも期待が高まろうというものだ。

 彼女はどうやら私の返答を待つ間は、頭を上げる気はないらしい。この若者の熱意に応えるには(私の期待のハードルをさらに高くするには)こうするしかない。

「少々お待ちください。担当者に確認してみますので」

 私がポケットからスマホを取り出すと、彼女は一瞬太陽のような笑顔を見せた後、再び深々と頭を下げるのだった。



 上に掛け合った結果すんなりと要望は通り、彼女はてきぱきと準備に取り掛かっていた。先ほどまで背負っていた大きなリュックを下して、中から様々な絵の具や筆を取り出す。

「すごいね、これは。絵の具って最近はあまり見ないけど……よくこんなに集めたね」

「実はおじいちゃんが趣味で絵を描いていて。少しお裾分けしてもらいました」

 では、と。自前のエプロンの紐を後ろでしっかりと結び、彼女は真剣な面持ちで絵画に向かう。昨日の時点では、戦車に蹂躙される殺伐とした風景が広がっていたが、果たしてどうなるのか……。

「じゃあ、私はこれで。頑張ってね」

「はい、ありがとうございます!」

 完成を楽しみにしている。という言葉はプレッシャーになると思い、すんでのところでブレーキをかけた。すっかり絵画の魅力に取りつかれて、絵画>仕事になってしまった自分の気持ちにも、いい加減ブレーキをかけないといけないのだが……壊れていてまともに機能しないであろうことは、自分が一番良く分かっていた。



 開館しても彼女は黙々と絵を描き続けていた。お客様のお目当てはそもそもデジタル絵画なので、展示室の中央で一人アナログな絵画に手を加えていても、気に留めるお客様は誰一人としていなかった。

 私も仕事の都合上全ての展示室を巡回するが、彼女の視界にはなるべく入らないように注意した。

 最終日も大きなトラブルはなく。3日間の会期は無事に終了した。



 「……できた」

 閉館後の展示室で彼女は大きな深呼吸を一つしてから、筆を静かに置いた。一心不乱に描き続けること数時間。この3日間の物語が、ここに完結する。

 私は絵画の完成の報告を受け、派遣会社への報告をするより先に、真っ先に絵画を見に行くことにした。

 果たしてそこに描かれていたのは。

 荒れた地面の隙間、戦車、塔。それら全てを覆い尽くすほどの色とりどりの美しい花々だった。暗雲が立ち込めていた空は青く澄み渡り、雲の切れ間から眩い光が差し込んでいる。

「これは……」

 初めてこの絵画を見た時のことを思い出す。あまりの迫力に、圧倒的な情報量に処理が追い付かず言葉が出なかった時のことを。

「この花々……一つ一つとても綺麗に描かれていて素敵ね……」

 なんという花なのだろう……。

「ここに描いているのは、ヘリクリサム・ルピナス・モンステラ等々……とにかく思いつく限り描いてみました」

 勿論、ただ沢山の種類を描いたわけじゃないですよ? と彼女は付け加えた。

 どういうことだ……何かこれらの花に一貫性があるのか……色……形……季節……?

「それも候補の一つかも知れませんが……花といえば……」

「花言葉!」私は嬉しくなって、ハイタッチを交わす。すぐさま、先ほど名を聞いた花をスマホで調べる。

 ヘリクリサムの花言葉は、「永遠の思い出」「いつまでも続く喜び」等。

 ルピナスの花言葉は、「想像力」「いつも幸せ」等。

 モンステラの花言葉は、「嬉しい便り」「壮大な計画」等。

 なるほど……花(言葉)を使って物語を締めくくり、文字通り終末に“花を添えた”のか。

「素敵な絵画ができたね」

 後ろから、拍手をしながらやってきたのは3日ぶりに会う館長だった。

「おじいちゃん、どうかな?」

「ふむ……希望を思った矢先に、人々は再び絶望の淵に落とされ、それでも生を諦めなかった結果、それが実を結び、再び安らかな眠りを手にすることができた、と」

「そういう解釈もあるのか…やっぱり絵画って面白いね」

 祖父と孫の平凡なやり取りが展開される中、置いてけぼりの私は思わず口を挟んでしまった。

「館長が、おじいちゃん……⁉」

「いかにも。わしが館長兼この子のおじいちゃんだ」



「昔から絵画が好きだった私は、今回どうしても展覧会を開きたかった。しかし時代の流れには逆らえず、展示予定の絵画は全てデジタルで投影したものばかり。勿論それらが悪いわけではないが、展覧会を開催するにあたって、資金不足という問題は深刻だった。そこで、クラウドファンディングを利用して資金を集め、今回の展覧会は開催に至ったのだよ。更に、高額な支援をして下さったお客様へのリターンとして、私の描いたこの絵画にお客様の物語を描く権利を付与することにした。自画自賛ならぬ、自画持参といったところか」

 お孫さんはそのシャレには無反応だったものの、私は初めて会った時のやり取りを思い出して笑ってしまった。館長もなかなかユーモアのある人だ。

「アナログな絵画もいつかは、過去の遺物になってしまう日が来るのだろう。せめてそれがなくなる前に、少しでも興味のある人に触れて欲しかったのだよ」

「一枚の絵画の中で幾つもの物語が展開する……素晴らしい作品を見せてもらいました。ありがとうございました」

 時計を見ると、会社に連絡を入れなくてはいけないぎりぎりの時間だった。

「それでは、私はこれで……」

 先ほどおじいちゃんと孫の会話に口を挟んでしまったこともあり、そろそろいい頃合いだと思った。ところが、館長は。

「せっかくだから、あなたも何か描いていきなさい。あなたの物語の終末が見てみたい」

 そんな言葉をかけられたら、踵を返さないわけにはいかなかった。……いや、もしかしたら私はそう声を掛けられるのを待っていたのかもしれない。では失礼して、と。一言告げてから。

「お願いがあるのですが、この絵画と作品名のパネルを上下逆にしてもらえますか?」

 館長とお孫さんと協力して、絵画と作品名のパネルの上下をひっくり返す。二人は、何事かと不思議に思いながらも、素直に手伝ってくれた。その出来に、これ以上ない満足を感じていた私に対し、

「これは……どういう解釈になるのかな?」

 さすがの館長でも私の行動の意図が分からなかったようで、私は自慢げにその答えを口にする。

「館長、覚えていますか。あの時の会話を。タロットカードで言えば、『死神』の正位置でしたよね。そうすると、今は逆位置です。『死神』の逆位置は、『再生』『再スタート』『新展開』等々……。世界の終末、人類の終末ばかりを描き続けてきた時代は終わり、これからは新しい時代の幕開けです。

 終末を塗り替えるのではなく、新しい時代を、新しい物語を上塗りしていけば良いんです。終末のアップデートなんてどこか矛盾していますけれど、これならば矛盾も解消されるでしょう」

 我ながら良いことを言ったと思う。が、次の瞬間に「まさに”自画自賛”じゃないか……」と気付く。そんな自己陶酔からの自己嫌悪に陥っていると、館長は優しく声をかけてくれた。

「素晴らしい。その感性はきっと君を助けてくれることだろう。その豊かな感性を生涯に亘って育んでいくと良い。君の言葉を借りるなら『感性をアップデートしていく』といったところかな?」

「ありがとうございます」

 その一言に、憑き物が落ちたような安心感がやってきて。地に足のついた感覚が戻った私は館長に一言。

「そういえば、館長。私まだ何も描いていないんですが、少し『書き足しても』構いませんか?」



 その後も不定期に展覧会は開催された。作品は変わらずデジタル絵画ばかりだが、唯一変わらないのは……いや、変わり続けているのは。

 最後の展示室には、今もあの絵画が飾られているという。転職や引っ越しで環境が変わり、私はあの日以来長いこと足を運べていないから、現在はどんな仕上がりになっているかは分からない。しかし、私の書き足した部分は誰にもアップデートされないだろう。

 その絵画の下には、他の絵画にはない注意書きとして。

 ・クラウドファンディングの支援者様以外は手を触れないようお願いします。

 ・大変危険ですので、逆立ちでのご観覧はお控えください。

 と書かれている。

 今度の週末にでも久しぶりに行ってみよう。最新のアップデートが私は非常に気になるのだ。

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終末アップデート ドルチェ @dolce2411

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