遥か未来と春雷

ちょっと黒い筆箱

第1話

「本日より、中央奉行所ここで働かせて頂くことになりました。捕縄ほじょう ナワテです。よろしくお願いします!!」


 入口に『所長室』と書かれた一室より、轟くような挨拶が響き渡った。


 正面に座る所長も、声の主でもありきっちりと腰を曲げお辞儀をする女に若干引いている。


「う、うん。元気なのはいい事だ......あ、君は優秀だと聞いているから、早速街の見廻りでも頼もうかな」


 キーンと鳴る耳に栓をしながら所長はそう言うと、ナワテはさっきと負けず劣らずの大声で返事をして力強く出掛けて行った。


「――――所長......凄まじい新人でしたな」


 暫くして隣の部屋にいながらも、ナワテの余りの声の大きさに慄いた副所長が部屋へと入って来た。


「採用したのは副所長であろう......儂は優秀だとしか聞いてなかったぞ!?」


 “あんなに爆発的な人物だとは聞いてない”とでも言いたげに所長は不満を漏らす。


「しかし! 彼女は採用試験で首席を収めております。オマケに、ごく一部の者しか使う事が出来ない“妖術”を扱えるとあれば、我ら中央奉行所に引き入れない手は無いと思いまして......」


「まぁ期待しておくとしよう――――おい、机に置いてあった手配書を知らないか?」


 所長はそう問い掛けるも、副所長は首を横に振った。


「あのしか書き記されていない古い手配書ですか? まさか......ナワテが持って行ったのでは? 奴を捕まえるつもりで」


「まさか! 幾らナワテ君が優秀でもは無理と言うものだ!」


「そ、そうですよね。幾ら何でも探しに行ったなんてありえないですよね。奴は......“春雷”は今や存在すら疑われる始末。優秀かどうか関係無しにそんな事ないですよね......」


 不安げな表情をする副所長を、所長は「無い」の一言で一笑に付す。


 ――――春雷。それはある一人の人間に付けられた異名である。


 10年前に起こった大きな戦争にて、敵味方問わずあらゆる強者を惨殺した伝説の人斬り。


 一晩にして両陣営の総数10万をたった一人で斬り殺した、半ば伝説と化した人間の名である。


 だが春雷は戦争が終わると同時に姿を消した。


 彼ないし彼女の真の名はおろか、その異名と築き上げた死体の山以外に全てが知られていないその者を見つけ出すなど、神でさえ不可能な無理難題。そう考えることで二人は心を落ち着かせた。

 

 が、副所長の有り得ない憶測は既に現実の物となっていたのだった。



 ◇◇◇◇



「よし! やっと中央奉行所に入れたんだ......これでやっと、奴をこの手で捕まえられる!」


 ナワテは周囲を見回したかと思えば、文字だけが書かれた手配書と睨めっこをする。


 これを繰り返して街中をぐるぐると回った。


――――当然、そんな方法で見つかる筈も無く。とっぷりと夜は更けてしまった。


「聞けども聞けども手がかりすら掴めないなんて......想定外」


 ナワテは軽いため息を吐き、奥まった通りを進む。その時だった。


「――――賭ける金がねぇのに負けを重ねるとか馬鹿なのかテメェは!? その借金全額返すまで二度と来るんじゃねぇぞ!!」


「えぇ~そんなぁ......俺ァここ追い出されたら行くとこ無くなっちまうよぉ......」


 突如としてナワテの左側の戸が開き、屈強な大男が小柄な男を外へと投げ飛ばした。


 締め出された男は、どうやら賭場を追い出されたらしい。とナワテは推測した。


「あの、大丈夫ですか......?」


 ナワテが恐る恐る声をかけると、男は何事も無かったかのように跳ね起きた。


 よく見てみれば男は腰巻き一枚と刀を持つのみで、なぜこうも堂々としていられるのか不思議な格好をしていた。


「あぁ、身体は大丈夫だが心が大丈夫じゃありやせん致命傷です」


「無茶苦茶言ってる......てか早く服着てください!!」


「さっきからごちゃごちゃうるせぇぞ!! とっとと失せろ!」


 再び戸が開き、先程の大男が大声で叫んだ。


 その一瞬で賭場の中を見たナワテは、男に対する声色と雰囲気を豹変させた。


 そして、ある名(迷)案を思いつく。


「ここ、違法な賭場ですよね? あなたも中央奉行所まで同行願います」


「えぇ! 負けた俺ァ実質被害者なんじゃあ......」


 しゅんと更に小さくなってしまった男に目線を合わせ、ナワテは微笑む。


「まぁ最後まで聞いて! 私に協力するならアンタの罪を帳消しにしてあげる。善悪の等価交換って奴よ」


 善悪の等価交換とは、中央奉行所内で広く用いられている制度である。


 つまり罪人は、自らの犯した罪に応じた社会貢献を果たせばその罪が帳消しになるのだ。(その後新たに罪を犯せば、帳消しになった分も上乗せされる)


 だが、この制度で罪が取り消された人物は数える程しか存在しない。


「嫌でさぁ! 違法賭博なんてそこそこな罪でも取り消すにはアホ程善行が必要なんだ! 無理に決まってらぁ......」


「そう。アンタにとっても悪くない話だと思ったから持ちかけたんだけど――――」


「失せろって言ったよなァ!!? 邪魔なんだよテメェら! いい加減にしろよ!!」


 三度目。青筋を額に浮かべ、今にも殴りかかって来そうな大男がナワテへと迫る。


「ちょうどいい! アンタ、コレを見て決めなさい」


「へぁ?」


 ナワテはそう言うと、混乱した表情の男を置いて賭場へと入って行った。


 一分程ガタガタと音が鳴り続けたかと思えば、今度は嘘のように静かになった。


 男が戸を開けるとそこには、縛られ身動きが取れない人間が十数人ゴロゴロと転がっていて、その真ん中に立つナワテが居た。


「お前さん、縄なんて持ってたかぃ?」


「持ってないわよ? 誰にも斬れない縄を操る。これが私の妖術です。アンタもこいつらと同じになりたくなかったら、協力しますよね?」


「はは、仕方ねぇか......痛てぇのは困る」


 凄みのあるナワテの笑顔と目の前に広がる惨劇に、男は呆れながら頷いた。



◇◇◇◇



 翌日。男は律儀にも中央奉行所の前でナワテを待っていた。


「バックレると思っていました」


「失礼ですねぇ......俺ァ約束は守る人間なんですよぉ」


「そういえば、まだアンタの名前を聞いてなかったわね。私はナワテ。よろしく」


「......俺ァ、“ライ”と言います。よろしくなぁ......」


 ナワテは握手を求めるように手を差し出したが男はそれには応じず、だるそうな顔で名前だけ呟くとすぐに歩き始めた。


「感じ悪」とナワテは思ったが、無理矢理連れ回されるライの気持ちを察して後をついて行くのだった。


 二人の聴き込みは何日も続いたが、春雷の手がかりは何一つとして掴めなかった。


「まぁ......人相描きも付いてねぇ手配書一枚で情報がでる訳ぁねぇでしょう」


「うん......」


 ライは慰めるようにナワテの肩に手を置くと、ナワテも落ち込みながら納得した。


 元はお互い......特にナワテはライの事を信用していなかったが、この数日行動を共にした事で若干心の距離が縮まっていた。


「そういえば、ナワテは何故こうも春雷にこだわるんで? これだけの根性と縄の妖術があればぁ、そこらの悪人なら歯牙にもかけないでしょおに」


 ライにとっては雑談程度の質問だったが、ナワテの雰囲気は急に重苦しくなった。


 ナワテは憎しみを瞳に宿し、唇をわなわなと震わせながら呟く。


「私の父は10年前の戦争に医師として参加していました......後方で傷付いた人を沢山治療していたと思います。正しい行いをしていた......それなのに!」


 途中から感情の昂りを抑えられなくなったナワテの口調は激しさを強めた。


「父も、父が助けた多くの人もみんな春雷に殺されました......それで戦争は終わりましたが、なんだか父のした行為の全てが無駄になったような気がするんです」


「だから春雷をこの手で捕まえ、みんな殺した理由を知りたい」とナワテは自らを奮い立たせるように付け加えた。


 その目には、涙が湛えられていた。


 二人の間にしばしの沈黙が流れる。黙って聞いていたライは俯き加減で何かを考え込んでいた。


「ナワテ......その春雷についてなんだが、少し良いかぃ?」


 遂に口を開いたかと思えば、勿体振ったようなライの言い方にナワテは、少し焦ったように返事をした。


「何? まだ廻りたい所は沢山あるし、サクサク言ってくれると助かるんだけ――――」


「キャァァァァァッ!!!!」


 その瞬間、すぐ近くから女の悲鳴が響き渡った。死を予感させる程の絶叫に、二人は声のする方向を向く。


「話は後で! 私は行くから、ライはここで待ってなさい!」


「え、ちょっと待――――」


 ライの制止を振り切って走り出したナワテを、ライはすぐさま追いかけた。


 ――――


 悲鳴のした場所は既に人だかりが形成されており、その中心で何が起こっているのかは分からない。


 ナワテは強引に人の塊を切り開き、やっとの思いで状況を確認する事ができた。


「何......これ」


 その場で起きた出来事は斬り合いだった。しかも、侍のような相応の使い手同士では無い素人。町人同士の、である。


 既に何人かは血を流して倒れており、中には女子供も混じっている。


 暴れているのは三人の男で、いずれも理解不能な叫び声をあげながら刀を振っていた。


「何があったんですか! 教えてください!」


「分からねぇんだ! 人混みの中、急に人が斬られて......かと思ったらこれまたいきなり発狂した男が刀を取り出して手当り次第......」


 そう語る町の人も、困惑した表情をしていた。


「先ずは、暴れている人を抑えるのが先ですかねぇ」


「ライ!? アンタいつの間に......着いて来るなって――――」


「説教はあとでいくらでも。さぁ、早くしましょぉ」


 そう言って刀を構えるライにナワテは頷き、大きく息を吸った。


「奉行所の者ですッ!!!! 後で皆様に話を聞く可能性があるので! その場から動かないでください!!」


 ナワテの声は大きく、良く通る。その一声で、てんでんだった民衆のざわつきを沈静化させた。


「ライ! アンタは二人! 私は一人と怪我人を!」


「了解でさぁ!」


 ライは地面を蹴り出し、一瞬で刀を打ち付け合う二人の懐へと潜り込んだ。


「隙が多すぎるし刀もナマクラ......素人かぁ?」


「えっ」


「なっ?」


 足元に人が現れた事による動揺とよろめきを、ライは見逃さなかった。


 ライは刀が入ったままの鞘を二人の首に振り、一撃で意識を刈り取った。


「峰......で打っても可哀想なんで鞘で殴りましたがぁ、こりゃあ暫く起きそうにありぁせんねぇ」


「悪い事をしただろうか」の考えをライはすぐさま振り切った。


 ――――


 ナワテはすぐさま刀を振り回しながら暴れる男を拘束するべく動いた。


「くっ!」


 腕や脚を縛り上げようとするが、滅茶苦茶に動いているせいで拘束出来ない。


「ウワォォォ!!」


 その時、ナワテの方へ男が走り出した。


 これなら拘束できる! と縄を出現させたが、男はナワテを無視して走り抜けた。


 その先に居るのは......子供を抱え、必死にその場から遠ざかろうと這う母親だった。


「まずい!!」


 ナワテは咄嗟に駆け出し、母親を守るように立ち塞がった。


 がむしゃらに襲い来る男を拘束するのは不可能と判断したナワテは両手で縄を持ち、振り下ろされる刀を受け止めようとした。


「間に合わな――――」


 だが男の刃はそれよりも早く、ナワテを袈裟斬りにしようと振るわれている。


「――――邪魔」


 更にそれよりも早く、ナワテが斬られる寸前にライが男の顔を掴んで横へと吹き飛ばした。


 家をの壁を二枚ほど突き破った後、男は気を失って倒れた。


 時間にすれば一分にも満たず、その場に居合わせた人々の感覚では一瞬で全てが終わった。


「『私、いる意味あった?』とでも言いたそうな顔ですねぇ」


「うわぁっ!」


 ライは感情が抜け落ちたように俯くナワテを覗き込み、何か言おうとする前に続けた。


「あの瞬間ナワテが割り込んでいなければ、恐らく俺は間に合ってなかったでしょうねぇ。ですが何故、自分の身を犠牲にしてまで守ろうとしたんです?」


 ナワテは真っ直ぐライを見て答える。


「私は、私の手の届く範囲の人は助けたいの。かつて父がそうだったように!......でも、さっきは勝手に体が動いただけよ」


「なるほど。納得の理由でさぁ」


 このタイミングで奉行所の人間が多数到着し、暴れていた三人とその刀は押収された。


 ナワテとライにも話が聞きたいという事で、一度中央奉行所へと戻る事になったのだった。



 ◇◇◇◇



「先ずは御苦労だった」


 日も既に落ちた頃、二人は所長室へと集められた。所長の横には、副所長も控えている。


「母娘も命に別状は無く、取り押さえられた三人も軽傷。ナワテ君、お手柄だぞ」


 副所長の言葉にナワテは軽く頭を下げた。


「――――ここからが本題だ。ここ数ヶ月に渡って、この手の事件が相次いで起こっている。だが、我々が拘束できたのはこの件が初めてだ」


「なっ!? それはなぜ......」


「奉行所が捕まえる前に、が鎮圧してたぁ。そういうことですよねぇ?」


 ナワテの疑問と所長の言葉にいち早く答えたのはライだった。


「その通りだ。今回以外の事件は、全て“荒鎺あらはばき”会の構成員によって鎮圧されている」


 その名が副所長の口から出た瞬間、ナワテの顔は強ばった。


荒鎺あらはばき会......ここ中央府最大の侠客ですよね。自分達のナワバリで揉め事が起こったからそれを収めた? にしても全てなんて」


「おかしい。ですよねぇ......」


 結論に辿り着いたような感覚が、ナワテの体を駆け抜けた。


「まさか!」


 ナワテとライの見つけ出した結論が、二人の口から自然と流れ出る。


「恐らく。俺が見た所、今回の三人が持っていた刀は安い量産品のナマクラでしたぁ。オマケに同じモノを『安心材料』として売り付けて来た輩が丁度数ヶ月前いましてねぇ......それが」


荒鎺あらはばき会の人間だった。でも、斬り合っていた人達は町人じゃない? 自分達で刀をばらまいたにしても斬らせる事は不可能なんじゃ」


「それについても検討がついてます。母娘の斬傷はとても綺麗でしたぁ。アレはナマクラ、オマケに素人じゃあ到底不可能な切り口だ」


「ッじゃあ! 組員が母娘を斬って、人々の不安を爆発させて刀を抜かせる口実を作っている......ってこと!?」


「恐らくは。自分の身を守れる武器が手元にあるのに、目の前で人が斬られるという非常時に使わない奴ぁいませんからね」


 このやり取りを、所長と副所長は驚いたような顔で見つめていた。


「ああ。概ねその通りだと考えているよ」


 所長曰く「刀を買え」と勧められた人々からの証言も沢山あるのだそう。


 この言葉を聞いて、ナワテは所長へと詰め寄った。


「そこまで分かっているなら! なぜ一斉逮捕しないんですか!」


 ナワテは机を叩き、所長へと叫ぶ。


 普通ならクビでもおかしくないような暴挙だが、所長はただ俯いて呟く。


「ナワテ君、わかっている......だが、荒鎺あらはばき会は今回の一件で人々から英雄視までされている。そして組員の数も膨大だ。下手に手を出せばどんな被害が出るかもわからない」


 所長の声は今にも消えそうで、耐え難い悲痛を伴っていた。


「ナワテ。奴らは半ば伝説と化している“春雷”よりも危険です。言わば脅威なのです......だから――――」


「助けられる人が傷付いていく様を黙って見てろと言うのですか......?」


 ナワテの言葉に答える者はいなかった。


 否、その沈黙が答えだった。


「私が行きます」


 ナワテは踵を返し、勢い良く戸を開けた。


「待てナワテ君! 君一人で何ができるんだ!」


「所長の言う通りです! 荒鎺あらはばき会には強力な妖術使いも多数いる! 君一人が突っ込んだ所で刺激するだけだ!」


「でも! ここで動かないで傷付く人がいたら......私は見捨てた事になる。もしそうなったら死ぬ程後悔すると思うので」


 そう一瞥して、ナワテは所長室を飛び出した。


「あぁーあ。ああなっちまったら、ナワテは止まりませんねぇ......」


「そういえば君は誰なんだ!?」


「うちの所員みたいな顔して居たが、君みたいなアホ面知らないぞ!?」


「えぇ、今更ですかぃ?」


 誰も突っ込まなかったという事と、状況が状況だった事で出なかった疑問が所長と副所長から噴出した。


「俺ァ......まぁあの声デカ娘に捕まったしがない博打打ちでさぁ――――さて、ここからは俺の一世一代の大博打だ」


 ライは覚悟を決めたような眼を二人へと向け、自らの考えを話した。



 ◇◇◇◇



 ――――荒鎺あらはばき会本邸――――


「あ~、ビビった。まじビビったぜ......まさかこんな女にウチのが10人も伸されちまうとはなぁ」


 傷だらけになり、柱に縛り付けられているナワテを見下ろしているのは、顔から肩にかけて大きな傷のある男だった。


 この男の名はアバラ。荒鎺あらはばき会の大親分である。


「ビビった」などと言っているが、その立ち振る舞いには一切の動揺が無かった。


「なんで......私の妖術が効かない......?」


 震えた声で呟くナワテの髪を引っ張り、アバラは顔を無理やり上げさせる。


「そりゃあ、俺が強いからに決まってんだろうが!!」


 アバラは動けないナワテを殴り続けた。


 殴られる度漏れる呻き声と、血が滴る音だけが響き続ける。


「テメェは奉行所の人間なんだってな。ウチに手を出したらどうなるか教えてやるよ」


 アバラはそう言って、金属の小箱を取り出した。


「俺がこれで一度合図を送れば、中央府に大量に仕掛けてある爆弾が一斉に爆発する。街の七割は軽く消し飛ぶだろうな」


「そんな事して、どうするつもり」

 

「俺が中央府を乗っ取るんだよ!! その為に民衆に武器をばら撒き! 不安を煽った!」


 アバラは無差別爆破と民衆の混乱による暴動の隙に、この国を乗っ取ろうとしていた。


「お前は人間の理性を舐めすぎてる!」


「テメェこそ人間の理性を高く買いすぎだァ! 少し人が斬られた位で発狂し殺し合う! テメェも見てきたハズだぜ?」


 アバラは小箱の中心にあるボタンに指をかけた。


「ま、本当はもう少し機をみるつもりだったんだが......残念だったな。民衆はお前のせいで! 幸福に過ごせる筈だった残りの人生を終わらせるんだ!」


「やめろぉぉぉぉッ!!!!」


 全身から血を噴き出し、喉が裂けそうなほど絶叫しながらナワテは縄を引きちぎろうとするが、自らの妖術で生み出した縄でもあるソレは切れない。


「答え合わせはさせてやるよ――――」


 アバラがボタンを押した瞬間、本邸が真っ二つに割れ、天井が吹き飛んだ。


「なっ......」


 そして呆然とするアバラとナワテの元へ、誰の目にも写らず人間が降り立った。


「誰だテメェ!!?」


 自分の周りで起こる異常。気配を感じたアバラが吼える。


「俺の名は春雷。要件は一つだ......お前はこの国の為に死ね」


 アバラの目の前に立つ男、春雷が静かにそう言った途端、全身を凍りつくような殺気が包み込んだような気がした。


 だが、その場にいるもう一人には彼の立ち姿は違う人物に見えていた。


「ライが......春雷......」


 それはナワテが心のどこかで感じ、有り得ないと切り捨てた可能性だった。


「お、おい! 侵入者だ! 今すぐに――――」


 アバラは畏れを孕んだ声で組員を呼ぼうと叫びかけて気が付いた。


 静か過ぎるのだ。


 今本邸には500人の組員がいる。その全員が騒がないその異常さに。


「お前の仲間は全員俺が殺した。助けなんかいくら待っても来ねぇよ」


 春雷の声からは感情が感じられない。ただ淡々と語るその姿が全て真実だと告げていた。


「クソ! クソクソクソ糞餓鬼がァァァァ――――」


「死人がよく喋るな......遺言はそれで満足か?」


「――――は?」


 アバラには理解出来なかった。


 春雷ライの言葉の意味が。


 自分の目線が己の身体を見上げている状況が。


「お前は俺がこの部屋に入って来た時点で俺に首を斬られてんだよ。それに気付かずにベラベラ喋っていただけだ」


 アバラは次第に薄くなる意識の中、必死で思考を続けた。だがそれを押しのけ込み上げてくるのは、絶対的死への恐怖だった。


 アバラに油断は無かった。自身には“妖術を無効化する妖術”がありながらも一切過信せず、極限まで肉体を鍛え上げていた。


 アバラは何があったのか最後まで理解する事は無くその生涯を終えることになった。


「――――さて、ナワテ。大丈夫......じゃないですね――――安心してくだせぇ。爆弾は全て奉行所の人達が見つけ出してくれましたぁ」


 ナワテもまだ理解が追い付いていないようで、目をぱちくりとさせている。


「爆弾......よかった」


 ナワテは何も起こらなかった事とライが来た事により緊張の糸が切れ、気を失ってしまった。


 こうして、人知れず進められていた国家乗っ取り計画は、最後まで誰にも知られること無く幕を閉じたのだった。



◇◇◇◇



 ナワテが目を覚ますと、そこは奉行所の医務室だった。


 横では穏やかな顔でライが居眠りをしている。


「――――あ、起きましたかぃ? 身体の具合は?」


「もう大丈夫」


「良かったぁ。一週間も目を覚まさないからもう心配で心配で」


 ライにあの時の雰囲気は一切感じられなかった。


 そして二人は少し話をしていくうちに、自然とあの日の会話になっていった。


「――――でも、なんで街中に爆弾が仕掛けられてるってわかったの?」


「それは俺のカンでさぁ。もし俺がアバラならそうするかなって......まぁ賭けでしたけどね」


「そんな馬鹿な......」


 そう言って笑い飛ばすライに、ナワテは乾いた笑いしかでてこなかった。


――――


 暫くの沈黙が続いた後、ナワテは覚悟を決めてこの話を切り出した。


「あなたが......春雷だったんですね」


「はい」


 ライも覚悟は決まっていたようで、穏やかに答えた。


「じゃあ、私があなたを捕まえたかった理由。覚えてる?」


 ライは少し考えて、10年前を思い出すように語った。


「俺は無理をしていたんです。未熟だった俺ぁ、戦争を終わらせる方法がこれしか思いつかなかったし、その場にいた全員を殺す必要があったのかも分かりやせん......だからその罪を背負い続ける事にしたんです」


 ライの口調は一定で変わらない。だがその目に写っていたのは、死体の山と血の川がひたすらに続き、怨念が永遠に自らを呪い続ける。それは正に地獄だった。


「そう......」


 そう話すライの雰囲気が尋常ならざるものだったからだろうか。ナワテは次の言葉が出てこなかった。


 二人の間に、再びの沈黙が流れる。


「ナワテさん。俺ぁ逃げも隠れもしません。でももし捕まるならその手で捕まえて欲しいと考えてますが」


 ライはそう言うと、縄と右手に握られた刀を差し出した。


「この事は他の人には?」


「言ってません」


「じゃあ私はあなたを逮捕しません」


「はぁ!!?」


 ナワテの言葉の余りの衝撃っぷりに、ライは言葉を失った。

 

「10年も苦しんで、またこれから苦しもうなんて私が許しません! それに、あなたはこの街のみんなを救ったの! 善悪の等価交換よ!」


 ライはナワテの笑顔を直視出来なかった。


「ですが俺が犯した罪は重い。許されていい訳がない」


「それなら、これからはアンタも人を助けるの! そうだ! その為には俺じゃなくて親しみやすい一人称が良いわね......」


 考えた事がなかった。俺は一生苦しむべきだと思っていた。


 忘れようとした。忘れられなかった。


 遥か未来まで、自分の行いは正解だったかはわからない。


 誰かに助けて欲しいという、ライが何処かで捨ててしまった願いを、ナワテはいとも簡単に拾ってきた。


「あぁ......ああ!」


 ライの目からは自然と涙が流れ、それは10年の時を取り戻すようにとめどなく溢れ出た。


 この瞬間、ライの心は初めて救われのだ。


――――


「じゃあ、ジブンは海に出ようと思いますんで」


「はぁ!!?」


 ナワテが全快した頃、ライは突然そう切り出した。


「昔、海の向こうにも国があると聞きましてねぇ。ずっと行ってみたかったんですよぉ」


 ナワテは感じた。「これ止めても無駄や」と。


「相変わらず滅茶苦茶ね......死ぬんじゃないわよ?」


「モチのロンでさぁ!」


 ライが水平線の彼方に消えるまで、ナワテは手を振り続けた。

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