第3話 日常に落とされた影②

絶対に追い付かれてはいけない。あの二人にこんな自分を見てほしくない。自分が完璧でないのは、自分が一番良く分かっている。

だからこそ、あの二人の前では自然体の自分で居たかった。家で求められる完璧な自分なんて、空っぽなだけの虚しいだけの存在だ。

でも、あの二人は普通の私と接してくれる。どこにでもいる普通の女の子の私を、見てくれるのは二人だけだ。

「鬼頭さん、聞こえていますか?負(ふ)情値(じょうち)が基準値を超えています!落ち着いて行動してください!」

(黙れ!落ち着けないのはお前らのせいだ)

なかば八つ当たりのように、私は心の中で吐き捨てる。

走り出した私は、とにもかくにも誰にも見つからないであろう場所へと向かった。

そう。あそこなら、誰にも見つからない。

「鬼頭さん、落ち着いてください。お話をしましょう!自暴自棄になってしまってはいけません。大丈夫です。あなたは一人ではありません」

(無責任な事を言いやがって!だいきっらいだ!)

そんなセリフを言う奴に限って、肝心な時に矢面に立とうとしない。私はその事を良く知っていた。

「大丈夫ですから」「私がおります」「桃様」「今日も大変でしたね」「怖かったですねぇ」「桃様なら出来ます」「信じておりますよ」「期待しております」「私も桃様の事、大好きですよ」「私がおります」「私がおりますから」「出来るはずです」「頑張ってくださいな」「いけますよ」

そんな言葉は聞き飽きた。

無責任で、口だけで、何もしてくれない、ただ居るだけの大人達………………

それに比べて、二人は違った。

「よっ、一緒に帰ろ~」「ここの食べよ!」「かっこよく撮ってよ~」「可愛い、マジ天使!」「ここ苦手なんだよ~」「うっま、これ美味し~」「どっか行かない?」

二人にとっては、なんの変哲も無い普通の、何気ない会話だったかもしれない。でも、少なくとも、格式ばった温度の無い言葉より、二人がくれた暖かい言葉の方が私の記憶に焼き付いている。

(あぁ……嫌だな………お別れかぁ……………)

私はふと、ほっぺたに手をやる。指の先が少し濡れる。いつの間に、涙がこぼれていたのだ。

泣いたってどうにもならないのに、走ったってどうにもならないのに、どうしてこんな事してるんだろう。

私は足を止め、呼吸を整えながら、止めどなく落ちてくる涙を拭った。

はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ………………………

嫌だ。二人と離れたくない。でも、どうする事も出来ない。

私には家がある。帰りたくない家が。背負わなければならない家が、背負わされている家が。そんなもののせいで、私は……………………………

「あっ、見つけた!」

そんな事を思った時、後ろから声がした。

「モモ、止まって!」

振り向くと、そこにはあの二人が居た。絶対に会いたくない二人が。

私は弾かれた様に、その場から駆け出す。

「待って、モモ!行かないで!」

「逃げないでよ!」

見られたくない。私はこんなんじゃない。本当はこんなんじゃ…………………

私は後ろを振り返らずに必死に走った。ほっぺたを伝う涙が振り落とされる。

きっと落ちた涙は床に落ちる前に、粒としての形を保てずに散ってしまうのだろう。まるで、私がこれからそうなるみたいに、床に落ちて、誰に気づかれる事も無く、ただただ散って消えていく………………

「ごめん!あんな事言われたくなかったよね!ごめん!」

「心配で…!つい言っちゃったの!本当にごめん!」

「何も知らないくせに…本当にごめん!許してほしいとかそんなんじゃなくて……」

「怪物になっちゃうとか、そんな事なんて無いから!モモは大丈夫だから!」

「だから……」

「「戻ってきてよ!!!」」

重なった二人の声が後ろから聞こえる。私の全細胞が言っている。二人が言っている事は本心だ。

(…あぁ………聞けないよ……そんな事…聞ける訳ない………)

二人の言葉を聞こえる度、涙が流れてきては、私のほっぺたを濡らす一筋になって落ちてゆく。だけど、今更どうにもならない。

「桃さん!今の声はお友達ですか⁈大丈夫ですよ!落ち着いてください!深く息を吸って深呼吸してみてください!私達はあなたに寄り添います!まずは落ち着いて、立ち止まってみてください。なにも恐れる事はありません!私達が着いています。だから大丈夫です!安心してくださ…」

(あんたらが居るから安心できないんだよ!!)

私は心情センターへの怒りをぶつけるように走った。

心情センターなんてあるから、腕輪なんてあるからこんな事になるんだろうが。確かに、怪物になったら大変だ。

周りなんて気にせずに、理性を失ってただただ暴れる。そういうニュースは小学校の頃からたくさん見てきた。

けれど、私は…………私は………………私は………………!

「貴方は普通じゃないんだから」「桃は立派に育つんだよ」「他の連中なんかには負けるんじゃあないぞ」「鬼頭の人間として正しい教養を持ちなさい」「ちゃんとしろ、二度は言わんぞ」「全く、普通の子に負けるなんて…」「それくらい当然だ。もっと高みを目指せ」

いつの間にか、頭の中で響くようになった言葉達。それが今の私を作り上げている。

私は普通じゃない。私は立派で、私は負けないで、私は正しくて、私はちゃんとしなくちゃいけなくて、私は負けないようにしなくちゃいけなくて、もっと高いところを目指さなきゃ、いけなくて……………………………

でも、私は………こんな風にはなれなくて……私は…私は……私は……空っぽだ…

私は後ろを振り向いた。

顔を真っ赤にしながら、私を追いかける二人の姿が目に入る。

体育の2400メートル走でも、そんなに必死にやってなかったのに………

(あぁ…私は一生、この二人みたいにはなれないんだろうなぁ……)

私はそんな事を思ってしまった。誰かのために、そんなに必死にはなれない。こんなに頑張れない。

(ごめんね。私のせいで……)

胸がうずく感じがする。もうだめだ。自分が嫌で嫌で仕方ない。消えたい。手っ取り早く。消えて、無くなって誰にも見つからなければいい。

そうしたら、誰も私に干渉しない。誰も私のせいで悲しまない。誰も、誰も、誰も、誰も、私を見ない。

そうなれば、もう期待される事も無い。失望される事も無い。指示される事も無い。

「桃さん!………ますか⁈負情値が許容量を超えています!今すぐ……いて、私の指示に…………さい!お願いします!周りの人に迷惑をかける前に………」

迷惑ならもう充分かけてる。

充分過ぎる程に、一番かけたく無い人たちにかけている。

私はもう一度後ろを振り返った。二人とも、ちぎれんばかりに腕を振って、何かを叫びながら私を追いかけてきていた。

(あぁ…見ないで。私、今から怪物になっちゃうの……二人の事傷つけちゃうの…お願い、来ないで…お願い…)

私は足に力を込めて、もっと速く走った。後で痛くなるとか、そんな事はどうでも良い。ただ、二人が巻き込まれなければそれでいい。

(ごめんね、レイナ…ミク…私…居なくなっちゃうから…ごめん…本当にごめん……)

私は一人、涙を流しながら、学校の廊下を力強く蹴り続けて二人から遠ざかった。





 


「モモ!どこなの⁈」

「返事して!モモぉぉお!!」

喉がかれんばかりに叫ぶ二人の声が響く。

見失ってしまったのだろうか。

どうやら、まだ怪化はしていないみたいだ。

私は被害が出ていない状況にほっと息をつく。だが、安心してばかりもいられない。

(先輩が走っちゃってからもう十分はたってる。いつ怪化していてもおかしくない。早く見つけないと!)

「先輩方!」

私は駆け寄りつつ二人の先輩に声をかける。

「行っちゃった人、見つかりました?」

「え………いや、まだだけど…」

「誰なの?普通に知らないんだけど…」

先輩たちは顔を見合わせる。

「あっ、すみません。さっき、昇降口で…やり取り見てて……」

私がそう言うと、二人ともばつが悪そうに私の顔から視線を背けてしまった。

二人とも、あの時言ってしまった事に対して、深い後悔があるようだ。

「あの、いったい何があったんです?」

私は単刀直入に切り出した。

二人はまさか聞かれるとは思ってもみなかったのだろう。目を丸くして驚いた様子を見せた。だが、すぐにショートカットの方の先輩は、眉間にしわを寄せて不快感を露にする。

「なんであんたに教えなきゃいけない訳?」

「ちょ、ミク……」

「あんたに何が分かんの?余計な事に首突っ込まないでくれるかな?これ、私達だけの問題だからさ」

ミクと呼ばれた先輩は、ポニーテールの先輩が止めるのも聞かずに、きっぱりと拒絶を示す。

(あぁ…自分の正体も力の事も言えたらなぁ…)

私は少し歯がゆい気持ちになったが、仕方がない。

「そ、そうですか…わ、分かりました。で、でも一緒に探すのは手伝わせてください」

「は?なんで?頼んだ覚えないんだけど」

「ちょっと、ミク…」

「実際そうでしょ。こんな時に部外者入れてどうすんの?」

私の申し出をぴしゃりと拒絶するミク先輩を、ポニーテールの先輩はたしなめつつ、ミク先輩の擁護をした。

「こんな時だからでしょ?ごめんね。今は少しイライラしてるからこんなだけど、いつもは普通だから」

「そんな事言う必要ないでしょ!こんな奴に手伝ってもらう必要ある?」

「だって一緒に探してくれるんだよ。今は人手が必要でしょ?」

「人手とかの問題じゃない。モモは今、あの腕輪鳴って動揺してんだよ?とにかく捕まえて落ち着かせないと……」

「落ち着かせるってどうやるの?それに捕まえるってどうやるのさ?走ったって追い付かなかったじゃん!」

「じゃ、じゃあ、レイナはどうするのさ?私にはこれくらいしか思いつかないよ!」

ミク先輩はポにテールの先輩に叩きつけるように言う。苦々しく、歯を食い縛るミク先輩は、これ以外には本当に何も浮かんでいないようだった。

「それは………まぁ……普通に隠れてるだろうから、そこを見つけて……」

「で?そうの後は?」

「せ、説得する……」

レイナと呼ばれた先輩は自信なさげに俯きながら言う。自分でもこのやり方が通用するとは思っていないようだ。その答えを聞いて、ミク先輩はがっくりと肩を落としてから畳みかける。

「追いかけてる時だってずっと止まってとか、言いまくったじゃん!それで止まらなかったでしょ⁈」

「で、でも、それ以外にどうするって言うのよ?他に方法が無いでしょ!」

「ちょ、ちょっとせんぱ…」

「分かってるよ!わあってんだよ、そんな事は!でも…それじゃあ上手くいかないでしょ!」

「じゃあ他に方法あんの⁈無いんでしょ!」

「そりゃそうだけど!そうだけどさ…!」

髪の毛をくしゃくしゃと掻きながら、ミク先輩が叫ぶ。

そもそも、ここでいがみ合っていても仕方がない。それよりも早く居なくなっている先輩を探し出さなくてはいけない。

二人の先輩もその事は分かっているだろうが、焦りや、自分への怒りもあってか、お互いの気持ちをぶつけあってしまっている。止めようとする私の声は二人の耳に入っていない。

そしてその怒りは、ついには別でありながら、的を得た方向へと向き始めた。

「そもそも、モモの家が悪いんだよ……あんなに縛り付けやがって……」

「追い詰めすぎてるんだよ。格式とか、なんだか言って……好きにさせてあげれば良いのに……」

「あああ!!これ終わったら絶対駅前のパフェ食べに行く!!絶対!!」

ミク先輩が壁に向かって宣言するように叫ぶ。

「今ぁ?それ……」

「今だからこそだよ!それに……」

ミク先輩がレイナ先輩を方を向いて、決め顔で言う。

「モモも一緒に、ね!」

ミク先輩の言葉に、レイナ先輩はどこか呆れたようにしつつも、安堵したような微笑みを浮かべた。

「そだね。絶対見つける」

「うん!」

「じゃ、どこ探す?」

「私、もっかい一階探してくるわ」

「じゃ、私は~…四階見てくる。で、あなたは?」

「え、わ、私ですか⁈」

いきなり話を振られて、私は戸惑ってしまった。

「わざわざ来たんだし、一緒に探してくれてもいいよー。ま、帰りたいなら帰っても構わんし」

「もう、ミクったら」

ミク先輩はまだ私に近づかないでオーラを出しているが、一緒に探すこと自体は了承してくれたみたいだ。

「じゃ、じゃあ、あの、お二人が先輩を見失ったのはどこですか?その辺りを探したいんですけど………」

私が遠慮がちにそう言うと、二人は顔を見合わせてから、迷いを振り払うように口を開いた

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