第2話 日常に落とされた影
「今日、どこよる~?」
「駅前に新しくカフェ出来たんだって~、そこ行こうよ」
夕方になる前とも、昼下がりとも言えない時間帯。
学校が終わった後、どこかによるかなんて言う他愛もない会話。そこに侵食する非日常があった。
「ねぇさぁ、数学の小テスト、あれだるくね?」
「あ、ね!本当にさ~、早く選択になんねぇかなぁ~」
「なんの話してんの~?」
放課後のクラスで繰り広げられる会話にその影が伸びた。
「数学の小テストの話~。だるいな~って」
「あぁ、分かるぅ。復習なんてしてねぇからまじ勘弁なんだけど~」
「とかいって~、やってんでしょ、モモは」
「やってないよ~」
女子中学生二人の会話にもう一人の女子が入ってきていた。クラス分けで離れてしまったもの、親交のある三人は学校から帰る時も一緒で、愚痴やらファッションの話やら駄弁りながら帰るのが毎日であった。
手を振りながら否定するモモと呼ばれた女子に、他の二人は茶化すように言う。
「いやいやぁ、モモ殿謙遜が上手いですなぁ~」
「家厳しいんでしょ、頑張ってんの知ってから」
「ま、うちらは頑張っても底辺だけどな」
「なにを~?!」
二人にとっては何気ない会話だっただろう。良くある勉強できる出来ないといった、学生特有の問答だったはずだ。
だが、モモと呼ばれた少女にとっては、眩暈がする程に悪寒の走る会話だったのだ。
「い、いや、ほんとに頑張ってなんて無いから。この間だって、小テスト追試になっちゃって、お父さんに怒られたし……」
「え、そうなの?」
「やっぱ厳しいねぇ、モモん家」
少女は苦し紛れに言った事が更なる墓穴を掘った事に気が付いて、心臓がきゅっと委縮する感覚に襲われる。
間違いだった。家の事を話したって共感してもらえる訳が無い。いや、もしかしたら、不幸自慢をしていると思われたかもしれない。
どうしよう、次はなんて答えれば…………………
「てかさ、うちらも今日どっか行く?」
「良いね、気晴らしにデパート行こうよ。小物見よ~」
「え、ガチャガチャ回して良い?」
「良いよ~、最近何集めてんの~?」
「今はね~…………」
二人の会話も、前かがみになって取り出されたストラップを見やる動作も、モモは捉えていなかった。
どうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたら………………
もう話題は別のものに変わっている。話題についていけていない事をひしひしと感じながら、記憶の中をかき回して、デパートの情報を探す。
確か前に行った時は、何をしたっけ?確かあの時は………………
「へぇ、可愛いじゃん」
「そうしょ、ビビッてきたんだ~」
「そう言えば、デパートってプリクラ無かった?」
二人のガチャガチャの話に割り込むように、新しい話題を投下する。
「う~ん、あったっけ?私は使った事ないや」
「あ、あったらで良いんだけど、私、皆で撮りたいな~って……」
「いいじゃん、撮ろーよ」
子供ながらに考え抜いた事がどうにか形になって、モモはほっとしたように、息をついた。
「じゃ、じゃあ、そろそろ行こっか」
「うん」
「おぉ」
二人を伴う形で、一行は教室を出た。
「甘いもの好き~?」
「あぁ~、好きと言えば好きかなぁ」
昇降口の下駄箱の前で、数人の女子中学生が駄弁りながら、上履きから靴へと履き替えていた。
「また美味しいとこでも見つけたの~?」
「そうなの!今度はちょっと奥まったところにあるんだけど~…」
「お前ほんと食べてばっかだな~」
「そういうお前はもっと食べろよ。身長伸びないぞ~」
「これでも、ちゃんと食べてるの!」
「でも、好き嫌い多いじゃん」
「うっ……」
こちらも、普段と同じようになんの変哲も無い会話をして、笑ったり、茶化したり、からかったり、そんな風に何気ない日々の一幕を演じていた。
「で、でも、昨日、ネギ食べられるようになったんだから」
「おおぉ」
「やった、凄い進歩じゃん!」
「へへへ……」
そんな事を言っていた時だった。
「ね、ちょ、だから………」
「別にそんな事無いから!」
向こうの下駄箱でそんな声がした。
「な、なんか……」
「揉めてる…?」
「うわ、上級生だ。関わらんとこ」
先程まで嫌いな食べ物を克服したと自慢していた背の低い女子が下駄箱の横から、ひょこっと顔を出して、声のする方を窺いつつ冷静に言う。
「なんとも無いと良いけど……」
「負情値上昇してんなぁ、ありゃ」
背の低い女子を茶化していた女子と、好き嫌いを指摘した女子が心配そうに、呟く。
どうやらショートカットの先輩と、ポニーテールの先輩が、ロングヘアーの先輩と揉めているようだ。
「いや、うちらはね……」
「モ、モモが追い詰められていないかなって…………」
「そんな事無い!そんな事無いから!」
ピ、ピ、ピ……
嫌な音が響いた。友情の崩壊の音にしては人工的過ぎて、なんだか拍子抜けだが、モモと二人の絆をほつれさせるには充分だった。
「えっ、なっ…鳴ってんの…腕輪…」
「ご、ごめん。嫌だったよね、分かったような口きいて」
二人は鳴り響く音に顔を引きつらせる。うち一人は驚いたように、口を手をやった。
「違うの!そんな事無いから!苦しくなんて無いから!だいじょぶだから!」
モモは全力で否定しながら、呼吸を荒くさせる。
「いや、無理しない方が良いって。カウンセラーさんのとこ行こ」
「うん、吐き出しちゃった方がいいよ。怪物になっちゃう前に……」
「ちょ、あんた…」
「え、あ、ごめん、そういうつもりじゃ…」
怪物。怪物になる…………………
モモの脳内でその言葉がぐるぐると駆け巡る。それと共に、様々な情景が頭の中に浮かんできていた。
“三年三組鬼頭桃、怪物化”。そんな見出しが出ている校内新聞。
「あの子よ、ほら、怪物になって暴れたっていう」今度は近所の人達の声。
「こんな事があった以上、推薦は………」言いづらそうに言う眼鏡をかけた担任の声。
「桃、なんでこんな事したのよ…」責め立てるようなママの声。
「桃……これ以上失望させるなよ」吐き捨てるようなお父さんの声。
そんな声がモモの思考回路を埋め尽くす。
(嫌……………嫌………嫌………嫌……嫌…!)
「嫌!…嫌!嫌ぁ!嫌ぁあ!!」
モモは頭を抱えながら、大声で叫び始めた。
「ちょ、どうしたの⁈」
「ね、カウンセラー室行こ?ね」
モモを気遣うように、二人は声をかける。そして、一人の手を伸ばし、モモの肩に触れようとした瞬間、モモは後者に向かって走りだしてしまった。
「ちょ、モモ…!」
「待って!どこ行くの⁈」
二人の制止の声も効かず、モモは校舎の奥へと消えてしまった。たまらず、残った二人がその後を追いかける。
「あ~あ…」
「行っちゃった…」
「大丈夫かな……」
「まぁ、私らにはどうにも出来んし」
「帰る…かぁ……ん、どしたの錫?」
全員帰る雰囲気の中、一人だけ、履き替えた靴を脱ぎ、下駄箱から上履きを取り出している少女が居た。
「やばいかもしれないから……先生に伝えとく!」
「えっ…」
「やばいってなんだよ⁈」
「皆は先帰ってて!」
少女はそういうと、校舎に向かって走り出す。
「えぇ、噓でしょ」
「ちょっと~!ほんとに行くのかよ~!」
背中からそんな声が聞こえてくるが、少女は止まらなかった。
絶対に最悪の事態は避けたい。その思いを胸に、少女は校舎の床を叩くように走った。
「モモ~、どこ居るの~⁈」
「悪かった!本当にごめん!だから出てきて!お願い」
そんな声が校舎の中でこだまする。だが、その呼びかけに応じる者は居ない。
二人が探している人物は、耳を塞いで、うずくまって隠れているからだ。
(来ないで…………来ないでよ………)
ピピピピピピピピ……
モモがそう念じれば念じる程、腕輪は警告音を垂れ流す。モモにはそれが、うざったいどころか、憎たらしかった。自分は必死に心を抑えようとしているのに、腕輪はまるで見つけてほしいかのように、爆音で電子音を鳴らす。
モモは腕輪をどうにか取り外そうと、思い切り力を込めて、右手を通して外そうとするが、利き手ではない左手で外そうとしている事も相まって、手首で引っかかって全く取れそうにない。
その間にも警告音は鳴り響く。
ピピピピピピピピピピピピピピピピピ…………………
「止まれ…!止まって……!お願いだから!!!」
モモはさらに力を込めて、右手をねじって、どうにか腕輪を外そうと奮闘する。腕輪が外れれば、そこらにそれをほっぽり出して、二人の元へと帰る事が出来る。そう思っての事だった。
だが、それは別の事象を引き起こしてしまった。そして、それは腕輪が鳴ってしまった以上に厄介であった。
腕輪を右手に食い込ませ、モモが力任せに腕輪を取ろうとした時だった。
「腕輪が外れようとしています。腕輪が外れようとしています。直ちに元の位置に戻してください。直ちに元の位置に戻してください。十秒以内に所定の位置に戻らなかった場合、心情センターから御連絡させていただきます。腕輪が外れようとしています。腕輪が外れようとしています。直ちに………………」
腕輪からそんな音声が爆音で流れ始めた。
(これって………緊急用の…心情センターからの通信?ちょ待って…これ……やば……)
モモは慌てて食い込んだ右手から腕輪を戻そうと、腕輪を掴む。
しかし、何分も格闘した末に、右手に食い込んだ腕輪は、後少しの力があれば、右手からすっぽりと抜けそうであった。否、親指の付け根の辺りを、後一ミリでも手の甲の方へ押し込む事が出来ていたなら、モモにとって忌々しいこの腕輪はいとも簡単に抜けていただろう。
そんな状態であったというのに、直ぐに元の腕の方に戻せるという方がおかしいだろう。
それでもモモは全力で腕輪を引き戻そうとした。
ひとえに、親に怒られたくない。失望されたくない。学校で噂になりたくない。隣近所で後ろ指を指されながら生きていきたくない。
そして、あの二人と離れたくない。
そんな思いが、未完成の未熟な心をいっぱいにしていたからだった。
右手の皮膚が腕輪に巻き込まれて、擦れて、剥ける。だが、そんな事など気にも留めずに、モモは力いっぱい腕輪を引っ張った。
ススッ…!
力任せに掴まれた腕輪が、モモの左手と共にずり落ちる。
右腕を持ち上げる形で、腕輪を元に戻そうとしていたモモが、安堵の表情を浮かべた事は言うまでも無い。
(やった、やった!やった!やった!やった!やった!やった!やった!やったぁ!!!)
しかし、モモがそう思ったのも束の間だった。
「こちらは心情センター保護・相談室です。そちらの状況をお教えいただけますか?鬼頭桃さん」
腕輪から女性の声がした。その瞬間、モモの耳にはキーーーンという音だけが聞こえ、眩暈のような感覚に襲われる。間に合わなかったのだ。
「鬼頭さん?どうしましたか?鬼頭さん?鬼頭さん⁈………」
(終わった…もう全部終わった…)
自分の人生が終幕した事をモモは瞬間的に理解していた。
心情センターからの電話。これは重すぎる事実だった。
誰もが怪物になる事を恐れ、誰もが怪物に殺されることを怖れる。そんな世界だからこそ、心情センターのような組織が必要なのだ。学校の授業では先生が声高らかにそう言っていた。
社会のために必要だって、みんなのために必要だって、ずっと思ってた。
今日という日を迎えるまでは。
(今まで……ちゃんと我慢してきたんだけどな……)
だけど、いざ自分が、社会でも、みんなでもない存在である怪物になると思うと、心情センターが物凄く恐ろしい組織のように思えた。
授業では、怪物になりかかっている人達に寄り添い、カウンセリングや精神治療を通して、そういう人達を救ってる組織だと言っていた。
だけど、それがもし本当じゃないなら?全部全部嘘で、本当は人体実験とかされるとしたら………?
(まぁ……でもそれならそれでいっか……)
もう、自分の人生は終わった。心情センターから連絡が来た事くらい、両親の耳にはすぐにでも入るだろう。
学校も変えさせられるだろうし、第一、自由は与えられないだろう。
今でさえ、家に帰れば復習と予習が待っている。習い事は週一回のピアノだけだが、そこに、カウンセラーとの対談が入るのかもしれない。
(あぁ………楽しかったなぁ……ありがとう、レイナ…ミク…………)
モモは半分夢心地で、上の空であった。ただ、呆然と立ち尽くしながら、友達との美しい思い出に浸っていた。
だが、その陶酔は必然ではあったが、唐突に終わりを迎えた。
パタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタ………………………
「こっち!ほらなんか聞こえない?」
「確かに…!でも、これなんか……」
モモは近づいてくる足音によって、美しい夢から目を覚ました。廊下を走る音は二人分。そして、話す声も二人分。他ならぬ友人達の声だ。
「鬼頭さん⁈もしもし、鬼頭さん⁈お返事をください!鬼頭さん!警察に連絡しますよ⁈鬼頭さん!もしもし、何があったんですか⁈鬼頭さん⁈鬼頭さん⁈返事をしてください!………」
腕輪からはまだ顔も知らないセンターの人からの通話が繋がっている。きっと、この音でどこに居るかばれたのだ。
ダッ………
モモは近づいてくる声とは反対の方へ駆け出した。
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