誘拐とアシスト

詩人

Someday, winds blow.

 プラットフォーム、二番線の明るい夜。

 終電間際の駅にはおよそ人の気配は感じられない。凍える僕を、二分に一度のペースで渇いた冬風が撫でるだけ。コンビニで買ったホット珈琲をカイロ代わりにして、白い息を茫洋ぼうようたる夜の境界に溜める。


 孤独の夜というものは日常を露わにする。昼の間までは気にすら留めなかった事象がいちいち目に入る。わずらわしいと思いながら、束の間ではあるものの、そういった些細を発見できる己の感性を誇らしくも思う。


 こんな夜には心も実験的になる。邦ロックを流すイヤホンを仕舞い、曇るからと外していた眼鏡を掛け直す。マスクも外し、珈琲を一口。鼻から抜ける独特なあの香り。苦みがぎゅっと口に広がり、熱を孕ませた液体はそのまま喉を通過する。


 一連の行為を「五感を研ぎ澄ます」と考えた脳に、僕は異論を発する。元来、人間の五感は研ぎ澄まされているものである。く過ぎる日常を盾に、我々がそれらを妨げていたのではないだろうか。


 通常なら注視しないような部分にまで意識が行き渡り、監視の範囲が広がったような気がした。

 そして今、まさに僕の警報が異常を察知した。


 ホームの淵に男が一人立っていた。


 草臥くたびれたスーツを身に纏い、頬は痩せこけ、長い脚はふらふらと不確かである。

 こんな終電間際の時間まで働かされてさぞ辛いだろう。僕はただ遊びほうけていただけだから、彼の苦労は理解してやれない。


 その時、示し合わせたように列車の接近アナウンスが響いた。僕と男以外誰もおらず、余計な雑音がないせいでやけに電子音声は夜に反響する。

 あまりに場違いな音は日常聞いているはずなのに、耳をつんざくこの無機質な音声は非日常を形成する。途端に五感が不思議なもやに覆われるような気がした。

 そのせいか、けたたましい警笛に気づいたのは無意識の数秒後だった。


 終焉の音は、男をさらっていった。

 そうか、やっと。

 やっと、追い風が吹いたんだ。

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誘拐とアシスト 詩人 @oro37

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