第47話 ~覚えていてくれますか~ 愁一郎の語り
情けない話だけど、僕が登校したのはすったもんだを終えた二日後。夏風邪をひいたみたいで、熱を出していたんだ。しかもずっとベッドの中にいたというのに、色んな思考が頭をグルグルぐちゃぐちゃかき回すもんだから、ろくに眠れなかった。熱は下がったけど、体調は最悪だ。
まっすぐ歩いているつもりが、駅から学校までの道のりで何度も電柱にぶつかりかけた。校門を潜った時には、生徒指導の先生が「谷原ちゃんと前見て歩けー!」って怒鳴ってきたから「みてます~」と返したけど、もしかしたら目を瞑ってたのかもしれない。だってなんか若干、校門から下駄箱まで記憶が曖昧だし。半分寝ながら歩いてたのかな。
しっかりしなければ。
両頬をバシバシ叩いて気合を入れてから、下駄箱の蓋を開けた。
「おはよー谷原クン」
僕より頭一つ分小さい女子生徒が横に並び、同じように下駄箱の蓋をあけながら僕に挨拶をする。
縦横無尽に散らかったクセっ毛。名取だ。いつも通りの、能天気な。誘拐された記憶も無く、不老長寿薬の存在も知らない。丸一日分を失った名取。
「……おはよう」
僕は嘘をついて薬を飲ませた罪悪感を抱きながら、スニーカーを脱いで上履きに履き替える。
「一昨日は助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
何気なしに返事をした。言葉の意味するところに気付いたのは、スニーカーを拾い上げて下駄箱に仕舞おうとしていた時だ。
四角い空っぽのスペースに入れる寸前で、僕はスニーカーをボトリと手落とす。
「え!? 覚えてる?」
慌てて振り向いた僕に、名取はきょとんとした顔を返した。
「何を?」
「覚えてる! 一昨日だよ。なんで? 薬飲んだはずだろ」
若干、支離滅裂になっている僕からの質問に対し、名取は後ろ頭を掻きながら、でへへと笑って答える。
「ああ、最後に飲んだ安定剤? あれ多分、消化吸収されてないわ」
「そんな……どうして……」
まるで分らない。何をどうやったら消化吸収されないっていうんだ。だって僕は、名取が薬を飲みこむところをちゃんと見届けたのに。
「だって。ゲーゲー吐かされた後で、こんっな山道を下ったんだよ。飲んだはいいけど、気持ち悪くなってまた吐いちゃったもん」
名取は説明しながら、右腕をくねくねさせて山道を表現した。ああはい、確かにあの道は蛇みたいに曲がりくねってますね。知ってます。
なんてことだ……。
脱力した僕は、下駄箱にもたれかかった。側頭部がごつんと取っ手にぶつかって若干痛かったけど、精神的な打撃の方が大きくて、痛いとかもうどうでもいい。
首を傾げた名取が、僕を覗きこんでくる。
「なに。あれってもしかして、忘れ薬かなんかだったの?」
「はいそうです」
僕はバカ正直に肯定した。取り繕う余裕さえなかった。
名取は怒るだろう。軽蔑されるかもしれない。絶交されるかもしれない。でももう、仕方ない。父さんの忠告を無視して、薬を偽ったのは僕だ。
僕は友達一人を永遠に失う覚悟を決めて、怒鳴られるのを待つ。
けれど、罵声は来なかった。
「そっかー。ごめんね。折角の心遣いを」
ヘラっと笑った名取が僕に謝る。
「心、遣い?」
「怖い思い出が残らないように飲ませてくれたんじゃないの?」
ああ成程、そういう思考に行ったわけか。でもごめん、違うんだよ。
「それだけじゃ、ないんだよね」
名取のプラス思考に感謝しながら『そうだ』と頷いておけば、丸く収まったのかもしれない。けれどもう、嘘はつくまいと決めたんだ。かといって、
黙ったままの僕を前に、名取は「ふーん」と口をとがらせた後、また能天気な笑顔を浮かべた。
「まあ、色々と複雑な事情あるみたいだし、忘れて欲しいなら悪いけどまた持ってきてよ。今度はちゃんと吐かずに飲むから」
え、飲んでくれるの? ホントに? どれだけ人が善いんだよ。
「ああ……うん。分った」
ぎこちない動きで頷いた僕は、落としたままになっていた靴をやっと拾って、下駄箱に入れた。
名取がいつもと変わらない調子で話しかけて来る。
「大変だよねぇ谷原クンたちも。ああいう人、まだまだいっぱいいるんでしょ?」
「うん、まあ。断薬法が分ってからは、少しずつ減ってはきてるんだけど」
「へー。てことは、逃げずに向き合ってるワケだね。すごいじゃん。でも十字架背負いすぎて、無理して怪我したりしないでよ?」
僕は言葉を失った。
真識人は己に厳しいから、お互いに労い合うことはあっても、まずこんな風に自分を褒めたりしない。
ハンターに追われて社会から身を隠さなければならないのは、自分たちが背負うべき業だと思っているし、幼い頃からそう教えられる。
ハンター達を探し回って断薬治療をしている父さん達に対しても、一族としては当然の行いだと誰もが考えているから、十字架を背負いすぎるな、なんて忠告をする人は一人もいない。まずもって、不老長寿薬に侵されたハンター相手に、先祖を擁護する者なんか……。
普段の真識人はみんな明るい。賑やかな事が大好きで、老若男女問わず元気で、よく笑うし、よく食べる。米粒一つに感謝して、「命をもらうんだから」と、花一本手折るにしても必ず手を合わせる。これが、真識のしきたりで、文化なんだ。
僕はこの文化をとても好ましく思ったし、卓越した療術に惹かれたから、真識人として生きることを選んだ。でも、不老長寿薬っていう十字架を背負った真識人の生き方は、真冬の川の中に素足で入る行為に似ていると僕は思うんだよ。刺さるように冷たくて痛い。それをみんな、我慢して笑っているだけなんだ。
『もう少し、ご先祖様を許して、自分達を甘やかしてあげてもいいと思うんですよ』
幼い僕を膝に乗せてあやしながら、めったに姿をみせない父さんに、母さんが言った台詞を、僕は覚えている。
ねえ名取。僕が久世じゃなくて谷原なのは、両親が入籍してないからなんだよ。母さんが父さんの家族だと、もしハンターに悟られたら、昨日の君がそうなったみたいに、とばっちりをくうかもしれないから。
父さんは、僕や妹の誕生を喜んだし、毎月母さんに養育費とか生活費とかを払い続けているけど、家族を持つつもりはない、って言ってる。家族って形態をとるだけで、巻き添えをくう率がぐんと上がるからって。
僕が真識人として生きる決意をしなければ、おそらくあの人は、一生僕に『父さん』と呼ぶことを許さず、『先生』を貫かせたはずだよ。あの人はそれほどに、強い覚悟と恐れを持って生きてるんだ。
真識の生き方って、ちょっと虚無的で辛い。
僕、今になってやっと気付いたよ。頑固で強情っ張りの父さんが、ハンターの目を気にしながらでも母さんに会いに来ていた理由。それって、例え岸辺でぬくぬく火に当たっていてもいいから、川の中で痛みを我慢して立っている自分に、声をかけてほしかったからだったんだ。「大変だね」って。「よく頑張ってるね」って。「無理しないで」「ちょっと上がって火にあたりなよ?」って。実際は声掛けに応じられなくても、そうやって自分を見て声をかけてくれる人がいるだけで、痛みの感じ方がまるで違うんだ。
そんな人を手放す強さは、僕には無い。
「飲まずにいてくれる?」
声が震えた。
「精一杯守るから。真識のことを忘れずに、友達のままでいてくれる?」
こんな都合がいい願い、いくらお人好しの名取でも聞きいれてくれるはずがない。そう思った。けれど、名取はこう言った。
「うん。そりゃ、別にかまわないけど」
おわっ!
直後、名取が悲鳴を上げる。僕が抱きついたからだ。
僕は抱きしめている相手の肩の上で、めそめそ泣いた。
「ありがとう。ありがとう名取」
「どういたしまして。でも、いつまでーもこうしてるとねえ……」
なんだかよからぬ事が起こりそうな予感を抱かせる名取の台詞が聞こえる。次の瞬間、カシャリと軽い電子音がした。
ものすごく聞き覚えのあるそれは、間違いなく、スマホのシャッター音。
「やったあぁぁ! スクープとったぁ! これで一年スペースはあたし達のもの~」
名取を挟んだ僕の正面。廊下に上がったすぐの所で、二人の女子生徒がスマホ片手にピョンピョン飛び跳ねている。
僕は名取を抱きしめたまま、凍りついた。
はい、あなたたち、知ってます。確か、名取が廊下で身動きとれなくなった時に車椅子を持ってきて、保健室に運んでくれたお友達ですよね。
でもなんで今、写真撮った?
マダガスカルにいる猿ベローシファカみたいな横跳びで僕達から離れた名取さんのお友達二人は、最後に「ひゃうっ」と怪鳥音を残して、廊下の曲がり角に消えた。
「あーあー。やっぱ撮られたかー」
事情を知っている様子の名取が、僕から一歩離れて顔をしかめる。
「なに? 今、一体何が起こってるのか説明がほしい」
パニック寸前で状況説明を求める僕を、名取は意外そうに見やってこう言った。
ミっちゃんとスギちゃんは、同じ新聞部部員なんだよ、知らなかったの? と。
「うちの学校のカップル直撃企画やるんだって。テーマは『君たちは校内のどこでラブラブしますか?』」
悪趣味ー!
僕は心の中で絶叫した。
「
「してるねえ、あの様子じゃ。まあ、あたしゃ今月の一年スペースはもう諦めてるから、どうでもいいんですけど」
どうでもよくないんですけど!
名取を下駄箱前に残して、超絶迷惑な新聞部員二人を追いかける。
「ちょっと待て! 話を聞け! ていうかその前に、さっきの写真、削除してくださーいっ!」
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