第39話 ~先輩からの知らせ~ 愁一郎の語り

 山神様の祠は四本杉に囲まれた平地の、中心にある。石で造られた小さなものだ。正面には、今朝替えたばかりの水で満たされた湯飲みと、生米が盛られた皿が置いてある。

 族長は祠の前に跪くと、懐から小さな酒瓶と塩の袋を取り出し、湯呑みの水を捨てそこに酒を新たに注いだ。次に、懐紙を広げて塩を盛る。

 それらを丁寧に祠の前に並べた族長は、手を合わせ祈り始めた。


「山神様。お山におわす、をろち様。どうぞ、村をお守りください。どうぞ、狩る者たちの手から、村をお隠し下さい。狩る者達を退けて、女子供男衆おんなこどもおとこしゅう全ての同胞をお守りください」


 僕は族長から十歩ほど後ろに下がったところで、祈りを捧げる背中を見守る。


 始まったばかりで悪いけど、これいつ終わるんだろう。


 罰あたりだとは思いつつ、早くも帰りたくなってきた僕は、時間を確認しようとポケットからスマホを取り出した。その時、僕の頭上で何かが動く気配を感じる。


 鳥とかそういう、小さなものじゃない。むしろ、雲がゆっくり僕の体に影を落として行くような、そんな感覚。


 気配の正体を掴もうと、頭上を仰いだ。左右に視線を走らせ、後ろを振り返る。

 いる。と確信した。

 目には見えない。けれど、何かとてもつもない大きなものが僕と族長を囲っている。例えて言うならそれは、何十両と繋がっている長い長い電車が、ずるずると僕たちの周りを超徐行運転で這いまわっているような。

 でも、気配の正体は電車じゃない。それは蛇だ。純白の大蛇が脳の後ろ側で視えた。両目が紅く、体をうねされるたびに貝殻のような鱗が虹色にきらりと輝いている。


 なんか凄いのがいる! いや、なんかっていうか、蛇で確定なんだけど、それにしても大きすぎる! 山一個が蛇にとって変わったみたいだ!


 半分パニックになっていると、ふっ、と額に妙な風が吹きつけた気がした。今もしかして、顔面が通過したとか?


 もはや一歩も動けないどころか、片腕を上げる事すら恐ろしい。


 凍りついていると、人間のものらしい絶叫が、どこからか聞こえた。多分男性だ。年齢までは分らないけど。

 数秒後、東側の斜面から大きな塊が転がり落ちてきた。形から推測するに多分、人だ。でも周りに何か群がってる。蜂? 違うな。ああ、あれ藪蚊やぶかだ。


 斜面を派手に転がって来た藪蚊まみれの人は、木の根本にぶつかると、回転と同時に体の動きも完全に停止させた。気を失ったみたいだ。


「まず一人」


 族長がぼそりと言った。


 え。この人、ハンター!?


 大蛇の気配に注意しながら、僕は落ちてきた人に駆け寄る。群がっていた藪蚊は、いつの間にか解散していた。

 ハンターは、若い男性だった。野焼きに使う草焼きバーナーを背負っている。

 

「大屋敷に連れて行け」


 山神様に祈ったまま、族長が僕に命令する。


「でも、族長が独りになりますよ」


 いくら族長が妖怪じみてるからって、老人には違いない。ハンターがうようよしてる山の中に独り放っておくなんて、そんな事はできない。

 渋る僕に族長は、「そのうちオジイが来るじゃろう」と言った。

 確かにオジイなら多少、ボディーガードにはなるかもしれない。でも犬は懐中電灯持てませんよ。そこんとこ分ってます?


 やっぱりここにいます、と命令に背こうとした時、僕のスマホが着信を知らせるベルを鳴らした。

 電話をかけてきてるのは、木村先輩。

 無視しようとしたけど、あまりにしつこく鳴らし続けるので、電話を取る。


「はい?」


『よかった! 愁一郎、落ち着いて聞けよ!』


 何やらひどく興奮した先輩がまくしたてる。

 先輩こそ落ち着いて下さい。そう言うと、『こんな時に落ち着いてれっか!』と怒鳴られた。要求と現状が無茶苦茶だ。

 先輩は僕の返答を待たず、今、斎藤さんの車に乗っている、と伝えてきた。


「はあ?」


 何故に斎藤さん? 先輩、斎藤さんと面識あったの?

 面食らってる僕に、先輩はたたみかける。


 名取がさらわれた。車は見失った、と。


 とりあえず僕は電話を繋いだまま、鬱蒼うっそうと茂る木の葉の隙間から見える星空を仰いで、名取の引きの強さを嘆いた。それから、族長に言う。


「すみません。やっぱり僕、先におります」

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