第38話 ~山の神へと続く道~ 愁一郎の語り

 照明を切った真っ暗な食堂で、浅葱が電話の向こうの相手と怒鳴り合っている。


「だから! こっちに来ちゃいかんと言ってるでしょうが! どうしてわざわざ危ない目に会おうとするんですあんたは!」


『私、まだ何も役に立ててません。だからそっちに行きたいんです』


「心配の種を増やさんで下さい!」


『私は浅葱さんが心配です!』


 浅葱が受話器を取ると同時に父さんがスピーカーボタンを押したから、二人の会話は丸聞こえだ。


「痴話喧嘩かいな」

 

 真利亜さんが呆れた様子でチクリと刺した。


 僕が学校から帰ると、大屋敷には既に沢山の同胞とその家族が集結していた。村に住居を構えているほぼ全員と、山を下りた町で暮らす人達だ。

 僕が知る面子は門番さん以外、殆どが食堂に集まっている。緊急事態に素早く対応できるようにか、みんな土足だった。


「とにかく、ダメったらダメで――ちくしょう切られた!」


 並行線をたどっていた言い合いを一方的に終了された浅葱が、心底悔しそうに受話器を置いた。

 斎藤さん。大人しい人だと思っていたけど、意外と行動的な一面があったんだ。


「真識の小娘って誰や?」


「さあ。一応、全員分の安否確認は終わってるはずだけど」


 達樹さんの疑問に対して真知さんが、届いたメッセージを再チェックしながら首を傾げた。


「無関係な人が巻き込まれちゃったのかしら。困ったわね」


 十分あり得る話だ。名札を付けている訳じゃないんだし、真識か真識じゃないかなんて、DNA検査でもしないかぎり分らない。

 同胞の安否確認がとれているなら、無関係の誰かが真識の一人と勘違いされて掴まったと考えるのが妥当だ。

 小娘、っていうなら十代から二十代の女性なんだろうけど。真識に間違われそうな人って、誰かいたかな? 


「町中停電してるんだろ。奴ら、変電所をやったんじゃないか?」


「殆どテロだぜこりゃ。無茶苦茶しやがんな」


「族長、どうします。複数人いるなら、こちらも襲撃を予測して動かないと」


 熟練の猟師組三人が口々に言って、部屋の隅で立っている族長に意見を求めた。族長は腰の後ろに両手を組んで、地蔵みたいに暫く静止していたけれど、おもむろに口を開いてぼそりと言う。


「ワシは山神様のところへ行く」


 族長は毎日朝食前に、大屋敷の裏から通じている山道を登って、山神様をまつっているほこらへ向かう。水やお供え物を替えて、拝んで帰ってくるのが日課なんだ。だけど、なんで今?


 よっぽど不思議そうな顔をしてたんだろう。族長が僕に目を止めて、「懐中電灯持ってついてこい」と命じた。


 ああはい、別にいいですけど。

 頷いた僕は、電話台の下にある懐中電灯を取り出す。

 族長は食堂の引き戸を開けると後ろを振り返り、白濁した両目を同胞達に向けた。


「ワシが生きとる限り、この村は山神様が守って下さる。だが、連れ去られた娘までは助けてくれん」


「探せ」と言い残し、廊下へ出ていく。僕はその後を追った。



 腐葉土と瑞々しい草が混じった匂いが、ぬるく湿った夜気となって、うっそうとした山林を漂っている。

 僕は前を歩く族長の足元を懐中電灯で照らしながら、山道を登る。


 普段、祠までは一〇分も歩けば着くけれど、暗くて足元も悪いからもう少しかかりそうだ。殆ど堆肥になりかけている落ち葉は、踏みしめるたびにふかふかと頼りない感覚を足の裏にくれるから、余計に危うい。


 しかしまあ、族長の歩くスピードの速い事。もんぺをはいた足元は、裸足に藁草履わらぞうり。歩きやすそうではあるけど、落ちてる枝とかで怪我しないよう、ちゃんとライトを照らしといてあげなきゃ。

 僕は明るく切り取られた族長の周辺を注意深く見ながら進んだ。


「三人いるぞ」


 ふと、族長が歩みを止める事無く顔半分、僕に振り向いて言った。


「誰がです?」


「狩る者じゃ。……臭いな。火種ひだねを持ち込んだか」


「それってまさか……」


 山ごと村を燃やす気?

 ぞっとして立ち止まる。一方族長は、歩みを速めた。


「急げ」

 

 振り返らず、遅れをとった僕を急かす。僕は開いてしまった距離ぶん走り、また藁草履の足元を照らした。


 祠まではひたすら上り坂だ。族長も僕も、息が軽く上がり始める。


「忘れるな愁一郎。山神様はおられる」


 少し掠れ気味の声で、族長がまた僕に話しかけてきた。


「何度死んでも、真識の魂は真識に帰ってくる。じゃからこの村は無くしてはならん」


 息が上がっていても、掠れていても、確固たる意志が伝わってくる。けれど僕は正直、どう返事をすればいいか困っていた。山神様なんて見た事ないし、帰って来た真識の魂とやらにも出会った事がない。昔話は知っているけど、神や霊魂が確かに存在するという実感は無い。

 そんな僕の惑いを察したのか、族長は歩みを止めて僕を振り返る。


「お前もそうであろうが」


 投げかけられた意味不明の言葉と、懐中電灯に照らされた族長の小さな体は、僕が知らない世界の全てを孕んでいるようで。僕は初めて、畏怖いふすべきこの人の、まことの部分に触れた気がした。

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