第24話 ~名取さんのピンチ~ 愁一郎の語り

 学校を終えて、自宅の最寄り駅のホームに降り立った僕は、これみよがしにため息を吐いた。


「どうして徒歩圏のあなたが電車に乗ってしかも僕と同じ駅で降りてるんでしょうね」


 隣の人物に話しかける。

 問いかけ形式だけど、質問しているわけじゃない。クレームにも聞こえるかもしれない。確かに行動は改めてもらいたいけど、文句をつけたところで『でへへ』笑いでスルーされるのは嫌というほど学習させていただいた。だから、これはもはや、ただのボヤキに近い。

 

「ほらほら、そんな暗い顔しないで。これから楽しいダイエットタイムじゃないの~。あたしの自転車はこの駅に置いてあるんだから、一緒に下りるのは当たり前でしょ?」


 でへへ、と笑った名取は下手くそなパントマイムみたいに自転車漕ぎの動きをする。


 足どころか腕まで回転しているよ名取さん。それじゃあ直立した自動車だよ。


 心的疲労で、ツッコ厶気にもならないけど。


 『大丈夫あたし歩けるから車椅子はかんべんしてぇぇ~』と上ずった叫び声を発しながら、お友達が押す車椅子で保健室まで運ばれていった名取さん。痛み止めを飲んだのか、二時間目が終わる頃にはすっかり元気になって教室に戻ってきた。昼休みにはまた姿が消えたけど、午後の授業には出てきた。

 座りこんじゃうくらいの腹痛から解放されたのはよかったけど。


「『無理をするなと』言った僕の忠告は完全無視ですか。だからどうしてこの駅に自転車を置く必要があるんですか?」


 腹に据えかねた大きな不満と疑問が一つずつ、口からついて出てしまった。言っても無駄だと分っているのに。


「やっだ愚問~。友達と親睦を深めようと思うのは当然のことじゃない。ダイエットもできて、一石二鳥でしょ。無理はしてないからだいじょーぶだいじょーぶ!」


 名取さんは、井戸端会議いどばたかいぎでオバサン達が『やだ奥さ~ん』て笑いながらするように、僕に向かって片手を上下にパタパタさせた。


 そうきたか。なんでもかんでも親睦を深める為、で押し通す気だな。しかも『愚問』だってさ。


 分った。じゃあ、やってみればいい。僕は親睦を深めるつもりも、ダイエットに付き合うつもりもないからね。


「どうぞ。ついてこれるんなら」


 僕は踵を返すと、名取さんを置いていく勢いで駐輪場へと歩いた。


 ファイトは認めるけど。折りたたみ自転車じゃ、まず尾行は無理だよ、名取さん。悪いけど、適当に市中を走り回ってかせて頂きます。

 

 ★


 ――と、考えていたけど、名取さんは意外としぶとかった。

 住宅街を抜けて、両サイドに田畑が広がる農道を長々と走り、ぐるっとUターンしてまた住宅街に戻る道に来てしまった。

 しかも驚くべき事に、斜度一〇%を超えているであろう登り坂でも僕を見失わずついてきている。

 後ろを振り返ると、下り坂の先に上体を大きく左右に揺らしながら折り畳み自転車を漕いでいる名取さんの姿が見えた。


 パンツが見えないようにスカートの下にジャージを履いてきた事については評価したい。けど、女を捨てたのか! ってつっこみたくなるほどの必死の形相と、とめどなく流れ出てきている鼻水は、とってもいただけないよ。


「もう引き返したらー?」


 たまらなくなり、ずっと無視してきた相手ににギブアップを勧めた。

 名取さんは首を大きく横に振る。


「まだまだぁ! まだいける! ばっちこーい!」


 ガラガラ声で叫び返してきた。

 いやもう僕の方がいたたまれないんだよ。頼むから帰ってよ。


 もうすぐ坂道が終わる。ここから先は急な下り坂だ。

 一気に引き離して、脇道にはいって姿をくらまそう。

 そう考えて、ペダルを漕ぐ足に力を込めたその時、後ろでガシャンと金属音がした。

 振り返ると、名取さんが自転車ごと横倒しになっていた。


 あーあ、言わんこっちゃない! 怪我してなきゃいいけど。

 僕は自転車を道の脇に止めた。


「おーい名取さーん。大丈夫ー?」


 のんびり歩きつつ声をかけたけど、返事はない。それどころか、身動きすら見られない。

 これは大変だ! まさかの大怪我!?


 慌てて駆け寄り、名取さんにかぶさっている折り畳み自転車を起こす。

 こんな小さくて軽い自転車一つどかせれないなんて、一体どんな怪我したんだよ!


「名取さん! どこ打った!? どこ折った!?」


 しゃがんで顔をのぞきこむと、目が閉じられていた。全身はだらんと地面に横たわっていて……もしかしてこれ、気絶中!?


 何を置いてもまずは頭部を確認だ。……うん、どこからも出血してない。あの高さから倒れてコンクリートにぶつけていたら、小さな外傷くらいはあるはずだ。それが無いなら多分、頭を打って気を失ったわけじゃない。


「名取さん! 名取! しっかり!」


 抱き起こして、頬を軽く叩いた。でもやっぱり、目は閉じられたまま。

 試しに脈をとってびっくりした。二百近い。

 十六歳の最大心拍数は一分間に二〇四回だっていうのに。こんなの、インターバルトレーニングとかのメチャクチャきつい運動をして到達するかどうかの脈拍数だよ。やばいこれ、どの程度続いてたんだろう。

 脈をとった部分を指先で圧迫して血圧を測ってみた。多分……上は絶対に百いってない。下も五十くらい? ほんとに多分でしかないけど。

 ああもう、僕の脈診の精度はまだ発展途上なんです!


 頻脈に低血圧か。生理中だし、貧血を起こしたのかな。


「しかも、もしかして昼ごはん食べてないじゃ……」


 今日は名取が食べてるところを一度も見ていない。いつもはしょっちゅう何かしらモグモグしてるのに。てっきりダイエットを始めたからだと思っていたけど、もしかしたら腹痛で食べられなかっただけ、とか?

 そうなると、朝ごはんも食べてなかったりして。


 鉄欠乏性貧血。


 そうだよ、絶対そうだ。しかも意識を失うなんて、重度じゃないか。

 どうしよう。救急車は……ここらへんは医師不足だから、救急車を呼んでも下手すりゃ県外の病院まで走らないといけないかも。それなら、真識の村に運んだ方がまだ早いかもしれない。村なら鉄剤打つなり適切な処置が施せるかな。でも、ここから電話をして超特急で駆けつけてもらって、処置が受けられるようになるまでは、おそらく三十分以上の時間がかかる。あああていうか、注射器使える医者か看護師って今、村にいたっけ!?


「そうだ。真利亜まりあさん!」


 真識人の一人、堺真利亜さかいまりあさんの顔が頭に浮かんだ。

 町で整骨院を開業している柔道整復師の女性。僕が学校に下宿先の詳細を届け出なければならなかった時、住所と屋号をかしてくれた人だ。父さんのお弟子さん、誠人まさとさんの奥さんでもある。


 真利亜さんの家なら、ここまで五分かからず来れる距離だ。名取が目覚めないようなら、そのままどっかの病院に運んで、ねじ込んでもらえばいい。

 僕はスラックスのポケットからスマホを取り出すと、電話帳から『堺整骨院』の番号を求めて画面をスクロールした。




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