第25話 ~さてこれからどうしよう~ 愁一郎の語り

 僕は大屋敷に備えられた診察室の隅で、文字通り小さくなっていた。漆喰の壁に背中をくっつけ、両膝を抱えて丸まり自己嫌悪に耐える。


 両膝に顔を埋めている僕には見えないけれど、僕の正面では診察台に寝かされた名取が医療処置を受けている。町の総合病院で働いている真識出身の外科医、達樹たつきさんが駆けつけてくれたからだ。


 僕の救援要請に応えて、すぐに車を飛ばして来てくれた真利亜さん。名取の様子を見るなり、達樹さんに電話をした。


『達樹、今日休みやろ? 今すぐ大屋敷に来てぇな。指示書、書いてほしいねん』


『はあ? 俺さっき当直終わったばっかやで。用事あるんやったら、せめて二、三時間寝てからやなぁ――』


『やかましい! はよ来い!』


 御国言葉おくにことばである関西弁で交わされた二人のやり取りは、真利亜さんの一喝で強制終了された。申し訳ない事に、徹夜明けだったようだ。

 僕らが到着したすぐ後に、眠そうに目をこすりながら現れた達樹さん。けれどちゃんと診察をして、指示書を書くだけでなく処置までしてくれている。


 僕は何をやってたんだろう。自分から名取の不調を指摘して、体調不良の理由も把握しておきながら、ダイエットを中止させずに、あまつさえ長時間自転車を漕がせて坂道まで登らせるなんて。

 療術師の末裔が聞いて呆れる。こんなだから、いまだに独りで仕事任せてもらえないんだ。


 引き戸が開かれる音がして、擦れた足音が診察室に入って来た。族長だ。

 族長のすり足が、僕の左横で停止する。


「友達は連れて来るなと言ったはずじゃが」


 もごもごとした静かな声が、僕の自己嫌悪に拍車をかけた。

「すみません」と膝に顔を埋めたまま謝る。


「族長、この子帰り道で貧血起こしたんです。勘弁したってください」


 真利亜さんの、僕を擁護する言葉が聞こえた。

 いいんです。僕が悪いんです。叱られて当然なんです。


 族長が細いため息をつく。


「治療代は取れそうにないの」


「……僕の給料から引いといて下さい」


 やはり顔を上げられず、同じ姿勢で受け答えした。

 族長はしばらく撲の横で黙って立っていたけど、やがて何も言わず診察室を出ていった。

 診察室の扉が閉まるなり、真利亜さんが「あはは」と笑う。


「そんな落ち込まんでええて! 連れてきたらあかん言うても絶対やないんやし。緊急事態やで。しゃあないしゃあない(仕方がない仕方がない)」


 顔を上げると、日本人形の如く見事な黒髪ストレートの美女が、丸椅子の上で器用に胡坐をかいて僕に微笑みかけていた。真利亜さんはいつでも溌剌としている。


 そうじゃないんです真利亜さん。僕は、自分が情けなくて仕方ないんです。斎藤さんの検査が上手くいって、天狗になってたのかもしれません。鼻っ柱を、拳で叩き折られた気分です。


 と、言いたかったけれど、何だか長々喋る気力もなくて


「撲、調子に乗ってました。恥ずかしいです」


 とだけ呟いた。

 真利亜さんが「ぅふぅん?」と犬が甘えているみたいな声を上げる。これは真利亜さん特有の疑問語だ。


「青少年が何悩んでんのか、うちはよう分らんけどなぁ。達樹なんか生まれた時からずっと調子に乗りっぱなしやで。花粉飛ばした後のつくしんぼみたいなしよってからに、こいつの方がよっぽど恥ずかしいと思わんか?」


「やあどうも! 食べれる草やで☆」


 指をさされ、酷い例えで引き合いに出された達樹さんが、名取の腕に注射を打ちながらペ○ちゃんみたいに舌を出しておどける。


 達樹さんはお調子者だけど、調子に乗ってるわけじゃない。他人を大切にして、ちゃんと気遣いができる人だ。……処置中にふざけるのはどうかと思うけど。


 達樹さんはカラカラ笑いながら、眠っている名取にタオルケットを被せた。


「まあええやんか。悩めるんは若い証拠やで。今のうちにぎょーさん悩んだらええねん」


 背の高い筑紫つくしみたいなオジサンがそう言って、アルカイックに微笑む。窓ガラス越しに背中の後ろで輝く夕陽が、よりムードを盛り上げている。

 しかし達樹さんがカッコつけられたのは束の間だった。


「天性のちゃらんぽらんが、何『良い事言うたった』みたいな顔しとんねん。暑苦しいさかい、わざと夕陽背負うしょうのもやめてや」


 真利亜さんから厳しいツッコミが入り、「バレタか☆」とペ○ちゃん顔に戻ってしまう。

 さすが年季の入った幼馴染。上方かみがたの夫婦漫才でも見てる気分だ。夫婦じゃないけど。


「治療はこれで終わったで、しゅう。腕と膝の擦りキズは洗っといたさかいな。静脈注射も打ったったし、もう大丈夫や。そのうち目ぇ覚めるやろ」


 言いながら、達樹さんがめくり上げていたシャツの袖口を戻す。


「点滴はしたらんのん?」


 真利亜さんが首を傾げる。

 達樹さんは「いらんいらん」と手を振った。


「水分取れてたら十分じゅうぶんや。どうせ今頃族長が、貧血に効くもん何ぞ浅葱に作らせてるやろ。そんでええやん」


 僕は目を瞬いた。


 そうか。族長が。後でちゃんと、お礼言わなきゃ。

 

 真利亜さんが椅子から降りて、「なんやぁこの子、イソギンチャクみたいな頭で可愛いなあ」と名取の寝顔を覗きこんでクスクス笑いはじめる。

 その隣で、達樹さんは大欠伸おおあくびをした。


「ほな俺ちょっと寝て来るさかい。何かあったら起こしてや」


 首や肩をゴキゴキ鳴らしながら、診察室を出ていく。

 真利亜さんが「おおきにな~」と笑顔で手を振り、達樹さんを見送った。


 僕は診察台の上でこんこんと眠る名取を見つめ、途方に暮れていた。


 結局、連れて来ちゃったなあ。さてこれからどうしよう?

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