第23話 ~鋭い谷原クン~ 民子の語り
「ちくしょう、やっぱりだったか……」
あたしは一年生の教室が並ぶ廊下を、ずるずる足を引きずるように歩いていた。目的地は、自分のクラスだ。それで、どこから帰ってきたって、女子トイレだ。
一時間目の途中で『あ』と気付いて、授業が終わってすぐにトイレに駆け込んで確認すると、月のものが来ていた。
この下腹と腰回りの重苦しい感じ。昨日のアイスクリームドカ食いによる痛みじゃないなとは思っていたけどさ。
二カ月ぶりの生理だわ。一回すっ飛ばした分、キツイみたい。
憂鬱だなあ。あたし出血量多いし。しかも今日の四時間目は体育ときたもんだ。
ああしかし、嫌んなっちゃうわ。教室がまだ遥かかなたにある。一組って、トイレから一番遠いんだよなぁ。まるでエベレストの頂上を目指してる気分だわ。
次の授業なんだっけ? 移動じゃないわよね? 移動だったら最悪。
ふらふら廊下を歩いていると、男子の制服を着た菩薩が一体、正面から歩いて来た。谷原クンだ。谷原クンじゃなかったら、ホントに制服を来た菩薩に違いない。
「名取さん、どうした? ゾンビみたいな歩き方して」
あたしの前で立ち止まるなり、眉をひそめた谷原クン。見た目は菩薩でも、たまに悪魔の如く容赦ない発言をする事が分ったよ。しかも絶対、悪意はないのよね、これ。
罪深い人だなあ。
「ゾンビーノ名取と呼んでくれい」
あたしは力なく笑って谷原クンの悪魔の一言を冗談に変えてから、朝の所業を謝る。
「今朝は怒鳴ってごめんね。ちょっとイライラしてて。でも大丈夫。ダイエットはバッチリできるから」
だから一緒に自転車を漕いでくだせえ仏様。と谷原クンに頭を下げてお願いした。
「悪いけど僕の自転車は一人乗りだから」
誠に遺憾ながら、冷静に返された。
一緒に漕いでくれって、そういう意味じゃないでしょうが。がっでむ。
クマンバチの羽音みたいな声で唸ってると、谷原クンが「あのさ」と顔を覗きこんできた。
あたしの目に飛び込んできたのは、ほんの少し真ん中に寄せられた、なだらかな眉。それから、その下にある奥二重の、若干下がり気味になっている目尻。それらがあたしを心配しているように……見えなくもないけど多分あたしの勘違いなんだろうな。
だって谷原クン、見た目と違ってちょっと冷たい所があるし。正直あたしは谷原クンにとって邪魔な人でしかないんだし。お友達なんて上辺だけなんだから――ってダメだわ。ホルモンバランスが崩れているせいか、思考までマイナス方向に
しっかりするんだ自分。ああでも、なんだか泣きそう。マジで泣きたくなってきた。
チョチョ切れそうな涙をせき止めるためには、やっぱりクマンバチの羽音そっくりに唸るしかない。あたしは谷原クンの御尊顔をおがみながら、「あのさ」に対し、「ううう、なんざんしょ」と歯を噛みしめながら応答した。
「無理しない方がいいよ。特に今日みたいな日は」
「うう、今日みたいな日、って、うう、どんな日?」
「名取さん。明らかに調子悪いでしょうが」
「えっ」
うそ。この人ったら、あたしの不調を見抜いてるの? ……まあそうか。ゾンビみたいに歩いてたら普通、調子悪いって思うよね。
お邪魔虫としか思われてないんだろうと考えていただけに、気にかけてもらえるのは嬉しい。けど今は、谷原クンの前で生理による絶不調を認めるわけにはいかんのだよ。
あたしは『痛い』で埋め尽くされているショボイ脳みそで必死に、生理痛に代わる腹痛原因を考えた。
「そんなことないよぉ。あたしは至極健康体でございますよぉ。健康過ぎてちょっと朝ごはん食べ過ぎただけだからぁ、全部出しちゃえば楽になるんだよぉ。だから放課後までには元気になってるからさぁ」
ホントはお腹が痛くて朝ごはん食べられなかったけど。
即席で考えた嘘はバレバレだったみたいで、谷原クンは苦虫を噛みつぶしたような顔を作った。
「どの口が言ってんですか。……生理痛なら保健室で寝かせてもらえるんじゃないの?」
谷原クン、あなたってどうしてそう鋭いかな。しかも、後半少し声量を落としてくれるという気遣いぶり。これまであたしを散々邪険にして、挙句の果てにゾンビ呼ばわりしてきた人と同一人物とは思えない。
あれだね。谷原クンは、人付き合いに関しては実に大雑把だけど、体調に関する事となるとすごく繊細なんだね。これも新しい発見だわ。
忘れないうちにメモしなきゃ。メモ帳メモ帳……確かスカートのポケットに入れてあるはず。
ああでも腹がいたい。もう無理。保健室行こう。ていうか、一回座ろう。
「大丈夫? 名取さん」
廊下の真ん中で座りこんだあたしに、谷原クンが寄り添ってくれた。
ああこの展開はもしや、負んぶとかお姫様だっこですかい? このあたしも、とうとうヒロインポジションに――
「ごめん、誰か車いす持ってきてー」
廊下に響いたヒーロー役の間延びした声と、合理的過ぎる選択が悲しかった。
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