第19話 ~結局こうなるのか~ 浅葱の語り
結局こうなるのか。
俺は壁にもたれると、腕を組んで特大のため息を吐いた。
九割が残された
内分泌腺に問題があるかもしれない、と言われちまったら、どうしようもねえ。
甲状腺に関する知識は本やネットを探せばわんさか出て来るが、それだけで俺に何をどうしろっちゅうんだ。結局、診れる奴の助けが要るんだよ。
俺の専門は食だ。
悔しいが、愁一郎の感覚は悪くねえ。骨格のずれはもとより、気の流れから臓器の不調も感じ取る事が出来る。しかも、常日頃から感覚を磨く努力を怠らねえ。頭蓋骨とか手足といった患者の体の一部分に触れて、筋骨格内臓をすべからく覆う膜の動きを読み取れるし、その動きを読み取る事で、機能障害を起こしている部分を見つけ出せる。あいつの全身は、不調に対するセンサーみたいなもんなんだ。
施術の腕も、修行中とはいえ、まあ一応形にはなってる。継重さんや弟子の誠人さんに比べりゃあ、まだまだ月とすっぽんだけどな。
それにしても遅いな。化粧でもしてんのか?
俺は覗きこむように、階段の上を見上げた。
何やってんだ早く来いよ。族長に見つかったらどうすんだ。
部屋まで急かしに行こうと階段の一段目に左足を乗せたその時、パタパタと足音を鳴らして、ようやく愁一郎が下りてきた。
右肩に折り畳み式の施術ベッドを下げている。
「お待たせ、お待たせ」
「おせえぞボケ。見張ってる身にもなれよ」
ったく、うきうきしやがって。お前に診させるのは、俺は不本意だっつうの。しかもわざわざ、仕事着なんざ着て来てやがるし。
シンプルな白のカットソーと、黒の柔らかいワイドパンツがこいつの仕事スタイルだ。なんでも、これが一番体を締め付けず集中しやすいらしい。他にもこいつは施術中、ヘアゴム以外の余分なものは、一切つけないのが信条だ。少しでも感覚を鈍らせる可能性のあるものは、身につけんのだと。
真識には愁一郎みたいな整体師が数人いるが、そいつらも施術中は結婚指輪を外している。理由は愁一郎と同じで、手の感覚を通じて入ってくる患者の情報が狂いやすいからだ。
まあ俺も極端な話、指や手首にジャラジャラアクセサリーを付けた状態や、スーツ姿で飯を作れと言われたらげんなりするが、ここまで徹底はしていない。セラピストっちゅうのは、面倒な職種だな。
「斎藤さん、目、覚めたかな?」
愁一郎が気遣わしげに訊いてきたので、「知らん」と答えた。起きてたらそれでいいし、寝てても起きてもらうしかない。
もう少ししたら族長が「めし」と食堂に催促しに来る時間だし、俺の母親も風呂の準備やらで、せわしなく一階を走り回り始めるだろう。
今この時間を逃せば、チャンスは明日の夕方まで無い。
早く行くぞと愁一郎を急かし、病室の前に立つ。
ノックをすると、「はい」と声がした。
「浅葱です。今、入って大丈夫ですか」
「は、はい。大丈夫です」
俺の名前を告げた途端、少し声に緊張の色が混じった。もしかしたら、手つかずの飯が下げられているのに気付いたのかもしれない。
「んじゃ失礼します」
扉を開ける。
斎藤さんはテーブルセットの椅子に腰かけていた。
俺らが入るなり、彼女は丁寧に頭を下げた。
「すみませんでした。食事、ほとんど食べずに寝てしまって」
「ああ、いいんすいいんす。食える時に食ってもらえれば」
全然良かないが、相手は患者だ。『お残しすんじゃねえ!』と叱りつけるわけにもいくまい。
俺はさっさと愁一郎の紹介に移った。
今朝に一度顔を合わせていたため、愁一郎を紹介した斎藤さんの反応は穏やかだった。しかし、「こいつは整体ができるんですが、ちょっと診せてやってもらえませんか」ともちかけると、急激に顔色が変わる。
「わ、わたし、その……」
俺と愁一郎から視線を外し、もごもごと口ごもる。やはり族長が言ってた通り、触られる事に抵抗があるようだ。
あ、しまった。愁一郎にゃ、それ言ってなかったわ。俺とした事が。
どうしたもんか。嫌がる理由は分らんが、とにかく無理強いはできん。
整体に何かトラウマがあるのか、もしくは感覚過敏か、それとも潔癖症なのか。理由は色々考えられるが、今日は潔く引き下がって、後日ゆっくり話を聞いてみるべきかと考える。
「整体に嫌な思い出があるんですか?」
と、俺が慎重に思案していたのに、愁一郎が屈託なくのない顔でズバリ聞きやがった。
図星だったらしく、斎藤さんは「うっ」と息をつまらせると、「ごめんなさい」と愁一郎に頭を下げる。
「あなたが嫌というわけじゃないんです。昔、かかった整体でちょっと……」
そうして斎藤さんは、三年前にかかった整体院での体験を話し始めた。
まず、担当になった施術師の手が冷たく、首に触れられた瞬間「ひゃっ」と声が出てしまい、その反応を見た施術師が嫌な顔をした事。
元来自分はあがり症なのだが、その時も緊張してしまい、『力を抜いてくれ』という施術師からの指示に上手く応えられず、施術中に何度も『体に力が入っている』と注意された事。しまいには『力を抜いてくれなければちゃんと施術できない』と怒られた事。
「それからというもの、セラピストの方に触られるのが怖くなっちゃって。お医者さまの触診はギリギリ我慢しているんですが。やっぱりどうしても、触られると体に力が入ってしまうんです」
「「なるほど」」と俺と愁一郎は異口同音で頷いた。
正直それは、整体師の当たりが悪かったとしか言いようがない。
しかし、『あんたに非はありませんよ』となぐさめたり、『その整体師が三流なんスよ!』と無駄に強い正義感で元気づけようとしても、この人のトラウマを取り除く事はできんだろう。
お手上げ。
という言葉が早くも頭の中に出てきた。
無能のレッテルは貼られるかもしれんが、斎藤さんは有給使って治療に来てるからな。ぐずぐずしてる時間はねえ。一度、族長に相談するか。
「おい、愁一郎」
お前は外に出とけ、と言おうとしたその時。愁一郎が動いた。
治療用折り畳みベッドを壁に立てかけた愁一郎は、斎藤さんに歩み寄ると、おもむろに右手を差し出す。
「僕の手は冷たいですか」
どうぞ触って下さい、と言いたげに、差し出した右手を斎藤さんに少し近づけた。
斎藤さんは差し出された手を前に戸惑っていたが、やがてそろそろと、愁一郎の掌に指先を乗せる。
「とてもあたたかい、です」
小さく答えた。
それを聞いた愁一郎が、軽い笑い声を上げる。
「普段はもう少し冷たいですよ。でも、治療しようと思うと自然にあったかくなってくるんです。不思議ですよね」
「はあ」と曖昧に応答しながら、斎藤さんが手を戻す。
まあ、「はあ」としか返しようがないわな。
手に集中すると自然に掌の温度が上がるセラピストは多いらしいが、そんな事この人が知るわけないだろう。
次に愁一郎は、斎藤さんの前で跪いた。看護士が不安がる患者を
「約束します。絶対に、『力を抜け』とは言いません」
それに――と続ける。
「力が入ってるなら入ってるなりの、やりようがありますから」
「「へえ」」
今度は俺と斎藤さんがコーラスした。声色や表情で、お互い感嘆の意味するところが違うのは、明白だ。
斎藤さんは、素直に『感心』。一方俺は、『大きく出たなオイ』だった。
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