第11話 ~不良の恩返しだ~ 木村大輔の語り

『右足痛そうですね。ちょっとさせてもらっていいですか?』


 俺と愁一郎が初めて喋ったのが、体育祭の時だった。あいつは、校舎裏でちょっと休もうと移動していた俺に声をかけてきたんだ。

 正直、びっくりした。隠していたつもりだった右足の不調に気付かれたとか、見るからに大人しそうなあいつが俺みたいなガラの悪い奴に平気なツラして声をかけて来たとか、理由は幾つかあった。

 

『ああ? 誰だお前。気易く話しかけんな』


 足の痛みでイライラしていた事もあって、俺は無駄にガンをたれて、俺の足を見せろと言って来たあいつを脅した。

 大抵の奴は、俺がちょっと睨んですごんでやれば、すたこら逃げてゆく。しかしあいつは、少しも動じていない様子で『一年の谷原愁一郎といいます』と自己紹介した。そして、俺がリレーで派手に転んだ直後から、右足首の不調を抱えている事を言い当てた。


『一〇分……いや、五分でもいいんで、ちょっとそこに座って靴と靴下脱いで足を診せて下さい』


 悪いようにはしませんから。


 愁一朗はそう言って、自信ありげに微笑んだんだ。



「ホントに五分で捻挫治したんだよな……。医者行く必要がなくなったくらいに」


 体育祭での一幕を思い出しつつ、俺は一人、屋上の手すりに前のめりにもたれながら、ぼそりと呟いた。

 屋上には俺以外に誰もいない。普段は出入り口にカギがかかっているからだ。俺にとってはあんな南錠前、門扉のレバーと大差ない。クリップ一つありゃ速攻で開けられる。

 お陰で俺はこうやって一人でゆっくり、昼休みに教師や生徒が下界でうろちょろしてるのを見下ろしながら、紙パックのカフェ・オ・レを飲めるわけだ。

 これぞ、神の如き優雅な時間。


 ズズズと甘ったるい液体を最後まで吸い上げながら、履き古した右上履きのつま先で、トントンと床を蹴った。


 あれから二週間以上経ったが、捻挫の影響は全くない。それどころか、捻挫前より調子がよかった。

 実を言うと、俺の右足は捻挫を繰り返していた。クセみたいになってたんだ。普段から何となくバランスが悪いような気がしていたし、痛みが引いても違和感が残るのはいつもの事だった。


 当日病欠した女子のせいで、半ば無理やり走らされたクラス対抗リレー。しかも隣の野郎が、こっそり足を引っ掛けて来やがったもんだから、俺は砂埃が上がるくらい豪快に転げた。まあ俺にちょっかいかけたその陸上部員は、後日ボコボコにしてやったんだが。


 あの時医者に行っていたら、いつもと同じように包帯やテーピングででぐるぐる巻きにされていた事だろう。それをあいつは、固定も圧迫も、もう必要ないと言った。

 あいつがやった事といえば、さっと指先や掌で右足を触った後に、両手で踵と脚先を掴んで大して動かしもせずじっとしていたくらいだ。ただ、何やらえらく集中していたようだったが。


『捻挫だろうし、防御反応は解いて関節も元に戻したんで。今から膜で締めますから、それで安定するはずです』


 愁一郎は『膜』とやらで俺の右足首を一分ほどかけて締めたあと、両手を離した。あとはただ冷やしとけばいい、と言って治療は終わり。


 今まで何度も整形外科で世話になってきたが、『膜で締める』なんてキテレツな事をぬかす奴は、医者にも整体師にもいなかった。

 けれど実際あいつが治療した後は、痛みも随分やわらいだし、腫れも引いた。ぐらついていた右足もしっかりふんばれた。

 

「マジで変な奴だよなぁ。肋骨骨折もぱっと見ただけで当てやがるし――あ」


 噂をすれば、愁一郎だ。花壇の前を歩いてる。体操服姿だな。五時間目は体育か。ご苦労なこった。

 まあ俺は、今日はもうフケるつもりだけどな。大して暑くねえし、ここで昼寝でもしてっかな。

 生徒指導の奴らをおちょくるにしても、まだちょっと肋骨が痛ぇから、今日はやめとこう。いい加減、オフクロの堪忍袋の緒も切れそうになってる事だし。大人しくているほうが良いだろう。

 

 ありがとうな、愁一郎。お前の治療で俺は、二階の窓から飛び降りても受け身の必要がないくらい強靭な脚を手に入れたんだぜ。おかげで、教師をくのが面白くって仕方がねえわ。


 まあ俺は義理がたい男だから、そのうち礼をするつもりだが。


「ん?」


 後ろから愁一郎を追いかける、見慣れた丸いフォルムを発見する。

 女子だな。多分女子だ。熊じゃなかったら名取民子だ。


 ったく、あのクルクルブタ眼鏡。まだ愁一郎のおっかけしてやがんのか。明らか迷惑がられてんの分ってるクセしてよ。しょうがねえ奴だな。

 しつけーのは男でも女でも嫌われんだぞ。


 あ~あぁ……。ド近眼だか乱視だか知らねえが、眼鏡かけてるくせして相手の顔が見えねえのかよアイツは。愁一郎の顔面、引きつりまくってんぞ。


 お、そうだ。

 ここは俺が一肌脱いで、あのクルクル眼鏡を退散させてやるとするか。


 不良の恩返しの始まりだ。


 俺は下界の子ブタに雷を落とすべく、深く息を吸い込んだ。まあ、肋骨が痛まない範囲でだが。

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