第2話 ~闘いの幕開け~ 民子の語り

「ええ? 取材? やだよ」


 そんな露骨に嫌がらなくても……。


 あたしは、あたしに向かって両掌を向けてガードする谷原クンの机の前で、ペンとメモ帳を手に作り笑いをひきつらせた。でも、この程度で引き下がるような弱っちい根性じゃ、新聞部ではやってけない。

 ファイト! と心の中で自分にエールを送る。


 近くで見て初めて気付いたけど、谷原クンは凄く優しい顔をしている人だった。

 邪気が無いっていうか、ほとけみたい。

 あ、仏ていっても、大仏みたいなずんぐり丸顔じゃなくて、ナントカ如来っていう比較的華奢で面長の方だけど。ずんぐり丸顔は、むしろあたしだね。 


 あたしは谷原クンの中身が見た目どおりであることを願いながら、手を合わして懇願した。別に彼が仏像っぽいからじゃない。


「お願いします! どうかこの通り。お供えははずむから!」


 いや、やっぱ外見が手を合わさせたのかも。最後の失言は、ホントありえない。


「お供え?」


 案の定、谷原クンは眉をひそめた。


「ああ、間違えちゃった。お礼ね、お礼。お礼って言いたかったのよ。あたし、信心深いから言い間違えちゃった。でへへ」


 即興で考えたこの言い訳も、苦しい事この上ない。私の信仰心なんて平均的な日本人以下かもしれないのに。しかもこれは、学年トップクラスの成績を誇る谷原クン相手には、墓穴を掘ったにも等しい弁解だった。


「名取さんちって、何教?」


「え? 仏教だよ」


「何宗?」


「……浄土宗?」


「そう。浄土宗の何派?」


「何ハ?……は、って?」


 何かの必殺技? 

 あたしが気砲のポーズをとると、谷原クンが「ちがうちがう」と首を横に振った。


「じゃあさ、名取さん。本山はどこ?」


「ほんざん!?」


 なんじゃそりゃ。


「信心深い割には自分が属してる教団も本山も知らないって、変わってるね」


 浄土宗が幾つかの教団に分かれている事や、その教団を代表する寺があってそれを本山と呼ぶなんていう知識なんざ無かったあたしは、完全にどツボにはまってしまった。いや、はめられたのかな。


 谷原愁一郎、恐るべし。もう、あたしのような凡俗には、正直に謝るしか道は残されていない。


「ごめんなさい。谷原クンがいつぞや見た如来像に似てたから、つい、『お供え』という単語が口からついて出ました」


「僕はどっちかってゆーと母親似だよ。母さんの顔がそんな有難い物体に見えたことはないけど」


 笑いもしないし怒りもしない。ナチュラルにクールな人なんだね、谷原クン。正直あたしゃ今、すごく対応に困ってるよ。……まあいいや。とりあえず笑っとこう。


 有難い事に谷原クンは、いつまでたっても立ち去らずに目の前でだらしなく笑ってるあたしを追っ払おうとはしなかった。机の中から筆記用具を取り出しながら、会話を続けてくれる。


「さっき浄土宗って言ってたけど、浄土宗の教団は西山深草派と西山禅林寺派と西山浄土宗派の三つがあるんだ。名取さんの家もそのどれかに属してるはずだよ。三つとも本山は京都にあるんだけど、行った事ない?」


 あたしは腕を組んで考えた。お墓は近くのお寺にあるから時々掃除に行くけど、家族で京都のお寺に行った記憶は……あー、あった。あったわ。


「そういえば、おじいちゃんの三回忌で京都の誓願寺せいがんじってとこに行ったかな」


 中学生の時だ。新京極のど真ん中にあったお寺だったから、よく覚えている。


「じゃ、西山深草派だね」


 言いながら、谷原クンが世界史Ⅰの教科書を片手に立ち上がった。そうか~。ウチは西山深草派だったのか。へえ~、やっぱ物知りだな、谷原クンは。


「勉強になりました。ありがとう」


「どういたしまして」


 深々と礼をしたあたしに、谷原クンもぺこりと頭をさげて教室を出て行った。数秒後、まんまと話を逸らされ逃げられたと気付いたあたしは、慌ててターゲットを追いかける。


「お願いだから取材させてもらえないかなぁ。好きな食べ物とか、趣味とか、そういったプロフィール的なヤツでもいいからさぁ」


 勿論、プロフィールだけで終わるつもりはサラサラ無い。つっこんで訊きたい事は山ほどあるし、そこが真髄なのだから。でも、今それを彼に望めば絶対にOKしてくれない。だからプロフィールから始めて、少しずつ要求を大きくしていくつもりなのだ。

 ちなみにこれは、フット・イン・ザ・ドア・テクニックと呼ばれている説得の三大テクニックのうちの一つだ。小さな要求から始め、最後には真の大きな目的である要求を相手に求めて応じさせるという方法。人は「自分は一貫性のある人間だ」と見られたがっているらしくて、一度、最初の極簡単な要求に応じてしまえば、連続する後から求められる要求にも断りにくくなって応じてしまいやすいらしい。馬鹿みたいだけど、これが今までの取材交渉で結構役に立っていた。

 だけどあたしは、次の谷原クンの言葉で、重大なミスを犯していた事に気付かされる。


「お供えはいらないから、別の人を取材してよ」


 しまった! とあたしは額を打った。

 この説得法の注意点は、小さな要求と本来目的とする大きな要求に差がありすぎないように、段階を踏む事。それから、最初の行動に、お金の報酬は与えない事だ。報酬を与えると、「買収された」という印象を与えてしまうから。あたしは、お金ではないが、最初に取材の見返りとして報酬を提案してしまっていた。


 フット・イン・ザ・ドア、破れたり。


 くっそう。いつもならこんな馬鹿なミスはしないのに。緊張して焦ってしまったせいだ。

 悔しさのあまり、地団駄を踏んでしまう。


 そんなあたしに、谷原クンは驚くべき真実を告げてくれた。


「名取さん、とりあえず、早く準備したほうがいいんじゃない? 次の授業、視聴覚室だよ」


「え! ホント!?」


 急いでポケットからスマホを取り出し確認すると、休憩時間は残り二分だった。気付けばみんな、教科書片手に教室を出てしまっている。教室にはもう誰も残っていない。


「待ってて! すぐ準備するから!」


「やだよ。遅刻するもん」


 急いで教室に戻る私の背中に、谷原クンの一言が冷たかった。


 これが、私の記念すべき谷原愁一郎の取材の一日目の始まり。

 まあ、惨敗と言っていいけど、勝負はまだまだこれからなのよ。ホラ、値切り術でも言うじゃない。『お客さんもう帰ってよ』って言われたからが勝負だって。だったらあたしの勝負は、始まってもいないのだ。ふはははは!


――あ、チャイムが。



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