第6話 【番外】先輩概念と自語りする伊草

今回は先輩方の紹介ではなくて、書き主の伊草いぐさの自語り回です。

そこは別にいいや、という方は飛ばしたって下さいませ。


■A

久々に先輩の記事をお二人分ほど書かせて頂いたのだけれど、まつわってのやり取りで「先輩呼びなのナンデ」みたいなお言葉を頂いた。

そのことから筆を起こそうと思う。


といっても何のことはなくって、単に「真似出来ないとかすごいなと思うところのある方は皆先輩」だと思っているだけのことだ。


既出の先輩方を振り返ると、


・月子先輩

独特の創作インターフェース(ゲームの枠組みでお話のニュアンスや空気感、リアリティラインが浮かぶ)や、絡んでかはわからないけれど「あ、これ月子先輩が書いてるな」とわかる作画のいい感じ(特にヒロインの魅力周りによく出る気がしている)。対象年齢高め(大人層も読むような)の少女漫画みたいな、見ればこの人だとわかる絵柄がありつつその絵柄じゃないとやれないデフォルメや間の取り方の中に魅力がにじんでいるタイプ


・石岡パイセン

腹筋を的確にえぐってくる弾数無限のギャグ(これが希少な素質であることは既に書いた)が実現するテンポの早さと異様な親しみ、ひいては物語に“肩入れしたくさせられる”引力。

あとそれでいてきちんと大筋が持つ味でも殴ってくるところ。例えば「溺愛がイイのはここだよね」みたいなことをわかってボコボコにしに来る。需要への応答がストレートにあって、ヒットする層が広いのが特に眩しい。狙って実現してるのかナチュラルな持ち物かはわからないけれど


・秋島セパーイ

実生活リアルにガッと潜って採って来る必要があるコミュニケーション系素材をふんだんに使いつつ、お話特有の非現実的な美味しさも遠慮なく盛り込んでくる両立ぶり。「全部このタイプの話で揃えた雑誌はものすごい凹凸経過を辿って売れて刊行停止する」と書いたけれど、それはこの両立がまとう一種の生鮮具合に大きく依る。

この生鮮具合は「あるある(自分ではこれ言語化はできないけど、あるある)」を読者に呼び起こすので、「ユニークすぎて正直電波ついていけない、独りよがり」というダメ個性パターンを軽やかに越えていく力になっている。これはこれでダメ個性パターンに陥らないよう独特の留意が必要なのかもしれないのだけれど、青く見えない芝生であるわけはそりゃあない


・鐘古大姐ダージエ

ひとえに書かれるものの完成度。

負荷なく没入していける構成、紙幅を取らず特徴が伝わる抑制の効いた修飾、なめらかに物語に引き込む文体と語り、印象的なフレーズの際立ち具合、単純に素点でもう勝てない


と、ざっくりこんな感じだ。

口舌の長さばかりが信憑性ではないけれど、とりあえず「こんだけ喋っといてまるっきりでまかせってことも(まあ)あんめえ」くらいには伝わったと思う。


つまり、どの方のことも本当に先輩だと感じているのだ。

思っている、というより、感じている。「熱そうだな」じゃなくて「あぢっ」って具合に。



■B

誰にも強み弱みというのがあるなら、自分の強みはその「あぢっ」を理屈というより感覚で覚えているところなのだと思う。

人より出来が悪かったけれど、優しく育ててもらった。痛い目に当社比遭わなかったから、のんきに「すごいですね!」なんて言えるようになったのかもしれない。

皆それぞれにすごく見えるから、「人間っていうのは割とよくすごいもんなんだな」と思う。ひるがえって、自分のことも結構無邪気に肯定したりする。頭におはなが咲いている。


世間に出たらさすがにちょっとは変形した(出来の悪さを急いで埋めたら反動が出た)。

のだけれど、三つ子の魂百までのことわざ通り、「あぢっ」の神経自体は良きにつけ悪しきにつけ残った。


仕事では「おべっか(ではないのだが)ばかり上手くてもねえ」となることが多くて悲しかった一方、カクヨムに来たら、それがいい点としても見てもらえるようになった。

小説を通して人の美点に触れるというのは、比較的人に受け入れてもらいやすい尊敬表明の仕方なのかもしれない(小説を書いている人たちの特性とかなのかもしれないけれど、見分けはつかない)。


それともう一つ良かったのは、「あぢっ」が書くネタにもなると気付けたことだ。

「あぢっ」は、最近では、「まぶしい」と言い換えられることが多くなった。


そんな出発点と、変化を経て書いているのが、このごろの長編ということになる。



■オチ

今書いている作品は、一年前にカクヨムで公開したもののリメイク版。

リメイク版といっても、結構いろいろ手が入ってしまっている。

ヒロインは性格も名前も違うし、大筋も最初とラスト以外は一から組み直し。

設定も眼鏡がある時とない時の視力検査ぐらい変わった。


でも、根っこのところは同じまま。

書きたいものが古いバージョンで全然書けなかったからかもしれないし、別に特に関係なく、伊草が一生同じネタを擦り続けるタイプなだけという可能性もある。


ただいずれにしても、書きたいと思って書いているのは間違いない。

「眩しい」という感慨にまつわるあれこれは、文字通り感覚のレベルで伊草には「グッとくる」ようなものだから。

書いてて、いいとこまで行ったら泣いたりし始めちゃうような感じの……。


この感じ、皆様にはどんなふうに、どれだけ伝わるでしょうか。わけわからんかな……。


よかったらぜひ、感想お聞かせくだせえです。


識域のホロウライト

https://kakuyomu.jp/works/16817330664680366899

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