第5話 去りゆく冬の寒さと鐘古先輩

■A

自分の経験値不足というやつに、ふと思いを馳せることがある。

結構時間をかけて必死にやってきたつもりだけれど、「書き終えた長編の数は? オリジナル作品の数でもいいけど」と聞かれると何ともつらい。


長編をずっと書きたくて、トライしては失敗、を繰り返していた時期が長かった。

これまでに書き終えた長編は三本。合計字数は五~六〇万字くらいのはずだけれど、本数で言うとそれだけだ。


公募勢としては何とも少ないと思うし、勝手に師と仰いでいる遊び仲間のラノベ作家は以前「ピリオドを打った数は代えがたい経験値だと思う」と言っていた。

どう根を詰めて、熱を入れてやっても、作品をもっと、何本も書いていく中でしか得られないあれこれはあるはずだ。皆そう言うし、自分でもそうだと感じる。


じゃあ、そうすることで得られるものとは何なのだろう?


人によって違いはありつつ、ある程度は共通するところがあるように思う。

ポーカーで、作ろうと目指すハンドがそれぞれ異なる時でも、立ち回りの根本には相通じるところが常にあるように。


今回、瞬間的な暖かさの向こうから戻ってきた冬のかんを迎えつつ思ったのは、“それ”のことだった。



■B

鐘古かねここよみ先輩には、こちらばかりがかなりお世話になっていると思う。

何しろ、接点が一万字にも満たない読み切りの作品一本だ。

どこで出会ったのかは忘れてしまったけれど、僕がそれを読み、感想を書いたのが交流の始まりだったように記憶している。


「桜 in space」と言って、素敵な作品なのだけれど、今回の本題とは違うので直リンクは避ける。

勘所は、短編一本を読んだきりの身の上だった僕の長編をラストまでめくって下さった、経験豊富な書き手さんこそが鐘古さんだった、という点だ。


色々あって僕が以前のアカウントをたたむ直前のことで、それこそ何の益にもならないのに、つたない長編の感想を伝えて下さったのだった。

復帰してご挨拶に伺った後、今に至るまでもお世話になり続けている。


年かさもない身の上の僕にせいぜいわかるのは、鐘古先輩は色々な意味で経験を持っていて、それをもって豊かに書いたり読んだりされているようだということだけだ。


才覚は、大きいほど磨ききるまでに多くの努力を要すると教わった。

鐘古さんのそれは、どれだけ大きいのか、頭打ちの天井レベルキャップまであとどれほどなのか。

僕にはわからない。わかるのは、現時点の鐘古先輩が、僕と比べてただ大きい樹か海のようである、という一点だけだ。



■レビュー

そんな鐘古先輩の代表作を拝読したので、及ばぬながらレビューを書いた。


「心が冷えかけた時に読めますように」

https://kakuyomu.jp/works/16817330667769823629/reviews/16818023214050314136

(『石炭とブランデー』へのレビュー)


おや、と思われたら冬が「またね」と去ってしまう前にぜひ。

こごえるような夜のあたたかい部屋でだけ味わえる楽しみもあると思うので。

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