第75話 佐伯鷹臣 15


 「なんだか変なことになってるみたいね」と、電話を終えた冬湖とうこが呟く。


「変なこと? 何かあったんですか?」

奥戸おくど君がを書き始めたらしいの」


 そう言いながら冬湖とうこ鷹臣たかおみの隣に移動し、携帯電話の写真フォルダを見せる。


 そこには「はじめに」という言葉から始まり、「私は今、この文章を書きながら震えている。あまりにもおぞましく淫靡いんびであり、凄惨せいさんを極めた事件の顛末。書くことも躊躇われ、一文字刻むごとに暗澹あんたんたる思いに駆られる。伽藍胴がらんどう殺人事件──」と、ノートパソコンに打ち込まれた文字を撮影した画像が映し出されていた。


「これは?」

奥戸おくど君が書いた文章ね。駿我するがについて聴取に行った警察官が撮影したものよ」

雪人ゆきひとが?」

「ええ。まるでに取り憑かれたように書き始めたと言っていたわ。うわ言のように『女が……後ろに女がいる……』とも言っていたようね。伽藍の悪魔のことかしら?」


 「どういうことだ……?」と、鷹臣たかおみが考え込む。


「第四保菌者となっていた駿我するがと性交渉した雪人ゆきひとは第三保菌者……つまり伽藍の悪魔の影響は受けるが、行動を操られる段階ではない……そもそもなんのためにそんな文章を……?」

「それに関してなんだけど、ちょっと私の考えを聞いて貰ってもいいかしら?」

「なんでしょう?」

鷹臣たかおみ君は少しかっちり考え過ぎなんじゃないかしら? どんなことであれ、多少の誤差はあるものよ? 薬物だって効果の出方に個人差はあるし、伽藍の悪魔の感染段階による影響も、個人差があるんじゃないかしら? だって鷹臣たかおみ君は耐性があるでしょう? そんな感じで影響を受けやすい人もいるんじゃないかしら? まあ操られたのだとして……なんでこんな文章を書き始めたのかは私には分からないけれど……」


 「個人差……」と、鷹臣たかおみが噛み締めるように呟く。


「……それもそうですね。確かに僕はかっちり考え過ぎる癖がある。感染段階も空っぽの私たちを読んだ上での判断ですし、作中明言されていない様々な要素もあるのかもしれない。それに……」


 「影響を受けやすいという言葉は雪人ゆきひとにしっくりきますしね。本当に雪人ゆきひとは手のかかる友人ですよ──」と、鷹臣たかおみが微笑む。その笑顔を見た冬湖とうこが、「もしかして私……奥戸おくど君に勝てない……?」と呟いたが、鷹臣たかおみは考えに集中しているようで、聞こえなかったようだ。代わりに倫正みちまさが同情の視線を冬湖とうこに向けた後で、「そういえば──」と話し始める。


「昨日の墓参りの帰りから、雪人ゆきひとがしきりに背後を気にしていた……ような気がする」

「墓参りの帰りに?」

「ああ。雪人ゆきひとが『お墓には一人で行きたい』と言ったので、私は墓地の入口に停めた車の中で待っていたんだが、戻ってきた雪人ゆきひとが背後を気にしていたようでな。そういえば『倫正みちまさは何か聞こえない?』とも聞かれた」

「……墓参りは昨日の夕方でしたよね? 僕に対する伽藍の悪魔の影響力が強まったのも昨日の夕方……お墓で何かあったということでしょうか……」

「すまん。こんなことなら墓まで一緒に行けばよかったな」

「いえ。雪人ゆきひとが一人で行きたいと言ったなら仕方ないですよ。それより──」


 「冬湖とうこさん」と、鷹臣たかおみが冬湖に視線をやる。


「墓地を訪れた人を調べることは出来ますか?」

「ええ。確かあそこの墓地は監視カメラがあったはずよ。すぐに調べるわね」


 そう言って冬湖とうこ鷹臣たかおみに唇を重ね、「鍵はいつものところでいいわ」と、有無を言わさず外に出て行った。


冬湖とうこさんは相変わらず即行動ですね」

「やれやれ……もはや見慣れたせいで、何も言いたくもないが……」


 「そういうことは人前でするな」と、倫正みちまさ鷹臣たかおみを睨む。


「すみません。伽藍の悪魔の影響で、欲に流されてしまうんです。ですが……やはり個人差はあるようですね。倫正みちまさはおそらく第一保菌者。第一保菌者の時点でも欲を刺激される。ヘビースモーカーの倫正みちまさが、よく煙草を我慢出来ていますね?」

「すまんが鷹臣たかおみ……」

「なんでしょう?」

「いったん外に出ないか? 自動販売機の横に灰皿があっただろう?」


 「言ったそばからこれですか」と鷹臣たかおみが微笑み、「いいですよ」と、二人で外へと出た。




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