第67話 佐伯鷹臣 7


 およそ人とは思えぬ、駿我するがの歪んだ笑顔。血走った目は見開かれ、片方の口角が吊り上がって不気味な笑い声を漏らす。少しも先を見通すことが出来ない闇の只中で、駿我するがの顔がはっきりと見えるのは──


 横を向いた鷹臣たかおみの眼前、十センチにも満たない距離に、駿我するがの顔があるからである。ぁはァ──と、漏れた息とも笑い声ともとれる不快な音。


 駿我するがのあまりの変貌ぶりに、鷹臣たかおみが硬直していると、駿我するがの耳元でが蠢く。それは薄ぼんやりと闇に溶け、だが確かに駿我するがの耳元で蠢いている。鷹臣たかおみが硬直したまま駿我するがの耳元を凝視していると、暗闇に目が慣れてきたのか、朧気なが闇に浮かぶ。


 にぃ──


 と、が笑った。体の奥底から震えるような、悪意しか感じられないいやらしい笑顔。いやらしい笑顔を顔に貼り付けたまま、駿我するがの耳元でぼそぼそと何事かを囁く。


 目が合った。


 と目が合ってしまった。鷹臣たかおみと目が合うと、更に目を細めて口角を吊り上げ、不気味に笑う。


 死ね……死ね……死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……みんな死ね……あはぁ? 死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいいぃぃイィぃぃぃいぃぃぃイぃィぃぃぃぃいいぃぃィィィィィぃぃぃぃイぃぃイィぃぃぃぃぃぃぃッ!!


 駿我するがの耳元で囁き、叫ぶ。口は裂けんばかりに開かれ、ぐりんと白目を剥く。それと同時、鷹臣たかおみの耳元でも──


 死ね……死ね……死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……みんな死ね……あはぁ? 殺そ? 犯そ? 刺して抉って削いで剥いて刻んで千切って落とし……落と落ととととと……あはぁ?


 と、が囁く。の囁きは執拗で、誰の中にでもある暗い感情にずぶずぶと侵入してくるような感覚がする。


 これを聞いていてはダメだ──


 頭がおかしくなってしまう──


 身の危険を感じた鷹臣たかおみが、その場を離れようとして──


「あぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 ごきんっ──と、鷹臣たかおみの左肩の関節が外された。見れば駿我するが鷹臣たかおみの腕を掴んでいて、およそ人間とは思えない力で捻り上げていた。鷹臣たかおみはあまりの激痛でその場に膝から崩れ落ち、手からこぼれ落ちた携帯電話の灯りが、螺旋階段を照らす。鷹臣たかおみの左肩を襲う経験したことのない、耐え難い痛み。尚も駿我するが鷹臣たかおみの腕を捻り上げ──


 めしめし──


 鷹臣たかおみの肩からは嫌な音が響き、口からは絶叫が溢れる。そんな鷹臣たかおみの目の前に、ひたり──と、螺旋階段をゆっくりと降りてくる仄白い足が映る。仄白い足はひたり──ひたり──と、階段を一段ずつゆっくりと降り──


 なんで……


 まるで生気の感じられない、女性の声が響く。


 なんで……


 なんで……なんで……


 なんでェぇええぇぇエェ落としたぁぁァのぉぉおォォぉぉオぉぉオぉぉぉおォォおぉぉォォォぉぉおぉぉぉォオッ!!


 と、仄白い足のが唐突に叫び、螺旋階段の柵に顔を押し付けて鷹臣たかおみを睨む。長い黒髪がばさりと顔にかかり、髪の隙間から覗く見開かれた血走った目。その顔が鷹臣たかおみが落とした携帯電話の灯りに照らされ──


 狂えばいい……


 狂え……


 狂え……狂え……


 狂えぇェぇえエぇぇェぇええぇぇエェェエエぇぇえぇェぇええぇぇエェェエエぇえぇぇッ!!


 柵に押し付けられた顔は醜く歪み、凄まじい形相で叫ぶ。そのままは顔を柵に押し付けたまま、ずるずると階段を降りてくる。


 このままでは殺される──


 そう思った鷹臣たかおみが、左肩の痛みを堪えながら「あなたは誰なんですか!? なぜ僕は殺されそうになっているんですか!?」と叫ぶ。すると階段を降りるがぴたりと動きを止め、じぃ──と、鷹臣たかおみを見つめる。


 狂わないあなたが悪いの……


 みんなみんな狂うのに……


 なんで? なんでなんで? ねぇ……


 なんで? ね? 約束しよ? ね? 約束を破ったらもっともっとに入れるから……ね? 私と……ね? 約束……ね?


 と、鷹臣たかおみに問いかける。

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