伽藍胴殺人事件side雅隆/全16話

第42話 駿我雅隆 1

 ──二〇一六年十月、群馬


「くそっ! どこからだ!? どこから狂ったんだ!?」


 駿我雅隆するがまさたか──新人作家桜子おうこの担当編集が、頭を抱えながら叫ぶ。雅隆まさたかを知る者からすれば、信じられない光景だろう。


 雅隆まさたかはどんな時でも自分のスタイルを崩さない。どれだけ危機的状況に陥ろうと、決してその表情が曇ることはない。


 その切れ長の目は、全てを俯瞰するように見透かしているようであり──


 その薄い唇から紡がれる言の葉は、柔らかくも自信に満ちている。


 整っているという表現がしっくりくるだろうか、雅隆まさたかはその美しく整った容姿のみならず、精神面も絶対に揺るがない整いを見せていた。


 その雅隆まさたかが頭を抱えながら叫んでいるのだから、尋常ならざるが起きているのであろうことは明白だ。


「だめだ……だめだだめだだめ……」


 と、頭をがしがしと掻き毟り、眼前の美しく整ったテーブルに拳を叩き付ける。


 何度も何度も叩き付け、拳に看過できない程の痛みが走った。目の前に拳を持ってきて開けば、小指が真っ赤に腫れ上がっている。


「あぁあぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 腹の底、心の底からの叫びが整った室内に響き渡る。無機質な室内。無駄なものが一切存在せず、生活感の欠片も感じられない室内。むしろ整い過ぎているが故に、この室内で人は正気を保っていられるのだろうかとさえ思ってしまう。


 今この室内で整っていないのは……


 雅隆まさたかだけだ。


 雅隆まさたかは必死に考えを巡らせる。何故これほどまでに自分が追い詰められているのか。作家の桜子おうこと出会ってしまったからか? それとも桜子おうこの連れてきた鷹臣たかおみに出会ってしまったからか? と必死に原因を探る。


 あの二人に出会うまでは全てが整っていたはずだ。いや、やはりではなくだ。桜子おうこに出会うまでは整っていたはずなのだと思い至り、雅隆まさたかの口からは力無く「くそ……桜子おうこ先生……」と、弱々しい言葉が漏れ出る。


 そう、雅隆まさたかは完璧に全てを整わせていた。類稀たぐいまれなる知能と整った容姿で生まれ、これがに生まれてさえいれば、素晴らしい才能として雅隆まさたかの人生を彩らせただろう。


 だが雅隆まさたかの両親は違った。その天使のような見た目に最初こそ惜しみのない愛情を注いだが……


 怖くなってきたのだ。言葉を覚えるのが異常に早く、三歳時点で豊富な語彙を理解し、まるで大人のように理論的に話し始めた息子の雅隆まさたかを。それだけなら「うちの子は天才だ!」と、なりそうなものだが……


 雅隆まさたかの父と母は異常だったのだ。父は性的に倒錯しており、母は性依存。お互いに不倫をしており、それがもたらす家庭内の違和感を、、恐怖を覚えたのである。


 そういった指摘するような言動が始まったのは雅隆まさたかが五歳の時だった。「お父さん、旅行中の話に矛盾があるよ」「お母さん、お母さんは嘘をく時に親指の爪と中指の爪をカチカチさせるね」「お父さん、なんで人が血を流しているのを嬉しそうに見ているの? 誤魔化すためによく顔を抑えるよね」「お母さん、お母さんは友達に会う日に規則性があるよね。お腹痛い日があるのと関係がありそうだけど」「お父さん、僕のこと好き? 僕の理解している好きとは違う気がするのは気の所為?」「お母さん、今日は違う友達と会ってきた? いつもより疲れてるみたいだけど、運動仲間? 腰痛いの?」と、次々に両親が隠したい事実に触れる言葉を紡いでいった。


 もちろんその言葉に悪気は無い。両親を観察し、思った言葉を他意もなく発していただけ。だが両親はそんな息子に恐怖を覚えた。もしかすればの事実を知った上で、意地悪く遠回しに指摘しているのではないかと。そんな日々が積み重なり、遂には息子をまるで悪魔を見るかのような目で見始めた。


 雅隆まさたかはその視線も敏感に感じ取り、両親に愛されていないのではないかと思い始める。両親の不仲。愛されない自分。それは何故なのかと、必死に考えた。そんな中、そういえば──と、あることに思い至る。


 父が大切なを隠している金庫。雅隆まさたかは父の視線や動きから、とても重要なが入っていると察していた。また、父の不在時、母が何度か開けようとしているのを目撃したことがある。母が父に依存していることは知っていた。だが父はあまり母の相手をせず、母が寂しい気持ちになっていることも察していた。


 金庫を開けようとしている母を見た雅隆まさたかは、、と思う。


 雅隆まさたかは賢くはあったが、まだそういった子供らしい考え方も持ち合わせていた。母はただただ依存心から父の全てを知りたかった、もしくは金庫の中に浮気の証拠でも入っているのではないかと、開けようとしていただけなのだが……


 幼いが故に、雅隆まさたかはそういった考えには至れなかったのだ。テレビや辞書などで不倫や浮気などという言葉を知ってはいたが、を自分の両親がしているなどとは欠片も思わない。

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