第41話 幕間 3


「な、なんだよ。そんなに見つめるなよ……」


 鷹臣たかおみに見つめられた私は、正直ドキッとしていた。薬物のせいだったと思いたいが、私は駿我するがに監禁されている間、鷹臣たかおみに特別な感情を抱いていた。いや、薬物が抜けてきた今でもドキッとするということは、もしかすれば私は……


 そんな見つめられて焦る私に、鷹臣たかおみが「気付きませんか?」と、問いかける。


「え? な、何にだ?」

雪人ゆきひとは今、に促されるまま、伽藍胴殺人事件についての文章を書いている。ここまで書いて、に気付きませんか?」


 確かに私もこの伽藍胴殺人事件には、少なからず違和感を覚えている。それが何なのかははっきり分からないが……


「なるほど。やはり情報量が多すぎて整理出来ていないようですね。中not悪魔の日記や駿我杏香するがきょうかの手記を見たなら気付いたと思ったんですが……」

「なんだ? どういうことだ?」

「この事件にはまだんですよ」

「真実……? ……悪い鷹臣たかおみ。全然分からない。何が言いたいんだ?」


 私のその問いかけに、鷹臣たかおみが優しく微笑む。


「まあ……とりあえずは雪人ゆきひとが今書いている文章を終わらせてからにしましょうか」

「なんでだよ。何か知っているなら勿体ぶらずに教えろよ」

「いやいや、今はそのタイミングではない。気付いていますか? 雪人ゆきひとの背後で蠢く……」


 ぞくり──


 と、私の背中を冷たいものが伝う。暑くはないはずなのだが、体から汗が吹き出し、言いようのない不安が私を襲う。この先の鷹臣たかおみの言葉を聞いてはダメだと本能が叫ぶ。が、無情にも鷹臣たかおみの言の葉の紡ぎは止まらない。


「この状態でにんと数えていいのかは分かりませんが……」


 「二人いますよ? 雪人ゆきひとの後ろに」と、鷹臣たかおみが私の背後に視線をやる。


 それと同時──


 かいて……

 わたしとりんかまさたかのものがたりを


 ──と、が私の耳元で囁く。


 ひたり──と、冷たいが私の腕を掴む感覚がする。


「お、おい! なんだよこれ! 腕が勝手に!」


 私の腕が、冷たいに促されるように動く。助けを求めるように鷹臣たかおみを見るが、鷹臣たかおみはじっと私の背後を見つめたまま動かない。


「大丈夫ですよ雪人ゆきひと。そのまま身を委ねて下さい。雪人ゆきひとを見れば察するはずだ」


 ぐぐぐ──と、私の腕が勝手に動く。折り畳んだノートパソコンをかちりと開き、ディスプレイをゆっくり持ち上げる。開いても勝手に電源が入らないように設定しているので、ディスプレイは真っ暗なのだが……


 真っ暗なディスプレイを見た私の口からは「ひぃ……」と、掠れた声が漏れる。


 いるのだ。


 あいつが。


 じっとりと湿った視線で私を見てくる──


 美しい顔にただれた体の女──


 かおりが。


 だがそのかおりの背後にまだが蠢いている。私は恐怖に震えながらもを見る。


 目が合った。


 と目が合ってしまった。


 は私と目が合うと、にぃ──と、笑う。


 心の底から震えてしまうほどの、悪意のある笑顔。


 怖い。


 怖い怖い怖い。


 これほど悪意のある笑顔があるだろうか。これほど人を不快にし、恐怖に陥れる笑顔があるだろうか──


 狼狽する私に鷹臣たかおみが「やっと雪人ゆきひとも認識しましたね?」と言い放つ。とはどういうことだろうか。私が「どういう意味だ?」と、聞き返そうとしたところで、鷹臣たかおみが言葉を続ける。「これくらいのヒントならいいようですね。前に真実を雪人ゆきひとに伝えようとして殺されかけましたから」と。


 ますますもって訳が分からず、やはり私は「どういう意味だ」と、鷹臣たかおみに問いかけた。


「前に『空っぽの私たち』という推理小説をこの病室に置いたのは僕です。それと僕が胸を抑えて苦しんでいたという雪人ゆきひとの記憶もホンモノの記憶です」


 そこまで言うと鷹臣たかおみが胸を抑え「分かっています。ここで真実を伝えるつもりはありませんから」と、苦しそうに呟く。私がどうしていいか分からずに困惑していると、鷹臣たかおみが言葉を続ける。


「……ああ、すみません雪人ゆきひと。やはり余計なことを言うと僕は殺されてしまうようだ」

「……殺されるってなんだよ。 誰に殺されるっていうんだ?」

雪人ゆきひとの背後で蠢くにです。とりあえず大丈夫そうなことだけ伝えますね? 僕も死にたくはないので、お願いですからあまり立ち入った質問はしないで下さい」


 そう言った鷹臣たかおみの顔がいつになく真剣で、私はその雰囲気に押されて黙った。


「ここまで雪人ゆきひとは色々と文章を書いて来ましたよね? ですが少し変ではないですか? なんというか……情報を小出しにして、まるで読者に挑戦する推理小説のような……」


 言いながら鷹臣たかおみが私の背後に視線をやる。おそらくの様子を伺っているのだろう。


「これは雪人ゆきひとの背後で蠢くからの、雪人ゆきひとに対する挑戦状です」


 その言葉に、思わず私は「は?」と声を出してしまった。


「訳が分かりませんよね? 意味が分かりませんよね? ですが背後のには意味も訳もある。雪人ゆきひとは取り憑かれて文章を書かされている。。背後のは『わたしとりんかまさたかのものがたりをかいて』と言っているんですよね? だとしたら書き方がおかしい。物語を書くだけならば、もう少し時系列に沿って書けばいいはずだ。だが……まるで推理小説のように推理させようとしているような文章構成。誰に推理をさせようと? それは君だ雪人ゆきひと。この様々と複雑に絡み合った事件のにいる君にだ。君はこの後でまた、取り憑かれてのような文章を書くことになるだろう。読み返して思っただろう? なんで自分はこんな推理小説のような文章構成にしているのだろう? と。君は知らず安楽椅子探偵をさせられていたんだ。そんな君に、背後で蠢くの言葉を僕なりにアレンジして伝える。ああ、その前に大前提も必要ですね。これは雪人ゆきひとも分かっているとは思いますが、。かといってこの物語では、物理法則を無視したアリバイ工作などの事件関与はしていない。つまり事件自体はの存在がなくても成せる事件だ。また、フェアプレイの観点から文章中に嘘は存在しない」


 そう言って鷹臣たかおみが私をしっかりと見据える。私はまさかここで「はじめに」の頁で削除した文言を言われるとは思っておらず、困惑の表情で鷹臣たかおみを見つめた。


 だが鷹臣たかおみはそんな私の困惑など意に介さない様子で、まるでミステリ作家のようなセリフを言い放つ。


「そろそろ情報も出揃った頃合いでしょう。すでに不自然さに気付かれたことかと思います。そう、不自然がこの物語を読み解く鍵です。物語も残すところ駿我雅隆するがまさたか佐伯鷹臣さえきたかおみの章だけとなりました。書き終え、どうか真実に辿り着いて下さい。辿り着けなかったとしたらその時は……」


 ひたり──


 と、私の首筋を締めるように、の手が添えられた気がした。



 ──幕間(了)

 

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