第38話 駿我杏香の手記 6/6


「旦那さんが娘と二人で出掛ける頻度が増えたと思いませんでした? 本当に杏香きょうか先生は何も気付いていなかったんですか? まあでも、ここからが面白いのでよく聞いて下さいよ? 馬鹿な旦那さんは我慢が足りないんでしょうね、自分が娘にしている行為がバレているのにも関わらず、を僕の家で何度かしたんです。僕に撮影されているとも知らずにね。とてもいいタイミングでした。僕はそろそろ両親で遊ぶことに飽きてきていたので、旦那さんを利用してある計画を実行することにしました。『とりあえずあなたと娘の行為は撮影しています。公表されたくなければ僕の頼み事を聞いて下さい』と、旦那さんに提案しました。旦那さんは快諾しましたね。『何でもするから私と娘を離さないでくれ』と泣いていました。まあ兎にも角にも僕は旦那さんのおかげで、かなり動きやすくなったので感謝しています。ああ、もちろん旦那さんには杏香きょうか先生で実験をすることは話していませんよ? 旦那さんに頼んだことは『僕はこれから両親の元を離れるので、あなたの家で僕を引き取ってください。杏香きょうか先生に僕の本性を話さないでください』という二つのことだけです。旦那さんは酷く怯えていましたね。僕が怖かったんでしょうか? とにかく旦那さんは僕の言うことをよく聞いてくれました。中身がないというのはこのことでしょうか? ああ、内臓のことではないですよ? まさか旦那さんも僕が両親に殺し合いをさせるなんて思っておらず、真相を知った時は震えていましたね。まあこれでなんやかんやと旦那さんは完了です。僕には逆らえない。次は待ちに待った杏香きょうか先生の番です」


 そう言って笑った彼の顔が今でも瞼の裏にこびりついている。これを実行していたのが当時十一歳の子供だ。私は一人何も知らず、秘密も隠せていると信じて彼に弄ばれていたのだ。


 そして彼が私に言った「」という言葉。確かにその通りだ。私は兄との子である娘を愛している。兄は死んでしまったが、私には兄との愛の証である娘がいる。娘さえいれば、私と兄の愛は消えない。そんな私に対し、彼はこう言ったのだ。「僕の性質は十分理解出来たことかと思います。時間をかけたことで骨身に染みたはずです。ですから……今後僕の言うことを聞いてくれない場合、」と。


 私は彼に従うしかなかった。娘が大事だったこともあるが、すでに私は彼に囚われていた。彼が怖くて怖くて仕方ないのだ。彼に逆らってはいけないと、本能が叫んでいる。


 そうなると、なぜ私が彼を告発するようなこの手記を書いたのかと、疑問に思う方もいるかもしれない。それは簡単な話だ。おかしくなってしまいそうなのだ。何故こんなことになったのか、どうして私は今、こんなことをしているのかが分からない。


 少し前に夫は離婚届を置いて行方不明となった。私は彼が殺したのだと思っている。彼が娘と仲良く話している所を見ると、頭がおかしくなってしまう。彼は私も娘もいずれ殺すはずだ。だが彼は証拠を一つも残していない。彼は時間をかけ、絶対に自分が疑われることのないように立ち回る。


 怖い。怖い怖い怖い。例え私が今彼を告発したところで、彼の異常性を示すものは一つも出てこないだろう。私にあるのは彼の日記を書き写したものと、私の記憶だけ。日記に関しては、いつの間にか原本を破棄されている。そうなれば、頭のおかしくなった私の妄言として処理されるだろう。


 夫の失踪に関しても私が疑われるだろうし、場合によっては私が犯人に仕立て上げられるのかもしれない。なぜなら彼の両親のように私と夫も、気付けばお互いを傷付け合うようになっていた。いや、果たして私と夫は自分の意思で傷付け合っていたのだろうか、今となってはほとほと疑問だ。


 せめて私の頭が完全におかしくなる前に、事の経緯を纏めたのがこの手記だ。いつか、誰かが彼の罪を暴いた時のために記しているのだ。私には彼の罪を暴くことは出来ない。私は完全に彼の支配下だ。もしかすれば、この手記も彼に書かされているのかもしれない。なぜなら今私の背後には彼がいる。あれ? いつからいた? 私がこの手記を書き始めてから? 私は自分の意思でこの手記を書き始めたのではなかっただろうか? 分からない分からない分からない。


 耳元で彼が「ここのセリフは少し違いますよ。出来るだけ忠実に自分の中身のなさを思い出してください。汚く馬鹿で、穢れたぐずぐずの自分の中身を思い出してください」と囁く。ああそうだ。思い出した。私は狂っていたんだ。頭がおかしくなって、色々と忘れていたんだ。


 そんな私に彼は、優しく教えるために手記を書かせたのだ。彼の狂気を思い出し、私が彼の所有物であることを思い出すために。そんな私の手記を見て彼は「なかなか文章が上手いですね? これなら旦那さんのように作家になれそうだ」と笑っている。


 すっかりと全てを思い出した私は、彼に問いかけた。「娘は元気ですか?」と。私と兄の愛の結晶。私と兄が愛し合っていた証拠。私はそれだけは失いたくない。それを失ったら私にはなんにもない。娘がいるから私の心はにならずに済んでいる。


 その問いかけに対して彼は「大丈夫ですよ? 娘もしっかり狂っています」とだけ答え、とても優しく微笑んだ。



 ──ある日記と手記(了)

 



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