第34話 駿我杏香の手記 2/6


 私の夫は、彼を一目見たときから怯えている。後継人になることは了承してくれたが、絶対に養子縁組はしないと拒まれた。最初は何故そこまで頑なに養子縁組を拒むのかと思ったが、おそらく私の夫は、彼の中にを見たのだろう。彼が自分たちの家族になることがたまらなく怖かったのだろう。


 自分で言っていてもおかしいとは思うが、それだけ彼には得体の知れない魅力──いや、があったのだ。私の夫はそのを敏感に感じ取り、娘を彼に近付けさせないように徹底した。学校も別々にし、彼と娘が接触する機会を可能な限り減らす努力をした。


 いつか夫側の両親を呼ぶかもしれないと、二世帯住宅にしたのも幸いしたのだろう。私の娘が彼と接触する機会はほとんどなかった。ここでと表現したのは、今となっての判断による言葉である。


 結果として、彼は解離性同一性障害などではなかったのだ。私は彼を性的虐待の被害者だと勝手に思い込み、また、それによる心的ストレスが「ナカノタクマ」を作り上げたのだと思っていた。


 だがそれは違ったのだ。確かに彼は性的虐待を受けた。それに関しては疑いようのない事実だ。だが果たして彼は、本当に被害者だったのかどうか……


 どう表現すればいいのかが分からず、困惑してしまう。法律では何があったとしても、彼が被害者であることに変わりはないのだが……


 私がそう思ったのにも訳がある。彼が日記の最後に書き記したという言葉。私は初めこれを、解離性同一性障害に対する彼なりの解釈なのだと勝手に思い込んだ。


 だがどうやらそれは違ったようだ。彼はと書き記してから、日記を書いていない。そしてその日からといった発言をしなくなった。日記にはとも書いてあったので、その時点でナカノタクマが消滅していた訳ではないはずである。


 にも関わらず彼は、と書き記してから、まるでナカノタクマがその瞬間に消滅したかのように振舞っている。そこに違和感を覚えた。彼は解離性同一性障害をコントロール出来ているのではないかと。


 薄ら寒いものを感じた私は、彼にそのことを聞いてみた。すると彼は「今は違うごっこ遊びをしているからだよ」と、答えた。その答えに私は震えた。なんと表現していいのかは分からないが、という思いに駆られたのだ。彼は解離性同一性障害をコントロールしている訳でもなく、もしや──と。


 その思いを払拭するべく、私は彼と言葉をいくつも交わした。言葉を交わせば交わす程、それは核心へと変わっていく。


 彼と重ねた言葉を要約すると、彼は今現在「修行ごっこ」をしているということだ。早く大人にならなければ私を助けることが出来ないと、大人になるための修行をしているのだそうだ。その上で、なぜそういった判断となったのかは判然としなかったが、「大人の男が日記を書いているところを見たことがない」という理由で、日記を書くことをやめたようである。


 そしてここからが重要だ。私は彼に「今までどんなごっこ遊びをしたことがあるのか」といった質問をした。すると彼は「お父さんの見ていたDVDごっこ」「お母さんが望むいつまでも子供ごっこ」「お母さんを慰める男の人ごっこ」「学校の先生が望むいい生徒ごっこ」「友達が望むいい友達ごっこ」「杏香きょうか先生が望む病気ごっこ」と次々と答えていった。


 そう、彼には。その時その時でのだ。


 更に彼は、今思い出すだけでも鳥肌が立つような言葉をその口から発した。最初は何が起きたのか分からずに呆然としてしまった、思い出すだけでも震える彼の変化。私と言葉を重ねていく中で、唐突に彼の口調が大人びたものへと変わり、こう言ったのだ。「よくよく考えればもう母は死んだので、母の望んだをする必要はないですよね? 杏香きょうか先生?」と。


 彼はずっとをしていたのだ。私のところで彼を預かったのは十一歳。それから三年の時を経て、今は十四歳だ。


 彼は言動や行動が周りよりも幼かった。だがそれは解離性同一性障害と同じ、精神的ストレスから来るものだと思っていた。だが違ったのだ。根本から違ったのだ。


 思い返してみれば、彼は学校でトラブルを起こしたことがない。むしろ私が学校に連絡すると「とてもいい子でみんなの人気者ですよ」と、言われる始末。どうやら彼はや、をしていたのだろう。先生は「特に幼いという印象も受けません」と言っていた。


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